月は裏側を見せてはくれない
せらりきと
第1話 不死の心臓
カエデがはじめて不死の心臓という言葉を聞いたのは、六歳のころだった。この言葉をカエデの耳に吹き込んだのは、ユキホというとても美しい侍女だった。ユキホは、ずっとずっと昔からおじいさまに仕えていた。誰もがおじいさまの愛人ではないかと噂をしていたが、おじいさまには大きな力があったため、噂などかき消されていた。世の中、お金さえあればなんとかなるのだということを、カエデは小さいながらも理解していた。おじいさまは優しいし、とても紳士で、上品なので好きなのだが、幼いながらも身分だけは好きになれなかった。
この家には、おじいさまの長男でもあるノボル一家も一緒に住んでいる。そう、カエデの父親だ。ノボルの妻であるマナミは、ユキホのことがうす気味悪くて仕方がなかく、避けていることは誰の目でも明らかだった。
しかし、そのことについて、誰もが納得のいく原因がユキホにあった。ユキホは、どれほど前からおじいさまに仕えていたのかはわからないが、現在の容姿は十代半ばくらいの少女にしか見えなかったのである。それなのに妖艶という言葉が当てはまるほど色っぽく、そして何でも知っていて、考えていることすら見透かされているような瞳をしていた。
カエデが生まれる前からずっと家にいて、マナミが嫁いでから現在まで、全く姿が変わらなかったのである。若さへの嫉妬もあるのだろうが、マナミはあまりユキホへ近づかないようにしていた。カエデにも、近づかないようにと注意をしていたが、弟のヒデヨシが生まれてからは何も言わなくなっていた。マナミは、ヒデヨシだけをかわいがるようになっていたからだ。
母の愛に飢えているカエデに気が付いたのが、ユキホだった。
カエデは、ヒデヨシに嫉妬し、たびたび泣かせては、マナミに叱られ、時には頬を引っ叩かれたりもした。カエデは強い子なので、泣かなかったが、とても寂しく悲しい思いを強いられ続けていた。その様子を見た使用人たちが、こそこそと、可愛そうな子、だとか話しているところを見かけたことがあり、カエデは使用人たちに対してもよく思ってはいなかった。
お風呂も、いつからかひとりで入ることが多くなっていた。
この日は、住み込みの使用人専用のお風呂にひとりで入っていた。広くてプールみたいなので、カエデはちょくちょく入りに来ていた。カエデが入っている時には、誰も近づかないように、清掃中という看板を掲げている。これは、カエデが入っているという表示でもあるため、仕事の合間に入ろうとしている使用人の舌打ちが聞こえることもたびたびあった。
それなのにガラスドアに人影が写り、カエデはむっとしたが、人影の正体を知ると、むっとした表情から、警戒する表情へと変わっていた。そこにいたのはユキホだったからだ。ドアを閉め、カギをかけるユキホ。ユキホの体はまるで雪のように白く、とても綺麗だった。華奢ではあるが、胸が程よく隆起しており、花が咲いているようにカエデからは見えていた。前を一切隠さず堂々としているため全体が見えた。といっても、湯気によって、鮮明ではなかったけれど。カエデは、ユキホのことを大人だと思っていたが、母のように、陰毛がだらしなく生えてはいなかった事に驚いていた。
かけ湯をしている姿をまじまじと見つめているカエデは、なんと美しいのだろうと、変な気持ちになっていた。
かけ湯を済ませ、ユキホがこちらの湯船へとやって来て、カエデはさらに警戒した。
「お嬢さま、ご一緒してもよいでしょうか」
「うん。いいわよ」
カエデは動揺はしない。
綺麗な左足から、湯船へと入ってくる。湯船はとても広いので、あと十人くらいは余裕で入れるとカエデは思っていた。
「どうですか、湯加減は」
ユキホが微笑みながら尋ねる。
「ちょうどいいわ」
カエデはそっけなく答えたが、心の奥では鼓動が早まっていた。ユキホの動きは優雅で、水面が静かに波立つたびに、湯気がふわりと舞い上がる。
