第36話:戦いの果て

 森の中に止むことのない打撃音が響き渡る。


 異形へと変貌を遂げたテツヤとグランの戦いはいつ果てるとも知れず続いていた。


 それはもはや戦いと呼べるものではない。


 グランとテツヤの腕が、脚が振るわれるたびに辺りの地形が変わっていく。


 それは既に戦争だった。



 周囲で戦いの趨勢を見守る一同は巻き込まれないように身を守るので精いっぱいだった。


「ウ、ウズナ様!どうかこの戦いを止めてください!」


 リンネ姫が蛇頭窟に必死の面持ちで嘆願した。



「何をそんなに焦っておるのだ」


 ウズナの思念体がリンネ姫の前に現れた。



「あのままでは二人とも死んでしまいます!」


「何を言っておる。あの程度ただじゃれ合っているだけではないか。ドラゴンでももう少しましな戦いをするぞ。それよりも我は眠いのだ。少し眠るから起こすでないぞ」


 そう言ってウズナの思念体はかき消えた。


 リンネ姫は絶望で目の前が真っ暗になった。


 駄目だ、超常的な存在である巴蛇はだと私たちではものに対する感覚が違いすぎる。



「姫様!危ない!」


 ソラノの叫び声にハッと我に返ったリンネ姫の目の前に巨大な岩が吹き飛んできた。


 ――間に合わないっ!



 死を覚悟した時、その岩が突然止まった。



「何とか間に合いましたね」



 声に振り仰ぐとリンネ姫の目の前にが真っ黒いローブが立っていた。



「先生!?」


 それは旅に出ていたカーリンだった。



「お久しぶりです、姫様」


 カーリンはリンネ姫に振り返るとにっこりと笑った。


 いつもと変わらない穏やかな笑顔だ。


「な、なんでここに…?」


「話はあとです。まずはみなを守らなくては」



 カーリンが詠唱を行うと周りにいた皆の前に魔法障壁が生まれた。


 グランとテツヤの戦いで吹き飛んできた岩や瓦礫はその魔法障壁に阻まれて届かない。


「これでしばらくは持つでしょう。その間にテツヤさんをなんとかしなくてはいけません」


「あ、あれは一体何なんですか?テツヤはどうなるのですか!?」


 リンネ姫がカーリンにすがりついた。


 テツヤはもうあの姿から二度とも度に戻らない、そんな不安が頭の中に渦巻いていた。



「落ち着いてください。あれはテツヤさんの裡にある魔力が暴走したことによるものです。おそらくここに眠る巴蛇はだが何かをしたのでしょう」


 そう言ってカーリンが寝巴蛇山ねはだやまを見上げた。


「しかし今ならまだ間に合います。テツヤさんの魔力の奔流を止めれば元の姿に戻るでしょう」


「し、しかし…どうすれば…私たちには近づくことすら…」


「そこはグランに頑張ってもらいましょう」


 カーリンはそう言ってリンネ姫に微笑んだ。


 そこへグランが吹き飛んできた。


 魔法障壁に叩きつけられ、地面に崩れ落ちる。


 既に全身血だらけで足下もおぼついていない。


 それでもその闘志はいささかも衰えてはいなかった。



「苦戦しているようですね」


 カーリンがグランの傍らに近寄った。


「カーリンじゃねえか。何してるんだこんなところで」


 血反吐を吐きながらグランが何でもないようにうそぶいた。


「巨大な魔力の発動があったので確認をしに来たのです。それよりもまずはテツヤさんをなんとかしなくては。時間を作れますか?」


「は、俺様を誰だと思っている。てめえの力なんざ必要ねえよ」


 そう言ってよろよろと立ち上がった。


 その眼は咆哮を続けるテツヤへと向けられている。


「だがまあ、俺があいつを倒した後は好きにするんだな」


 グランの角が真っ赤に輝いた。


 瞬間、テツヤへ向かって飛び出すと強烈なタックルでテツヤを一気に岸壁に叩きつける。


「うおおおおおおっ!!!!!」


 息つく間もなく打撃を浴びせていく。


 防御をも吹き飛ばすグランの攻撃でテツヤの身体がぐらりとよろめく。


 その頭をグランが両手で掴んだ。




「いい加減…目を覚ましやがれ!」


 そしてとどめと言わんばかりに渾身の力を込めて頭突きをお見舞いする。



 テツヤの身体から力が抜け、大の字に倒れ込んだ。


 同時にグランもどうと倒れる。



「お疲れさまでした」


 そこへカーリンがふわりと舞い降りた。


 そうしてテツヤの首にカチリと金属製のリングを嵌める。


「グ……」


 テツヤは一瞬身体をもがいたがすぐに大人しくなった。


 その姿が徐々にヒトの姿へと戻っていく。


「ふう、なんとか間に合いましたね」


 カーリンが額の汗をぬぐった。


「先生!テツヤは…テツヤは無事なのですか!」


 リンネ姫たちがテツヤとカーリンの元に駆け寄った。


「ええ、もう大丈夫ですよ。今は眠っているだけです」


 その言葉にみんなの顔が明るくなった。



「良かった…本当に良かった」


 涙を浮かべながら意識を失っているテツヤを掻き抱く。



「まったく、疲れさせやがる」


 グランがよろよろと立ち上がった。


「グラン殿、テツヤを止めてくれてありがとう。なんとお礼を言ったらいいのか…」


「へ、止してくれ。俺は本気で喧嘩をしたかっただけだ。もう用はねえみたいだし帰らせてもらうぜ。流石に疲れたからよ」


 グランは涙に濡れた顔で礼を言うリンネ姫に面倒くさそうに手を振ると森の中へと消えていった。





    ◆




 森の中、グランは一人歩いていた。


 やがてその体がぐらりと揺らいで崩れ落ちる。


 大木を背にして大きく息をつく。


 既に一歩も歩けそうにない。


 グランの体力は限界に達していた。



「本当にありがとうございました」


 そこへカーリンがやってきた。


「ふん、おめえに礼を言われる日が来るとはな」


 グランは脂汗を流しながらも強がって見せる。



「それだけ軽口が叩けるなら大丈夫そうですね」


 カーリンは微笑みながら手をかざした。


 治癒魔法でグランの傷がみるみる塞がっていく。


「人界に来た俺のお目付け役なはずのおめえに助けられるなんてな。何年ぶりだ?ミネラシア大戦以来か?」


「そんな昔のことのことは忘れました。それに今のあなたは脅威ではないでしょうからね」


 カーリンはしれっとした顔でグランの頭を見た。


 復活したはずのグランの角が二本とも消え失せている。


「ふん、ちょっと力を使いすぎちまったか。元に戻るのにまたあと二百年はかかるな」


 グランはため息をついて頭を掻いた。


「かつて魔界最強の一角と言われたオニ族のグラン、その本来の姿に戻ったあなたと互角の戦いをできる者は果たしてこの世界に何人いるのでしょうね」


「何言ってやがる、本気の俺はこんなもんじゃねえっての」


 そう言ってグランはごろりと寝ころんだ。


「用はすんだんだろ。だったらさっさと消えるんだな」


「そうですね、それでは私はこれで。またトロブでお会いしましょう」


 そう言って頭を下げるとカーリンは去っていった。


「ふん、まあ久しぶりに楽しめたかな。やっぱりおもしれえ野郎だよ、あいつは」


 グランは一人笑みを浮かべると目をつぶり、やがて静かな寝息を立てはじめた。

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