1-7 赤の親父アンナリーゼ

 行き交う雑踏の間を風が流れる。


 一夜明け、ミッコとエミリーはサコーの街の市場へと出かけた。〈帝国〉の最東端、東部交易路の玄関口は、寂れた色をしつつも無秩序な活気に溢れていた。


 ミッコは買い出しのついでに、赤の親父と呼ばれる奴隷商人に話だけでも聞いてみようとエミリーに提案したが、やはり反対された。

 意見は割れたが、それでも市場を巡る二人の足は軽やかだった。しかしその話題が切り替わる前に、赤いウサギの紋章は市場にその姿を現した。

 赤いウサギの紋章が雑踏の中で客を呼ぶ。視認した瞬間、二人の繋ぐ手にも思わず力が入る。しかし意外なことに、売り物の中に奴隷はいなかった。露店で扱っている物の大半は武具だった。

 取り扱う武具は量が多いだけでなく、軍に卸しても遜色ないほど質のいい物ばかりだった。客引きの女も随分と身なりがよく、資金力の豊富さを窺わせた。

 自ら刀剣や銃火器を手に取り、果ては硝石や火薬の売り込みまでする客引きの女は随分と商品知識が豊富だった。ミッコは素直に感心したが、エミリーはあまり話し込むなといった顔をしていた。


 客引きの女を含め、露店には三人の女がいた。三姉妹だろうか、三人はよく似ていた。ミッコよりもいくつか年長と思しき客引きの女は、商人というよりは淑女といった雰囲気だった。露店の奥にいるミッコと同じ年齢と思しき女は、帳簿を片手に荷を捌いていた。そしてエミリーと同年代と思しき最も若い女は、男たちと雑談に興じていた。彼女だけは他の二人と違い、随分と頭の軽そうな女だった。


 ミッコは商品を眺めつつ、客引きの女から赤の親父についての情報を引き出そうと探りを入れた。しかし向こうもまたミッコのことを探っていた。

「ところで、あなた随分と腕が立ちそうだけど、用心棒の仕事に興味ない? 実は隊商の護衛を募集してるのよ。もちろん三食付きで給金も保証するわ」

「悪いが仕事は探してない」

「そう、それは残念ね。黒騎兵オールブラックスのお兄さん」

 女のその一言にミッコは思わず身構えた。手は腰に提げるウォーピックを握っていた。互いの距離は近い。その気になれば、瞬きの間にウォーピックを振り下ろすことはできる。しかし目の前の女の物腰は変わらず柔らかなままである。

「噂は知ってる? あなた、自分が思ってるほど地味じゃないわよ?」

 女は笑ったが、場の空気は張り詰めていた。気づけば、市場の雑踏にぽっかりと空間が生まれていた。ミッコとエミリーは彼女の部下と思しき男たちにすでに取り囲まれていた。

面子メンツを潰されたオジアス・ストロムブラード将軍はあなたのことを凄く恨んでいるでしょうね。新任隊長とはいえ、部下に婚約者を寝取られるなんて、男としては屈辱以外の何物でもないでしょうし」

「おいおい、さっきから何言ってんだあんた」

「心配しないで。あなたたちの逃避行を邪魔する意図はない。私たちは交渉がしたいの」

 女の一声で周囲の圧は引いた。ただ、この手のことには慣れているのか、抜かりは一切見られない。

「まず名乗らなかった非礼をお詫びします。私は赤の親父アンナリーゼ。東にあるイズマッシュという都市の商人で、主に奴隷売買を家業とする赤の親父の九代目当主です。もしあなたたちがここからさらに東へ行くのなら、力になれると思います。もちろん、あなたたちの力も貸してもらうことになるけど」

 女は名乗ると、丁寧に一礼した。その物腰はやはり柔らかだった。

 アンナリーゼは、九代目の赤の親父は三姉妹であり、自らが長女、隊商の戦闘を指揮するアデーラが次女、商品管理を担当するアリアンナが三女だと紹介した。そして現在、戦狼たちストレートエッジ・コサックとの対立が激化していることから、その備えを強化していると話した。


 こちらが向こうを探していたように、向こうもまたこちらを探していた。そして相手はミッコたちよりも遥かに交渉に長けていた。利害こそ一致していたものの、この時点で二人に残された選択肢は多くはなかった。しかしエミリーは剣の柄に手をかけたままだった。

「協力してほしいだなんて言っても騙されないんだから。私たちの素性がわかってるなら、私たちを売らない保証なんてないでしょ?」

「確かに、ストロムブラード将軍やあなたのお父上に身柄を引き渡せば報酬は貰えるでしょう。でも今は戦狼たちストレートエッジへの備えが最重要課題なの。小金稼ぎに労力を費やす時間はないし、そんな気もない。信用してくれとしか言えないけど、そこは信じてほしい」

「この状況で信用なんてできると思うわけ? 何が交渉よ。こんなのただの脅しじゃない」

「対等な交渉条件を望むなら、〈嵐の旅団コサック〉の領土内で使える通行証を雇う前に発行しましょう。それがあれば少なくとも地域社会コミュニティ・コサックの勢力圏での通行は保証される。これで少しは信用してもらえるかしら?」

