第99話 僕とみさきと金髪少女

 僕は家族も心配してしまうくらい眠らない人間なのだ。それでも、今日はここ数年で一番と言っていいくらい快適な睡眠と完璧な目覚めを体験することが出来た。隣にみさきがいるという事で緊張して眠れないのではないかと思っていたのだけれど、実際に隣に来てもらって寝てみたら、今まで不眠気味だったというのが何かの間違いだったのではないかというくらいに快眠を手に入れてしまったのだった。

 目が覚めてから結構時間は立っているような気もしているのだけれど、僕の腕を枕にしているみさきを起こしてしまう恐れがあるので体を動かすことが出来ない。空いている左手を使ってスマホを撮ることも出来るのだけれど、そんな事をしてしまったらみさきが起きてしまうのではないかと思うと何もすることが出来なかった。何もすることが出来ないけれど、今は可愛いみさきの寝顔を見ることが出来るのでこれ以上何かを望むというのは贅沢な事だと思ってみたりもした。

 この時間がいつまでも続けばいいのにと願っていたのだが、その願いもむなしくみさきは僕同様にスッキリとしたような目覚めを体験できたようで、朝の挨拶よりも先に僕にキスをしてきたのだった。僕もそれに対して同じように返事を返していたのだった。


 僕とみさきは朝の支度を軽く済ませ、食堂へと向かうことにした。食堂に入る時に昨日のお姉さんたちが入れ違いになる形で出てきたのだが、僕に絡んできたお姉さん二人は僕の方を見ずに挨拶をしていた。僕はそれに対して特に思う事なんて無かったのだけれど、もう一人のお姉さんが軽く謝ってきたのは印象的だった。ただ、そのお姉さんもなぜかみさきに対してはなるべく目を合わせないようにしているようにも見えたのは気のせいだったのだろうか。

 用意されていた朝食は昨夜食べた食事と比べても遜色ないモノで、どれを得連でも外れの料理は無いように思えた。僕にも当然好き嫌いはあるので嫌いなものをわざわざ選ぶような事はしないのだが、それでも食べるか迷っているような物を手に取って口に運んでみると、意外とおいしいものなのだなという感想が真っ先に出てくるくらいには美味しかった。

 朝から食べ過ぎなのではないかと思うくらいに頂いてしまったのだが、当然僕たちだけでは用意されている物を食べきれるはずもなく、ビュッフェ会場には大量の料理が残ってしまっていた。だが、そうなることはもちろん想定されている事であるし、僕たちは昼間は近所を散策するという事を伝えていたという事もあって、残った料理の一部はお弁当として持たせてもらえることになったのだ。正直に言って、散策の時に何か食べるという発想が無かった僕たちはお弁当を作ってもらえるという事実にただただ感激するばかりであった。


 いったん部屋に戻ろうと思って食堂を出ると、旅館の人から新しい浴衣を手渡された。僕たちは浴衣を持ったまま部屋へと戻っていったのだが、これから自然の中を散策す津というのに思わず浴衣に着替えてしまいそうになったのは、我ながら面白かった。みさきはそんな馬鹿な真似はしなかったのだが、僕が浴衣に着替えようとして思いとどまっている姿を見て笑いをこらえているようにも見えていたのだった。


 僕たちは虫よけ対策と日焼け対策もして準備万端で外へ出ようと玄関で靴を履いていると、昨日のお姉さんたちがちょうど帰るところのようで同じタイミングで靴を履いていたのだった。

 一応、会話らしい会話はしているのだけれど、お互いになぜか視線を逸らしているのが不思議だった。そういう僕もあんまり目を見て話そうとは思うことが出来ず、不自然な方向を向いて話しているのが自分でも理解していた。理解はしているのだけれど、僕はそれをどうこうしようとは思ってはいなかった。


