2-7 塔の麓のデグチャレフ①

 北から吹く夏風が、雑木林の影にそよぐ。


 なぜ子供たちについて行ったのかはわからない。しかし、二人がエミリーを心配してくれていることは伝わった。だからミッコは手招きする二人の案内に従った。

 エミリーを背負い、二頭の馬の手綱を引きながら、ミッコは二人の子供のあとを追った。

 その距離感から、二人はやはり兄と妹のようだった。

 ミッコは話しかけたが、子供たちと言葉は通じなかった。大陸共通語はもちろん、〈東の覇王プレスター・ジョン〉の侵攻と共に広まった東の古語さえ通じないという状況に、ミッコは辿ってきた旅路の長さを改めて感じた。


 雑木林の影に、夏の陽射しが薄れていく。やがて木陰が消え、夏の夕暮れが目の前に開ける。

 無数の明るい声色が、風に乗って流れてくる。

 子供たちの道案内のもと、草原から雑木林を抜けた先には集落があった。

 のどかな田舎の風景だった。城門や壁はなく、警備の兵もほとんど見られない。白を基調とした集落の中心には一回り大きな礼拝所があり、頭頂部には〈神の依り代たる十字架〉の像がある。その背後、北の山々の稜線沿いには、無数の塔の影が夕焼けに燃えている。


 道案内をしてくれた兄妹が何かを言い残し駆けていく。すぐに、聖職者の老人と、前時代的な武装をした警備兵数人がやってくる。聖職者の老人と話す兄妹は、やはり大陸共通語とも東の古語とも違う言葉を話している。

 とりあえず、ミッコは共通語と東の古語を交えて挨拶をした。

「あ、大陸共通語でいいですよ。私は東の古語は苦手なので」

 しかし、相手は共通語で挨拶を返してきた。

「この村で神父をしています、クリスティアン・マルーンと申します。旅人よ、ようこそいらっしゃいました」

 腰の曲がった老人は丁寧に一礼すると、村について説明を始めた。

 塔の麓にあるこの集落は、デグチャレフという村だった。地図上では、滅びた〈塔の国〉の南部国境付近、アンナリーゼが示してくれた地と合致する位置にあった。

 ミッコは旅の経緯を話し、マルーン神父と警備兵に通行証を見せた。

「あぁ、赤いウサギの紋章、赤の親父が発行した通行証ですね」

「えぇ。旅の道中で一緒になりました。アンナリーゼ殿とは知り合いなので?」

「知ってるといえば知ってますが、アンナリーゼが赤の親父の九代目を襲名したときに顔を合わせたぐらいです。まぁ、単に取引先の一つという関係性ですかね」

 マルーン神父は淡々としていた。恐らく、アンナリーゼも数いる奴隷商人の一人という認識なのだろう。

 通行証を見せたことで、ミッコたちは警戒されることもなく守衛所で休むことができた。ミッコは長椅子の上にエミリーの体を横たえた。すると道案内をしてくれた兄妹は、またエミリーを見守り始めた。

「二人は兄妹でしてね。兄はハンター、妹はメイジといいます。兄は狩りが趣味で、妹は神秘の教えを学んでいます。二人ともまだ十歳ほどですが、よくできた子供たちですよ」

 それは名前とは違うのではないかとも思ったが、ミッコは相づちを打つだけに留めた。少なくとも、二人を見るマルーン神父の目は優しかった。

神の学徒ソウルズという名を聞いたことありますか? 外の人から見れば、確かにここは〈嵐の旅団コサック〉の勢力圏にありますが、しかしアンナリーゼたち地域社会コミュニティのような俗人の寄り合いでもなければ、戦狼たちストレートエッジのような狂った蛮族でもない。我らは神の教えの許に高度な自治を行う、独立した共同体なのです」

 今にも死にそうな見た目に反し、マルーン神父は随分と饒舌だった。

「もう七十年以上前になりましょうか。私は家族とともに、世俗化し、悪しき信仰に染まってしまった〈教会〉から離反し、真の教えを求め東に来ました。そしてこの村を拠点とし、探究を続けました。そして〈塔の国〉の女王の神秘と邂逅したのです」

 長々と神を解くマルーン神父を前に、ミッコはにわかに警戒感を強めた。〈教会〉という国家をこき下ろし、自らの信仰の正統性を唱える彼はつまり、〈嵐の旅団コサック〉を構成する群れ──騎馬民、亡命貴族、東部入植者の生き残り、そして狂信者──の中で、ミッコが最も理解できない部類の人間である可能性が高い。

「〈神の奇跡〉をご存知ですか? 〈教会〉の伝承に語られる、〈東からの災厄タタール〉を打ち払った救国の大魔法です」

 訊ねられたが、ミッコは沈黙を返答とした。〈教会〉で生まれ育ち、それなりの信仰心があるエミリーならともかく、神だの魔法だのについて、ミッコの見識は浅い。そもそもこの手の類は、話したいことを話すだけで、人の言葉を聞く耳を持たない。

「しかし奴らの吹聴するそれは、自らの政治権力を取り繕うためのまやかしです。奴らの探究するそれは、〈神の奇跡〉どころか、〈神々の児戯〉にすら及ばない代物です。そもそも自らの秘匿にてその本質は完全に失われているのだから、探究もクソもあったものでもないのに」