「人を売るような商売してる奴の言うことなんて信用できないわ」

「……あなたが奴隷商人を嫌うのは構わない。でも私たちだって商人の端くれよ。取引をする以上、信用を裏切るようなことは絶対にしない」

 信用を口にするとき、アンナリーゼの眼光は鋭かった。しかしエミリーは頑として聞き入れようとはしなかった。

 アンナリーゼとエミリーとでは会話にならなかった。そんな中、業を煮やした三女のアリアンナがエミリーの前で溜め息をついた。

「ねぇお姉様。用があるのは黒騎兵オールブラックスのお兄さんの方なんだから、こっちの話のわからないお嬢様は別に売り飛ばしちゃってもいいんじゃないの?」

「おい、やれるもんならやってみろ。その前にお前殺すからな」

 エミリーが剣を抜く前に、ミッコは半歩前に出てアリアンナに凄んだ。

 刹那、睨み合いの間合いが一気に詰まる。張り詰める緊張の糸に、無数の殺気が絡み合う。

「下がりなさいアリアンナ」

 アンナリーゼの静かな一声が場を制する。男たちは互いに睨み合いつつ距離を取った。ただ、アリアンナの態度は相変わらず挑発的で、エミリーも剣の柄に手をかけたままだった。

「妹の非礼を許してください」

 アンナリーゼが深々と一礼する。その物腰はやはり柔らかで、少なくとも三姉妹の中では最も真摯である。

「仕事の話に戻りましょう。あなたたち二人はイズマッシュまで私たちの隊商を護衛し、私たちはイズマッシュまでの衣食住の保証と、地域社会コミュニティの勢力圏で使える通行証を発行する。イズマッシュに到着後は自由だし、もちろん二人を騙して売り飛ばすこともしない。あと給金は到着後の支払いでよければもう契約を結びたいんだけど、どう?」

「……ちょっと考えさせてくれないか?」

「悪いけど時間は無限じゃない。利害は一致しているし、条件も対等のはず。今ここで決めてくれない?」

 アンナリーゼは柔らかな口調で言い切った。ミッコはエミリーを見た。エミリーは首を横に振ったが、ミッコは東へ進むことこそが目的であると説いた。


 流れは決していた。交渉の初動の時点で二人は後手に回っており、どう足掻いても勝ち目はなかった。やがてエミリーも諦め、アンナリーゼの言葉を受け入れた。


 ミッコが契約を了承すると、アンナリーゼはまた丁寧に一礼し笑顔を見せた。

「二人ともありがとう。では傭兵契約に当たり、名前を教えてくれない?」

「その辺ももう知ってんじゃねぇのか?」

「建前上必要なのよ。教えてちょうだい」

「……俺はミッコ。こっちはエミリーだ」

「ミッコ。見たところあなたは騎馬民の血を引いていると思うんだけど、もしあるなら二つ名も教えてくれない? 〈帝国〉が同化政策を取ってるとはいっても、まだその伝統は残ってるんでしょ?」

 二つ名を教えてくれと言われミッコは躊躇った。アンナリーゼの言葉通り、確かに二つ名はあるのだが、ミッコは今まで自分から名乗ることはあまりしてこなかった。部族自体も〈帝国〉に臣従して時が経ち、事実上消滅している。

 アンナリーゼが赤の親父の二つ名を名乗るように、〈東の覇王プレスター・ジョン〉の末裔につらなる騎馬民の男は、成人後に必ず二つ名を賜り名乗る。部族によって多少違いはあるが、それは家名とは別に、生き様を示すものとして個人に紐づいている。

 ふと、赤の親父のように襲名制の二つ名だったらよかったのにとミッコは思った。襲名制ならば、己の生き様をいちいち考える必要もない。ただ思ったところでミッコの部族は襲名制ではなかったし、今さらでしかなかった。

「……流れ風インソムニウム。……流れ風インソムニウムのミッコだ」

 気恥ずかしさを誤魔化すようにミッコは深く息を吐いた。アンナリーゼには「いい二つ名だ」と言われたが、あまり気分は晴れなかった。

「教えてくれてありがとう。それじゃあ改めてよろしくね、二人とも」

 アンナリーゼは一礼すると握手を求めてきた。単なる形式だとわかっていたのでミッコはさっさと済ませたが、エミリーは不満そうな表情を隠そうともしなかった。

 その後も仕事の詳細についての話が続いた。ミッコもいくつか質問したが、なぜ女であるアンナリーゼが赤の親父の二つ名を襲名し名乗っているのか、それについては訊かなかった。当主となったその事情については触れてはいけない気がした。エミリーが無自覚に触れてしまうかもしれないと思ったが、本人は奴隷商人たちへの反発からか、終始黙りこくっていた。


「地平線は死で満たされている。でも互いに手を繋げば、生き残れる。イズマッシュまでの道中、あなたたちは私たちを守り、私たちはあなたたちを守る。単純な約束よ」

 春風が市場を吹き抜ける。アンナリーゼが柔らかな笑みを浮かべるたび、市場の雑踏が賑わいを取り戻していく。


 流されるままに事は進んだ。まるで己の人生を俯瞰しているかのような気分にミッコはなった。ただ、良くも悪くも、人生はそんなものだとミッコは思っていた。

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