第6話 宝箱、地図、大渦
いつものように、俺は朝一番で海へと向かった。宿の親父さんからは温かいスープを、女将さんからは「当たりを引けるといいね!」という、力強い声援を背中に受けながら、焼けるような砂浜を力強く踏みしめる。波打ち際で慣れた手つきで海王鎧を瞬時に装着し、全財産と今日の大きな期待が詰まった豪商鞄を肩にかけ、岩場から迷いなく海中へと身を沈めた。
海底は今日も、息を呑むほどに眩しい白いサンゴ砂の世界が広がっている。太陽の光が水面を透過し、まるで天からの祝福のようにきらきらと降り注ぎ、幻想的な光のカーテンが揺蕩っている。色とりどりの魚たちが、その神秘的な光の中を優雅に、そして自由に泳ぎ抜けていく様は、何度見ても心が洗われるようだ。慣れた足取りで海底を探索し、宝の眠るカバーコーラルの塊を探す。波に削られた岩陰、ひっそりと隠された窪んだ土地、細かな砂が静かに堆積している場所…。これまでの経験で培った、研ぎ澄まされた勘だけを頼りに、いつものポイントを順に巡っていく。
しばらく探索を続けていると、ふと、見慣れた大きな岩が視界に飛び込んできた。普段、疲れた体を休めるために海から上がり、腰を下ろす、まさに俺の特等席だ。その岩の根元に、明らかな、そして尋常ではない違和感を感じた。いつもなら滑らかな白いサンゴ砂に覆われているはずの場所に、不自然なほど巨大な影ができている。近づいてみると、それは巨大なカバーコーラルの塊だった。これまでに引き上げてきたどの塊よりも遥かに大きく、まるで小さな岩塊がそのまま珊瑚に飲み込まれたかのようだ。どうやら、岩の一部が長い時間をかけて波に削られ、その下からこの桁外れの巨大な塊が、ついにその姿を現したらしい。
「これは…化け物か…!」
驚きに息を呑む。こんなにも大きな塊が、今まで誰にも気づかれずに、ここに、俺のすぐそばに眠っていたとは。中に秘められているものが、並々ならぬ、文字通り「お宝」であることを強烈に予感させる。豪商鞄の重量軽減能力を最大限、いや限界まで活用し、その巨大な塊を慎重に、しかし確実な動作で鞄の中へと押し込む。ずっしりとした、しかし抗いがたい重みが肩にかかる。それでも一人で持ち運べるのは、この神下賜品が、まさに神から与えられた奇跡の道具だからだ。
今日の宝探しは、この一つで十分すぎるほどの、いや、想像を遥かに超える成果だ。期待に胸をいっぱいに膨らませながら、俺は海面へと勢いよく浮上し、眩しい太陽の下、興奮冷めやらぬまま浜辺へと戻った。
体が潮風で乾くのを待ち、砂だらけになった海王鎧を解除して普段着に着替える。砂を払い落とし、豪商鞄をしっかりと担ぎ直す。向かう先は一つ、この街で最も信頼できる場所、そして俺の宝の価値を見抜いてくれる場所、古道具屋だ。
街の白い漆喰の壁と、夕日に染まったような素焼瓦の屋根を見上げながら歩く。昼時の街は相変わらず活気に満ちており、様々な露店から立ち上る香ばしい匂いや、人々の楽しげな声が耳に心地よく響く。逸る気持ちを抑えつつ、通い慣れた古道具屋の前に立つ。大きな両開き戸が開け放たれており、店の奥には、今日もカウンター越しに客を迎えるルレットの姿が見えた。
「いらっしゃいませ♪…って、あんたかよ、私の愛想を返せ」
カウンターの向こうから、いつもの、少し呆れたような、しかしどこか親しみのあるルレットの声が迎える。俺は苦笑しながら、カウンターの上に、今日の桁外れの巨大な獲物を、どっしりと置いた。
「今日の掘り出し物だ。見てくれ、この大きさ。今までで一番だ。もしかしたら、街一番かもな!」
俺の言葉に、ルレットは一瞬、その巨大な塊に目を見開いた。その驚きは、いつもの仏頂面をも崩すほどだった。しかし、すぐに彼女は表情を取り繕い、いつもの仏頂面に戻った。だが、その目の奥には、隠しきれない、強い好奇心の色がキラリと光っているのを俺は見逃さなかった。
「へぇ、随分大きいじゃない。でも大きいからって良い物とは限らないわよ。ガラクタが詰まってるだけかもしれないでしょ。期待外れってこと、よくあるんだから」
そう言いながら、彼女はカウンターの隅に置いてある、使い古された革表紙の航海日誌を少しずらし、鑑定用の丸い虫眼鏡を、まるで儀式のように手に取った。
「真の姿を表わせ」
ルレットが鑑定の呪文を唱えると、カバーコーラルの表面がパリパリと、乾いた音を立てて剥がれ落ち始める。その下から現れたのは…鈍い金属の光沢を放つ、古びた宝箱だった。表面には複雑な、しかし長い年月のうちに摩耗した模様が刻まれており、鍵穴は深く錆びついている。
「宝箱…!?本当に宝箱だなんて…!」
ルレットも、さすがに驚きを隠せない様子だ。宝箱はカウンターの上に、確かな重みを持って静かに着地した。予想外、しかし最高の展開に、俺の心臓は高鳴りを抑えられない。金銀財宝か?それとも、失われた古代技術の、とんでもない品か?
