第32話:窓を開ける
「あの城一帯が…奴の身体…?」
アスタルが頷いた。
「テツヤ、今のあなたでは彼に勝つことはできないでしょう」
「そ、それでもやらなきゃいけないんだ!俺には残してきた仲間もいる!アスタルさん、俺を元の世界に戻してくれ!」
「落ち着きなさい」
アスタルは立ち上がると俺の前に歩み寄り、優しく両手で俺の頬を包んだ。
温かい手だった。
母親のことは知らないけどきっとこんな感じなんだろうか。
「ここはあなたの世界とは時の流れが違います。まずはゆっくり休むのです。それからでも十分間に合います」
それに、とアスタルは続けた。
「今のあなたでは勝てないと言いましたが、それは力がないからではありません。あなたはまだ自分の内なる窓を開いていないからです。あなたが窓を開けばツァーニックにも匹敵する力を得るでしょう」
「そんなことができるんですか!?」
「私ならば可能です」
「じゃ、じゃあ!」
アスタルは首を振った。
「慌ててはいけません。確かにあなたの真の力を解放することはできます。しかしそれは同時に今のあなた自身を捨てることにもなるのです」
「今の俺を捨てる?」
「そうです。真の力を発現させることによってあなたはヒトとしての存在から魔に近づくことになります。おそらくヒトとしての生活は望めなくなるでしょう。それでもやりますか?」
「やるさ、やるに決まってる!」
俺には一片の迷いもなかった。
「そう言うと思っていました」
アスタルが寂しそうに微笑んだ。
「でも、そのために俺を呼んだんでしょう?」
「できればあなたにはヒトとしての平和な暮らしを送ってほしかった。しかしあの男、ツァーニックがこのまま
そのためにあなたを犠牲にしてしまう私を許してください、とアスタルは目を伏せた。
「構わないですよ!このままだといずれ誰かがそうしなくちゃいけないんでしょう?だったら俺がやりますよ!それにあの野郎にやられっぱなしじゃ腹の虫が治まらないってもんです!」
「…わかりました」
アスタルは俺の眼を見て意を決したように頷いた。
「それではまずはゆっくり休んでください。体が回復してから儀式を行いましょう」
その言葉を合図に二人の少女が俺の近くに来た。
会見はこれで終了ということなのだろう。
◆
それから数日間、俺はアスタルの家で体力の回復に努めることになった。
時間の確かめようがないから正確に何日間過ごしたかはわからないけど、ひたすら食事と睡眠を繰り返した末に俺の体力は完全に回復した。
この世界の食べ物のお陰なのかかつてないくらい絶好調だった。
そしていよいよ俺の力を開放する儀式を行う日がやってきた。
再びアスタルの部屋へやってきた俺は彼女が座っていた長椅子に仰向けに寝るように促された。
「それではこれより開放の儀式を行います。テツヤ、本当によいのですね?」
「ええ、これは自分で選んだことです。やってください」
わかりました、とアスタルは頷き、色粉で俺の右目の周りと右上半身に紋様を描いた。
「これより窓を開き、あなたの力を引き出します」
アスタルが詠唱を始めた途端、俺の身体がビクンと大きくのけぞった。
まるで身体が内側からこじ開けられたような衝撃だ。
何かが俺の体内から出ようとしている!
「うぐぐあああああああっ!!!!」
俺は自分でも気づかないうちに絶叫していた。
「耐えるのです。あなたの身体から出ようとしているモノを完全に出してはいけません。戻れなくなってしまいます」
アスタルも全身から汗を噴き出しながら詠唱を続けていたけど俺にはそれを確認する余裕はなかった。
どれくらいの時間がたったのだろか、いつの間にか身体の内側から湧き上がってくる衝撃は収まっていた。
「…どうやら、無事に成功したようですね」
疲れ切った表情でアスタルが微笑んだ。
「これが…俺なのか?」
俺は自分の両手を見つめた。
アスタルが描いた紋様は今や俺の身体の模様となって残っている。
俺の右目に映る光景は今までとは全く違っていた。
感覚として感じていた魔素の流れが今でははっきりと視認できる。
これが魔族の見ている世界なのか?
「一時的にあなたの窓を開きました。しかし気を付けてください。力を使いすぎると窓が完全に開かれてしまいます。そうなるとあなたは今のあなたではいられなくなります」
「わかりました。本当にありがとうございます。これならあいつにも勝てます、いや勝ちます」
俺の言葉にアスタルは頷き、再び手を掲げた。
「それでは今よりあなたを元の世界に送り届けます」
アスタルの詠唱と共に床に魔法陣が出現する。
「その中に入れば元の世界に戻れます。どうか無事でいてください。そしてツァーニックの暴走を止めてください」
「アスタルさん、何故俺にここまでしてくれるんですか?」
俺は魔法陣に入る前にアスタルに尋ねた。
「それはあなたが私の力を最も濃く受け継いでいるからです。土より出しものは全て私の子供と言っていいのですが、あなたは特に私に近いと言ってよいでしょうね」
アスタルは俺に近づくと肩に手を置いてそう言い、だからついつい贔屓してしまうのかもしれませんねと微笑んだ。
「俺が…あなたの息子?」
「そうです、こんな無力な母親では不満かもしれませんが」
「いえ、そんなことありません!…俺は母親というものを知らずに育ったから、そういう風に言ってくれるのは嬉しいです」
ありがとう、と言ってアスタルが俺を抱きしめてきた。
母親に抱擁してもらうのはこんな感じなのだろうか、不思議と全ての不安が消えていくのを感じる。
「いま、あなたの世界は大地の均衡が崩れようとしています。あなたにその均衡を保ってもらいたいのです」
俺を抱きしめながらアスタルが話を続けた。
「これはツァーニックのことだけではありません。あなたの世界はこれからも大きく揺らいでいくでしょう。テツヤ、あなたには苦労をかけてしまいますがそれを防いでほしいのです」
「任せてください、絶対に奴を止めてみせます!……それで、その…全部終わったらまたここに来てもいいですか?今度はみんなで」
「もちろんですとも、ここはあなたの家です。いつでも帰ってきていいんですよ」
アスタルはそう言って俺に微笑み返した。
「…それじゃあ、いってきます!」
俺は名残を断ち切るように魔法陣に飛び込んだ。
行ってらっしゃい、とアスタルの声が聞こえたような気がした。
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