「えっと、あなた達はもう一泊するんだっけ?」

「予定ではそうなんですけど、ここの料理も温泉も良かったから予定よりも長くいるかもしれないです」

「そうなんだ。私達は知り合いにここを勧められてきたんだけど、その気持ちはよくわかるな。料理はどれも美味しかったし、温泉も気持ちよかったからね」

「そうですよね。私も病院の先生に勧められてここに来たんですけど、聞いていたよりも良かったんで嬉しかったです」

「私達は帰るけど、私達の分も楽しんでね」

「はい、久子さんたちも気を付けて帰ってくださいね」


 みさきもお姉さんたちも気まずそうに話をして言うのだが、なんとなく僕が思っている感じとは違って楽しそうにも見えていた。きっと、みさきの持っている自然と同性に好かれるという力が発揮されているのだろう。それとも、僕の知らないところで仲良くなっていたのかもしれないが、昨日の夜から今にかけてみさきが一人でどこかへ行っていた様子もない。もしも、みさきがお姉さんたちと仲良くなるとしたら、僕がお姉さんの部屋に行く前なのか、みさきとあのお姉さんが二人で温泉に行った時からなのかわからないが、僕のいないところで親密な関係になっていたという事ではないだろうか。


 僕たちはお姉さんたちを見送った後で本格的に散策を開始したのだが、なんとなく今日はいつもよりもみさきを身近に感じていたくなってしまい、集落の人が見ているかもしれないという事を考慮しても今すぐに手を繋ぎたいと思ってしまった。普段から手を繋ぐことはもちろんあるのだけれど、こうして僕から積極的に進んで行動するという事は割と珍しいんではないかと思う。珍しいには違いないのだが、お互いに自然と手を伸ばしていることが多いので、そこにはあまりこだわっても意味なんてないのかもしれない。ただ、今は僕がみさきと手を繋ぎたいという気持ちだけで十分なのだ。

 とりあえず、僕たちは昨日見れなかったところを中心に行ってみようということになって、今は温泉を目指すことにした。温泉はさすがにまだ営業はしていないようなのだが、昨日受付にいた女の人が掃き掃除をしていたのを見てしまった。この時間から働いているという事はあの女性はいったい一日に何時間働いているのか怖くなってしまい、僕は他人の労働時間なんて無駄に考えるのはやめようと思うことにした。


「温泉の奥に他の集落へと続く道があるみたいなんだけどさ、そこって今は誰も住んでいないみたいなんだよね。空き家があるだけで誰も住んでないって事らしいんだけど、もしかしたら野生の動物が棲みついているかもしれないから行くなら気を付けた方がいいって旅館の人が言ってたよ」

「そうなんだ。動物が相手だったら話も通じないだろうし怖いよね。熊とかだったら危ないからやめた方がいいのかな?」

「熊に出会ったらさすがに危険だと思うけど、鹿とか狐とかが多いって言ってたよ。それにさ、ここ数年は熊の目撃情報もないって言ってたし大丈夫だと思うよ」

「それなら安心だね。でも、熊が出たら私を置いて逃げてもいいからね」

「そんな事はしないって」


 さすがに熊が出てしまったらどうしようも出来ないとは思うのだけれど、本当に出てしまったとしたら僕はこの身を犠牲にしてでもみさきを守る。きっと、みさきも僕の事を守ってくれようとすると思うのだが、僕はみさきをそんな危険な目に遭わせるつもりなんてさらさらないのだった。これから向かう場所は熊の目撃情報はないのだが、もしかしたらそれ以外の動物が徘徊しているという可能性はあったりするらしい。

 ただ、どこを見ても生い茂る木とその隙間から少しだけ見える畑しかないのだった。どこをどう見ても危険な野生動物なんていないだろうし、危険そうな人も視界には入ってこないのであった。

 集落の近くではまだ畑よりもその辺に生えている木の方が目立っていたのだが、集落から離れれば離れるほど畑の様子が一目見て理解することが出来るようになっていた。畑にはたくさんの葉っぱが見えるのだが、そのどれもが根菜のようで野菜そのものの姿を見ることは出来なかった。それでも、天に向かって伸びている葉と茎を見ていると、新鮮でおいしい野菜が育っているのだろうという事は簡単に想像もついた。もちろん、僕はそれを確かめるからと言って無断で畑に入って野菜を抜くことなんてしない。