「お嬢さまは、一人でお風呂に入るのがお好きなのですね」
「……別に好きじゃないわ。でも、一人のほうが楽だから」
「楽、ですか?」
ユキホは微笑みながら、カエデのそばへと少し寄った。カエデは思わず肩をすくめたが、すぐに気を取り直す。
「お母さまのこと、寂しく思っているのでしょう?」
カエデの心臓がどくんと跳ねた。
「そんなこと……ない」
「ふふ、強がりがお上手ですね」
ユキホの指が湯の中で静かに動き、波紋を広げる。カエデは視線を逸らしながらも、ユキホの視線が自分に向けられているのを感じていた。カエデは視線を逸らしながらも、ユキホの視線が自分に向けられているのを感じていた。
湯気がふわりと揺れる。水面に映る光が、ゆらゆらと天井に滲んでいく。
しん……とした静寂が広がる。
お湯がわずかに揺れる音と、遠くから聞こえる誰かの笑い声が、静けさをより際立たせるようだった。
カエデはそっと唇を噛み、指先で湯の中をなぞる。ユキホは何も言わず、ただ静かにカエデを見ていた。カエデはそっと唇を噛み、指先で湯の中をなぞる。ユキホは何も言わず、ただ静かにカエデを見ていた。
ふと、カエデは意を決してユキホの目を見た。
──吸い込まれそうだった。
琥珀色の瞳は、湯気の中でほのかに光を宿し、どこまでも深く、何もかも見透かしているようだった。長く濃いまつ毛が伏せられ、視線が重なるたびに、胸の奥がきゅっと縮まる。
ドクン、ドクン、と心臓の音がやけに大きく響く。
何も話していないのに、全てを悟られているようで、たまらずカエデはまた視線を逸らした。でも、逸らしたくせに、どうしても気になってしまう。もう一度、ちらりとユキホの目を盗み見る。
──やっぱり、綺麗だ。
自分でもわからない気持ちがぐるぐると渦巻く。頬がほてるのは、お湯のせいだろうか。いや、違う。カエデは無意識に唇を舐め、胸に手を当てた。
──沈黙が、少しだけ重く感じる。
その時、不意にユキホが口を開いた。
「ねえ、お嬢さま。不死の心臓、ってご存じですか?」
唐突な問いかけに、カエデは思わずユキホを見た。
「……なに、それ?」
ユキホはくすりと微笑むだけで、答えない。
「教えてくれないの?」
「ふふ、秘密です。でも、お嬢さまなら、いつか知ることになるかもしれませんね」
その言葉に、カエデはぐっと眉を寄せた。どういう意味なのか、問い詰めたくなる。しかし、湯気が濃くなったような気がして、ふわふわとした気分がカエデを包み込む。
「……なんだか、変な……気分」
視界が揺れ、頭がぼんやりとする。カエデはふらりと体を傾けかけた。
「あら、お嬢さま、のぼせてしまいましたね」
ユキホの白い腕がすっと伸び、カエデの体を優しく支えた。
「ふふ、かわいらしい」
どこか遠くで、ユキホのくすくす笑う声が響いていた。
ユキホは細い腕でカエデの体を抱きかかえ、湯船からゆっくりと引き上げた。華奢な体のどこにそんな力があるのだろうか――そう思いながら、カエデはユキホの横顔を見つめる。
どさくさに紛れ、カエデの指は自分の胸の先端とは違う場所へと伸びていた。ユキホの胸の先端を、そっとつまむ。
しかし、ユキホはまるで気にするそぶりも見せず、そのままカエデを抱えたまま、静かに脱衣所へと向かった。
「ごめんなさい。あなたはゆっくりとお風呂に入りたかったでしょう」
と、カエデはユキホを気遣った。
「とんでもございません。お嬢さまになにかあったら大変ですからね」
と、ユキホは優しく言ってくれた。脱衣所に備わっている冷凍庫から、ドライアイスを持ってきてタオルで包み、両脇に挟んでくれた。その間も、ユキホは裸で、隠そうとする気配がなかった。そんな見事なまでの裸体を、カエデはまじまじと見つめ続けていた。
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