第4話 30年まえにつけた名称を相変わらず使ってる

 ところでワタシはブログを延々やってるんですが。

 タイトルが「炬燵蜜柑倶楽部こたつみかんくらぶ」というんですな。

 この名をつけたのは実はもう30年以上昔、大学三年の時でした。

 ワタシの母校静岡大学の、所属していた教育学部小学校教員養成課程~今は違う名称かもしれない~は当時三年になると「教材研究」という授業が各教科ごとにありまして。

 グループ組んで模擬授業をするというカリキュラムだったんですな。

 これは各専門教科関わらず小学校課程やってる学生の必修だったんです。

 そんでその「家庭科」で組んだチームの名が「炬燵蜜柑倶楽部」だったわけです。あ、ワタシの専門は国語でしたけどね。

 いやもうグループさまさまでした。ワタシが無事に卒業できたのはグループ学習が多かったからだと思ってます。

 いや実際何やったのかさっぱり覚えてません。

 教育学部、というかこの大学に行って役立ったのは、


・専門の「古代文学研究」でレジュメを読める字で書け、といわれたこと。

  ←当時出だしたワープロ叩くのを早く覚えるきっかけになった。

・    〃      で孫引きはよせ、といわれたこと。

  ←後の院での研究で役立ったこと!

・「自由選択」単位でとった美術科一年の「デッサン」。

  ←実際画力はあがった。

・「小学校専門図画工作」でやった水彩。

  ←色彩感覚を褒められて嬉しかった。

・「教育史」と「教育制度」

  ←単純に楽しかった。歴史はええぞ。

・「小学校専門体育」だったか「教材研究体育」だったか忘れたけど「ラジオ体操の正しいやり方」

  ←未だに根付いてをる。


 ……このくらいですなー。

 つまり全然「教員」向きの授業ではないんですよ! ごめん!

 人生を楽しくすることしか結局は覚えていないんですよ!

 仕方ないっす。静岡大学のあの山の上のでかい広いキャンバスに行きたかったんですから!

 だったら人文学部に行けばよかったかもしれないけど、偏差値的にたりなかったんですよ! 

 ……いやまあ、入ってたとしたら、毎日の通学が死んでたかもしれないですがね…… 人文学部は山のてっぺんでしたから。


 まあそんな時代から「炬燵蜜柑倶楽部」、サークル活動の時にはKMCとも言ってましたが、延々このペンネームと一緒に使ってましたわー。

 だって「こたつにみかん」は正義ですもん。


 ところで今はいよかんが旬で安いけど、そろそろ次の時期の箱買いする品種を考えねば。

 

 

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