 その後もマルーン神父の話は続いたが、ミッコはほとんど聞いていなかった。ミッコは聞く素振りをしながら、村の様子を窺った。住人の数、家屋の位置、警備兵の装備……。いつでも逃げ出せるように、心の準備は整えておいた

「ところで、お連れの女性、随分と憔悴しているようですが、何かあったのですか? よければ容態を確認させていただいても?」

「心遣いには感謝しますが、結構です」

「そうですか……」

 マルーン神父は残念そうに呟くと、「ゆっくりしていって下さい」と言い残して席を立った。ハンターとメイジ、二人の子供たちもマルーン神父のあとを追って去っていった。


 礼を言いながらも、ミッコは今すぐにでもこの村を立ち去ろうと考えていた。そんなとき、よれた鎖帷子を着る警備兵が酒を差し出してきた。

「話が長くなってすまなかったな旅人さん。いかんせん外との交流が少ないもんで、神父も話し相手ができて嬉しかったんだよ」

 警備兵の一人、目尻の皺以外は未だ壮健な老兵は、ジェリコと名乗った。彼ら警備兵の何人かは地元民ではなく、東部入植者の子孫だと言った。

「なぁ、アンナリーゼたちは元気でやってるのか?」

「知り合いなので?」

「本人と直接面識はないけど、傭兵だった頃に先代とは付き合いがあってな。それに、こんな僻地でも地域社会コミュニティとは一定の付き合いもある。気になったんだ」

 懐かしそうな眼をするジェリコを前に、ミッコは返答を躊躇った。ただ、隠しても仕方ないとは思った。

「アンナリーゼとアリアンナは生きています。ただ、次女のアデーラは死にました。戦狼たちストレートエッジとの戦闘中、狼王の遺児のフーの手で……」

「本当か? 残念だな……。三姉妹で力を合わせて家業を切り盛りしてるって聞いてたから……」

 ジェリコは禿げ頭をかいたあと、一息に酒を飲んだ。

 フーとアンナリーゼの戦闘の経緯を話すと、警備兵たちは静かに騒めいた。何人かは、事の生々しさに明らかに動揺していた。

「フーは地域社会コミュニティだけじゃなく、〈帝国〉にまで喧嘩を吹っかけてるのか? 相変わらず見境ない連中だな。ここは基本中立の派閥だから、飛び火しないといいけど」

「こちらもお聞きしたいのですが、連中は何であんなに好戦的なんで? 身内で争っている分にはわかりますが、明らかに力の差がある〈帝国〉にまで攻撃を仕掛けるなんて、常軌を逸してるとしか思えません」

「うーん。よくわからんが、奴らにも奴らなりの信念があるんだろう」

 元〈嵐の旅団コサック〉の傭兵ということでミッコは訊ねてみたが、返ってくるのはどれも噂話程度のものだった。

「奴らは王になりたいらしい。古の〈東の覇王プレスター・ジョン〉のような、全てを武断する生き方を……」

 王となる──戦場を縦横無尽に駆け巡り、幾多の勇者を嬲り殺し、貴賤を問わず美女を犯し尽くし、あらゆる文明の金銀財宝を略奪する──そんなことを本気で信奉しているのなら、フーたちは確かに頭がイカレているとしか言いようがなかった。一方で、帝国軍に従軍していた自らの父も同じような人間であったことをミッコは思い出した。

 結局、〈東の覇王プレスター・ジョン〉の血脈がそうさせるのかもしれない──何となく、そんなことを思った。


「なぁ、連れの嬢ちゃん、診てもらった方がいいんじゃないか? 今にも死にそうな顔してるぞ」

 心配してくれるジェリコの言葉はありがたかった。ただ、未だ残る警戒感からミッコは言葉を濁した。

「警戒するのはわかるよ。マルーン神父は確かに〈神の依り代たる十字架〉の信仰に熱心過ぎるからな。でも、それを周りに強制することはない。それに俺たちみたいな兵士とは違って、確かな学と知識がある」

 訥々と説くジェリコに、周りも相づちを打つ。

「あんたも兵士だろ? なら、できることは限られてるのはわかってるんじゃないか?」

 老兵の言葉には重みがあった。ジェリコの言葉に、ミッコは小さく頷いた。

 ミッコは二十一年の人生の大半を戦場で過ごした。その過程で、多くの死を見た。敵味方問わず、死を受け入れることはしてきたが、助けたことはなかった。だからエミリーをどう助ければいいかは、やはりわからなかった。

「あの子たち、この村の地元民は〈塔の国〉の末裔だ。よくわからんが、特に女には神秘の能力があるってマルーン神父は言ってる。伝承に語られるような、魔法の類を顕在させる力だ」

 〈嵐の旅団コサック〉の迷信について、ミッコはほとんどうんざりしていた。ただ、ジェリコの思いはよくわかった。

「何より、あの子たちは力になりたいと思ってるはずだよ」

 エミリーを介抱するハンターとメイジを見ながら、ジェリコは言った。


 ミッコは横たわるエミリーに目をやった。その表情は、ほとんど死んでいるように穏やかだった。そしてそれを見守る二人の子供の気持ちは、言葉が通じなくともひしひしと伝わってきた。


 この村の連中は人が良すぎる──拭えぬ警戒心の片隅でミッコは迷い、頭を抱えた。

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