4-2 地平線の果ての再会

 舞い落ちる粉雪に、冬の陽が揺れる。


 東の地平線の果てで、二人の男が向かい合う。

「どうも、こんにちは」

 ウィルバート・ソドーの鋭い眼光に、ミッコは反射的に会釈した。しかし、ウィルバート・ソドーからの返事はなかった。

 向かい合う二人を中心にして、不穏な空気が伝播していく。

 ミッコは何事かと身構える酒場の親父の視線を右目で追った。他には五人いるのだろうか、静かな、しかし確かな息遣いはすでに周囲を取り囲んでいる。

 完全に後手に回っていた。今、構えることはできなかった。下手に動けば、その瞬間に手を切られるのは間違いなかった。

 そのときだった。また、知っている声がミッコを呼んだ。

「場所を変えよう、ミッコ」

 懐かしいその声に、ミッコは思わず振り返った。振り返った先には、戦友がいた。

「ヤリか? 何でお前がこんなところに?」

「ストロムブラード隊長のご命令だよ。お前とソドー殿のご令嬢を探していた」

 黒騎兵オールブラックスの戦友であり、また部族の同胞でもあった毒手ヘイトブリーダーのヤリは、そう言うとミッコを篝火のそばに促した。その服装は黒騎兵オールブラックス時代の胸甲騎兵の軍装ではなく、騎馬民の旅装だった。

 集団は全部で六人いた。ウィルバート・ソドーとヤリを除く四人のうち、二人は黒騎兵オールブラックスの兵士であり、部族の年長者であるユッカとトニだった。残る二人──若い騎士と、老練の騎士──は、ウィルバート・ソドーの部下のようだった。


 ミッコはヤリに促され、篝火で暖を取った。

「それにしても、よく見つけられたな」

「お前、自分が思ってるほど地味じゃないぞ」

 ヤリは疲れた顔で、どこかで聞いたような台詞を呟いた。

「追手はどのくらいいたんだ?」

「最初は黒騎兵オールブラックス総出で捜索した。国境越えがわかったあと、千騎から百騎選抜して越境した。その後はいろいろあって、俺ら六人が最後の部隊になった。一応、俺がこの集団の指揮官だ」

「残りはどうしたんだ?」

「死んだり、消えたり、まぁいろいろだ。帰せる部隊は帰したりもしたし」

 ヤリはため息をつきながら、毛皮の兜の毛をむしっていた。会話の最中、ヤリはずっと疲れた顔をしていた。髪には白い物が混じり、その目も落ち窪んでいた。年齢は同じ二十一歳だが、その姿はミッコが覚えている以前よりも遥かに老け込んでしまっていた。

「お前の勝手のせいでいろいろと失っちまった。今じゃ黒騎兵オールブラックスは寝取られ部隊呼ばわりだ。もちろん、ウィルバート殿やソドー家のメンツも潰した」

 しんみりと呟く戦友の言葉に、ミッコは初めて自身の行動が引き起こした結果について想像するに至った。エミリーを奪ったときも、旅の最中も、ミッコは周りのことなど何も考えていなかった。

「ストロムブラード隊長……、オジアス殿も婚約者を奪われ、随分と肩身の狭い思いをしてる。でも、最後までお前に対する恨み言はなかった。できた人だよ」

「ふん、あんな奴……」

 死線を共にしてきた戦友がオジアス・ストロムブラードを擁護するのが気にいらず、ミッコはいつものように唾を吐き捨てた。まるで自分がただの考えなし──事実、そうなのだが──だと言われているような気がした。

「ストロムブラード隊長には二つ命令を受けている。まず、人攫いの罪でお前には死んでもらう」

 ヤリはまた疲れた顔で言った。ミッコは思わず身構えた。ミッコの両脇には、同胞のユッカとトニがいた。二人はすぐにでもミッコを取り押さえられる位置に立っていた。

「安心しろよ。これは建前上の話だ。何だかんだ、お前は俺の友達だった。それに、部族の最後の後継者でもあった。殺すのは忍びない。だから、戻ってさえこなきゃいい。戻ってさえこなきゃ、あとは好きにしろ。時間が経てば、人は忘れるから」

「命令違反じゃないか?」

「死体が上がらず消えるなんて珍しいことでもないだろ? 適当に誤魔化すさ。オジアス殿が確認できるわけでもないし」

 ヤリの言葉に、ミッコは思わず笑ったが、当のヤリは疲れた顔のままだった。

「正直言うと、こんな地平線の果てでお前が生きていようが死んでいようが、俺はもうどうでもいいんだ。問題はもう一つの命令だ」

 ヤリは言葉をかみ締めながら、深くため息をついた。

「エミリーとはどこで別れた? それさえわかれば、お前のことなど、どうでもいい」

 ヤリに代わり、ウィルバート・ソドーが口を開いた。娘の名を口にする父親の言葉には、形容し得ぬ重みがあった。わずかな沈黙には、陰鬱な空気が充満していた。

「あなたはエミリーを追ってわざわざこんな辺境まで?」

「そうだ。俺の娘だからな」

 言い切るウィルバート・ソドーの目には一切の迷いがなかった。彼は今、この場にいる誰よりも燃えていた。

「ウィルバート殿は娘さんを見つけるためにソドー家の家督を放棄してここまで来た。ストロムブラード隊長からの二つ目の命令は、ウィルバート殿を無事に国に帰還させることだ」