 僕たちは畑を横目に見ながら道なりに進んでいたのだ。地形的にそれほど大きい畑ではないようなのだが、その畑を見ながら歩いていると急に道が途切れていた。よくよく観察してみるとわかることなのだが、うっすらと昔使っていたであろう道がそこには残っていた。残っていたというにはあまりにも手入れが行き届いてい中たのだが、僕たちが向かう別の集落へと通じる道としてたどっていくには少し不安になるような道ではあった。

 ただ、それも集落が近い場所だからだと言われてしまいそうな感じで急に道が見分けられなくなっていた。これ以上進むことはもちろんできると思うのだけれど、今まではうっすらと道の上を歩いていると思えるような状況ではあったのだが、これから進む道はもはや獣道とすらいえないような様子ではあった。そんなところにみさきと二人ではいっていっても、無事に旅館に戻ることが出来るかという事には不安を感じてしまっていた。


「このまま進むのは大変そうだけどさ、みさきは先に進みたい?」

「正直に言うと、これ以上は行きたくないかな。ちょっと疲れそうだし、帰りの事を考えると大変そうだもんね」

「じゃあさ、もうそろそろお昼も近いだろうし、来る途中にあった畑まで戻ってその近くにある湖を見ながらお弁当を食べようよ」


 みさきならこのまま進むというのかと思っていたのだけれど、僕の予想に反してみさきは僕の意思を読み取ってくれていた。いつものみさきだったら細かいことは気にせずに奥へ奥へと進んでいたのかもしれないが、暑さと共に肌にあたる葉っぱの感触がとても不快に感じていたという事も多少は影響していただろう。みさきは肘を軽くさすりながら今来た道に向かって振り返っていた。

 こうも暑いと水辺にいるのが気持ちよさそうだと思ったのと、湖のほとりにはきっとベンチがあるだろうという予想のもとで行動を始めるのだった。もともと持ってきてはいないのだけれど、レジャーシートがあればベンチに座らなくても横になれたのかなと思うと、ちょっとだけ自分の計画性のなさが恨めしく思えて仕方なかった。


 来た道を引き返すという事はそれほど大変な事ではなく、あっという間に人の手が入っている道が目の前に広がっていた。

 もちろん、このまま旅館へ引き返すことも出来るのだが、僕たちはせっかく散策を開始しているのでそのまま湖へと向かうことにしたのだ。

 湖はとても綺麗で風一つないせいか、その湖面には空が綺麗に映し出されていた。もしかしたら、ある程度風が強くても湖はあまり波を立てないのかもしれないな。そよ風に揺れるみさきの綺麗な髪を見てそう感じてしまっていた。


「こんにちは。あなた達はこの辺の人なのかな?」

「僕たちはこの辺に住んでるわけじゃなくて旅行であそこの旅館に泊まってるんだけど」

「凄いわ。私も同じ旅館に泊まっているのよ。パパとママは仕事で夜まで戻ってこないけどね。あなた達のパパとママもどこかへ行っているの?」

「いや、僕たちは二人で泊まっているよ」

「信じられないわ。私とそんなに年が離れてなさそうなのに凄いわ。私はレベッカよ」

「僕は正樹で彼女はみさきです」

「正樹にみさきね。よろしく。私の事はベッキーって呼んでね。それにしても、正樹とみさきって似たような名前なのね」


 僕はみさきに見とれていて全く気が付かなかったのだが、僕らの他にもう一人女の子がいたようだ。その女の子はアリス先輩に雰囲気が似ていた。アリス先輩と同じ金髪の少女。なぜ日本の中でもかなり僻地なこの場所に外国人の少女がいるのだろうと思ってはいたのだけれど、どこに誰がいようと人の迷惑にならなければいいのではないかと思ってもいた。

 日本人は見た目で年齢がわかりにくいと言われるらしいのだが、僕の目の前に急に現れたこの少女も年齢自体は見た目から全く想像することが出来なかったのだった。

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