「まさか、本当に宝箱が出てくるとはね。これは…期待できるかも。開けてみましょうか」
ルレットは店の奥から、宝箱を開けるための道具一式を素早く取り出し、手際よく作業を始めた。古びた金属が軋む、重々しい音が響き渡る。重い蓋が、長い沈黙を破るようにゆっくりと開くと、宝箱の中には、期待した金銀財宝ではなく、一枚の古びた羊皮紙が、静かに収まっていた。
「地図…?」
宝箱の中身は、金貨でも宝石でもなく、たった一枚の地図だった。羊皮紙には、見慣れない海岸線や、複雑な地形が、繊細な線で描かれている。一見したところ、この街がある大陸の地図ではないようだ。
「なんだ、地図か…」金銀財宝を期待していた俺は、思わず、少しがっかりした声を漏らした。
「でも、これ…」ルレットが、地図の端にある妙な形をした四つの穴を指差した。「この穴…」
その穴を見て、俺の脳裏に、強烈な既視感が稲妻のように走った。どこかで、つい最近、全く同じ形の穴を見たような…。
「この穴…どこかで…そうだ!」
俺は、ルレットがカウンターの隅に置いたままにしていた、あの使い古された革表紙の古い航海日誌に目をやった。そうだ、あの航海日誌に挟まっていた、色褪せた紙にも、同じような形の穴が空いていたはずだ!
航海日誌を開き、埃っぽい紙を慎重に取り出す。地図の端にある穴と、航海日誌の紙の穴を重ね合わせてみる。
「…ぴったりだ…!信じられない…」
二つの穴は、まるで最初から一つのパズルのピースだったかのように、寸分の狂いもなく、完璧に重なった。
「これってどういうことなの?」ルレットが、驚きと疑問、そして少しの興奮が入り混じった表情で首を傾げる。
「この地図は…この航海日誌の地図と対になるものかもしれない!あるいは、この航海日誌そのものと関連がある…!」
俺は地図と航海日誌の紙を並べてみた。地図に描かれた見慣れない地形と、航海日誌に記された航路や地名。二つを丹念に、そして必死に照らし合わせていると、あることに気づいた。
「この地形…まさか…そんなはずは…」
地図に描かれた海岸線や岩場の配置が、カレンティア周辺の海域に酷似しているのだ。ただし、詳細な形状や、海底の様子が、現在のものとは微妙に、あるいは大きく異なっている。まるで、遠い過去の、あるいは何らかの力が加わった後の地形図のようだ。
「これ、近くの海域の地図じゃないか?でも、なんでこんなに違うんだ…?まるで、別の時代の地図みたいだ…いや、それだけじゃない…」
俺が混乱し、思考を巡らせていると、店の奥からルレットの父親である古道具屋の主人が、静かに、しかし確かな足取りで出てきた。彼は俺たちの騒ぎ声、いや、興奮した様子を聞きつけたのだろう。彼はカウンターの上の地図と航海日誌を一瞥すると、顎に手を当てて深く考え込んだ。その目は、遠い過去を見つめているかのようだ。
「その地図…おそらく、海底神殿のものだろう」
主人の言葉に、俺とルレットは同時に、そして強く驚きの声を上げた。海底神殿?そんなものが、この近く、このカレンティアの海の底にあるというのか?
「海底神殿…ですか?」
「ああ。そして、そこに描かれている地形の差異は、おそらく神殿の影響だろう。神殿が、周囲の環境に何らかの、強力な干渉をしているのかもしれん。あるいは…神殿そのものが、失われた古代技術の産物で、地形そのものを変えてしまうような、途方もない力を持っている可能性もある」
主人は地図を指差しながら続けた。その表情は真剣そのものだ。彼の言葉には、長年古道具屋を営んできた者だけが持つ、深い知識と経験に裏打ちされた重みがあった。
「だが、問題はそこじゃない。この神殿の場所だ…」
主人の指差した場所は、地図上、カレンティアの沖合にあたる場所だった。しかし、そこには巨大な、そして不気味な渦巻きが、見る者の心を凍てつかせるように描かれている。
「これは…カレントの怒り…」
ルレットが、恐怖に息を呑む音が聞こえた。カレントの怒り。水泳の神カレントの怒りとも言われる、この海域に存在する巨大な大渦だ。その激しい流れと予測不能な動きから、通過は不可能に近いと言われ、多くの船乗りが恐れ、決して近づこうとしない場所だ。
「この神殿は、カレントの怒りの…その、向こう側にあるということか…」
主人の言葉に、俺は立ち尽くした。宝箱、海底神殿の地図、そして、行く手を阻む、文字通り命懸けの試練、巨大な大渦「カレントの怒り」。一気に押し寄せた情報と、目の前に立ちはだかる困難の大きさに、頭の中が混乱し、思考が停止しそうになる。
「カレントの怒りを通り抜けるなんて…普通の船じゃ絶対無理だわ…生きて帰ってこれない…」ルレットが、青ざめた顔で不安そうに呟く。
どうすれば…?この地図が示す海底神殿へ行くには、あの恐ろしい大渦を越えなければならない。カレントの怒りを通り抜ける方法を知っている人物…。そんな人間が、この街にいるだろうか?