 篝火を眺めていたヤリが、ウィルバート・ソドーの横に立った。疲れていたヤリは兵士の表情を取り戻していた。

「エミリーを連れ戻すので?」

「人の娘を連れ去っておきながら一緒にいないお前に話してもしょうがないだろう」

 ミッコの目を真っすぐに見ながら、ウィルバート・ソドーは吐き捨てた。

「別れもなしに子供を失う親の気持ちがお前にわかるか?」

 随分とどすの効いた声色が腹に響いた。それは意志を伝えるには十分だった。


 また、重い沈黙が風に流れた。ミッコはまた、自身の行動が引き起こした事の顛末に思いを馳せた。


「エミリーは、狼王の遺児フーに奪われました」


 そしてしばらくの沈黙のあと、ミッコはエミリーとの別れの顛末を語った。


 ミッコの言葉にヤリは頭を抱えた。他の者も似たような反応だったが、唯一ウィルバート・ソドーだけは冷静だった。

「状況はわかった。じゃあ、お前は消えていいぞ」

 ウィルバート・ソドーはミッコに対しそれだけ吐き捨てると、同行者たちとの会話に移っていた。

「ヤリ殿、私はフーを追います。ストロムブラード殿の命令の一つは果たされた。これ以上、私のわがままに付き合ってもらっては申し訳ない。もうお帰り下さい」

「ストロムブラード隊長からあなたを死なさぬよう命令を受けています。難しい状況ですが、最後まで付き合いますよ」

 互いに目配せするウィルバート・ソドーとヤリの言葉には覚悟があった。残る四人も、無言のうちに頷いていた。


「ちょっと待て。エミリーを助けるのは俺だ」

 独り放置されたミッコは、思わず首を突っ込んだ。

「お前、意見が言える立場だと思ってんのか? ここまで状況がめちゃくちゃになってんのはお前の責任なんだぞ」

 途端に不機嫌になるヤリはミッコに噛みついてきたが、ウィルバート・ソドーはそれを目で制した。

「助けると言ったな? では、何か考えはあるのか?」

「奴は戦場にいる。だから次の戦場を目指す。フーの居場所さえわかれば、あとは隙を見てエミリーを探し出すだけだ」

戦狼たちストレートエッジ・コサックは人並み外れた戦闘集団であろう。しかも、戦争中で気が立っている。それに対し、どう対処し、エミリーを探し出す気だ?」

「戦闘中、会戦を見計らって後方の宿営に忍び込む。大規模会戦中なら手練れは粗方出払ってるだろうし」

「独りで潜り込む気か?」

「独りの方が見つかり難い」

「他には?」

「それだけで充分だろ」

 ミッコはウィルバート・ソドーの目を見ながら、堂々と答えた。

 しばらくの間、ミッコとウィルバート・ソドーは互いの目を合わせ向かい合った。そしてしばらくの沈黙のあと、ミッコはウィルバート・ソドーに左頬を引っ叩かれた。

「お前みたいなのが何事もなく敵中に忍び込めるとは思えんわ!」

 光を失った死角からの一撃は鋭く、重かった。

「自分のことをおとぎ話の英雄か何かと勘違いしてそうな奴に娘を任せる気はない! エミリーのもとに行く気なら、お前は俺の目の届く範囲にいてもらう!」

「ちょっと待って下さいウィルバート殿! こいつを連れていく気ですか!?」

 驚くヤリはウィルバート・ソドーに反論した。もちろん、他の四人も同様の反応だった。

「ヤリ殿。あなたと同じく、私も言いたいことは山ほどあります。ですが、こんな奴に娘を任せられません」

「まぁ、そりゃそうですけど……」

 ウィルバート・ソドーの言葉には妙な重みがあった。その重みに、ヤリも他の四人も、ミッコ自身もなぜか納得してしまっていた。ただ、あからさまに貶されているのは不満ではあった。


流れ風インソムニウムのミッコ! 今からお前は俺の指揮下に入れ! 目的が同じならば、お前にも戦ってもらう!」


 ウィルバート・ソドーの言葉は一方的で高圧的ではあったが、なぜか悪い気はしなかった。


 まるで、上官と部下のようだった。ウィルバート・ソドーとのやり取りは、兵士だった頃を思い出させた──試されているのなら、見返してやる──ミッコは今、エミリーを取り戻すことで、自らの力を証明してやろうという気になっていた。

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