俺の頭に、一人の漁師の顔が鮮明に、そして希望の光のように浮かんだ。
「シゲさんに聞いてみるか」俺は思わず、その名を口にした。地元の漁師の彼なら、何か知っているかもしれない。
「シゲさん?もしかして、渦越えのシーゲルのことか?」古道具屋の主人が、俺の呟きを聞き、ハッとした様子で言った。彼の目には、驚きと、そして微かな希望の色が浮かんでいる。
「渦超え?なんですかそれは?」
俺の問に主人は顎髭を撫でながら、遠い目をしている。その瞳の奥には、過去の出来事が鮮やかに蘇っているかのようだ。
「渦越えのシーゲル…懐かしい呼び名だ。若い奴らはもう知らんだろうがな…」
彼はゆっくりと、まるで伝説を語るかのように話し始めた。
「あれは、確か…十年ほど前だったか。あの年は、カレンティア近郊の海はひどい不漁でな。なんでも、巨大なシードラゴンがこの海域に住み着いて、魚を食い荒らしていたとか… 漁師たちは皆、網を下ろしても何も獲れず、飢えに苦しんでいた。そんな絶望的な状況の中、シーゲルが言ったんだ。『カレントの怒りの向こう側に行ってみる』と。あの渦の向こうの海域なら、シードラゴンもいないだろう、と」
ルレットが、その話に引き込まれるように息を呑む。その目は、不安と同時に、冒険譚を聞く子供のように輝いている。
「カレントの怒り…!?そんな危険な場所に…」
「ああ。皆、無謀だと、正気の沙汰ではないと止めたさ。命を捨てるようなものだと。だが、シーゲルは聞かなかった。そして、奥さんのハンナさんと二人で、小さな漁船で、あの渦へと、文字通り突っ込んでいったんだ」
主人はそこで言葉を区切り、静かに息を吐いた。その沈黙が、当時の緊迫感、そしてシーゲルの決意の固さを物語っているようだ。
「数日後…皆がもうダメだと、諦めかけていた頃だった。水平線の向こうに、見慣れた小さな漁船が現れたんだ。そして…船いっぱいの魚を積んでな。あの年の不漁が嘘のような、信じられないほどの大漁だったそうだ」
「奥さんと二人で…どうやって、あの、カレントの怒りを…」ルレットが、驚きと畏敬の念が入り混じった表情で呟く。その声には、かすかな興奮の色が混じっている。
「詳しいことは、俺も聞いちゃいない。シーゲルも多くは語らなかった。だが、噂では…シーゲルの、長年培った巧みな操舵の腕と、奥さんのハンナさんの、あの筋力の神の加護による桁外れの怪力でな…渦の中で、まるで生き物のように帆を巧みに操り、嵐のような波を乗り越えたとか…」
主人は苦笑いを浮かべた。その話は、まるで神話か伝説のようだ。しかし、目の前にいるシゲさんを知っているだけに、全くの絵空事とは思えない。
「まあ、真偽のほどは定かではないが、それ以来、シーゲルは『渦越えのシーゲル』と呼ばれるようになった。彼なら…あのカレントの怒りの向こう側へ行く術を、そして海底神殿への道を知っているかもしれん」
俺は主人の話に、ただただ聞き入っていた。シゲさんとハンナさんが、そんな途方もない偉業を、夫婦二人で成し遂げていたとは。彼らの、あの穏やかで、どこにでもいる夫婦といった雰囲気からは想像もつかない、秘められた力と、そして深い絆。
この宝箱から出てきた地図が示す海底神殿。そして、それを阻む、誰もが恐れるカレントの怒り。そして、その渦を、夫婦二人で越えた男、シゲさん。点と点が、まるで運命の糸のように、確かに線で繋がり始めた気がした。
シゲさんに相談するしかない。この宝箱から出てきた地図のことも、海底神殿のことも、そしてカレントの怒りのことも。彼なら、きっと、この前人未踏の地へ行くための、何かを知っているはずだ。
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