第51話 新しい場所 前田正樹の場合

 雨は強くなってきてはいたけれど、風はそれほど強くないので歩きにくさはそれほど感じてはいなかった。登校中は愛華先輩をはじめとする誰かに二人の時間を邪魔されることが多いのだけれど、下校中は二人でいられることが多い。俺とみさきは今のところ部活も委員会も所属していないので、他の友人知人たちと違って学校に残る理由が無いのもあるのだろう。

 他の人がいる時は会話も多いのだけれど、二人だけになるとお互いに口数が減ってしまうのか、無言でいることが多かった。無言でも苦痛にならない間柄なので、傘に当たる雨音も心地よく感じてしまった。


「今日は何か用事があるのかな?」

「とくには無いけど、何かしたいことあるのかな?」


 みさきは他の人がいる時といない時では人が違うんじゃないかってくらい大人しいんだけど、何かに誘うときも二人だけの時はハッキリと誘ってこないところがあるように感じた。守屋さんや松本先輩の時は優しい感じだけれど、愛華先輩がいる時はちょっと棘がある感じに思えたりするし、相手との距離感でも変わっているのかもしれない。


「あのね、今日は一緒に喫茶店に行ってみたいんだけど、ダメかな?」

「良いけど、この前行ったところかな?」

「ううん、違うところ。いつもの店ではちょっと聞かれたくない事もあるからさ」

「そうなのか。どこがいいのかな?」

「まー君の家の近くにあるところはどうかな?」

「俺は行ったこと無いんだけど、良さそうな感じだとは思うよ」


 みさきが他の人に聞かれたくない事ってどんな事なんだろう。勉強はそれなりに出来るみたいだし、見た目もコンプレックスを抱くような感じではない。むしろ、可愛いの極致といってもいいくらいだ。運動は苦手みたいだけど、それは俺がどうこう出来るような問題じゃないしな。


「あ、ごめん。一旦財布取りに戻っていいかな?」

「いいよ。私は外で待ってるね」


 中に入って待っててもいいんだけど、唯と母さんに捕まったら帰宅時間になるまで話してもらえなさそうだし、雨の中で申し訳ないけれど、みさきの気持ちも少しわかった。二人とも悪い人ではないんだけど、自分が好きな相手との距離感がおかしいところがあるから仕方ない。


 初めて入る喫茶店はこの前のところよりも客は多いようだけれど、それぞれが自分の時間を楽しんでいるようで、静かすぎずうるさ過ぎないで心地よい静かさを保っていた。

 俺たちは窓際の空いている席に案内されると、それぞれの飲み物を注文した。値段も特別高いわけではなく、コーヒー豆の種類も多くて、コーヒー好きの人が通う理由も何となくわかった。


「お兄さんたちはあそこの高校生かい?」

「はい、そうです」

「そうか、じゃあ、学割で同じのなら二杯までおかわりしていいからね」

「そうなんですか。ありがとうございます」


 俺はコーヒーを頼んでいたんだけど、みさきのココアもおかわりできるらしい。あんまり大々的に学割の宣伝をしていないみたいなので、客層もサラリーマン風の人や主婦層がメインなのだろう。この落ち着いた空間では騒々しい高校生がいると空気を壊してしまうなと感じてしまうからかもしれないが。


「それでね、まー君に聞きたいことがあるんだけど良いかな?」

「俺がわかる事だったらなんでも答えるよ」


 みさきはスマホを手に取ると何かを探しているようだった。


「あのね、まー君の周りってさ、最初の頃に比べてさ、女の子一杯になったよね」

「ああ、最初は田中くらいしか話す相手もいなかったけど、みさきと付き合ってからは話す女子が増えたかもな」

「それでね、気になったんだけど、良いかな?」

「何かな?」


 みさきは再びスマホを操作して何かを見つけると、それを俺に見せてきた。


「まー君の周りって、私とアリス先輩以外は皆胸が大きいんだけど、それはどう思うかな?」


 みさきの質問は俺が想定していたものと違って驚いたけれど、改めて言われてみるとそうかもしれないと思った。愛華先輩は異常に大きいとして、守屋さんも松本先輩も大きいだろう。アリス先輩はそんなにちゃんと見たわけじゃないけれど、私服でもストンとしていたので大きくは無いと思う。みさきは見ての通りだ。


「どう思うって言われても、別に何とも思わないけれど」

「本当に?」

「ああ。前も言ったと思うけど、胸の大きいのとか興味ないんだよね」

「そうなんだ、千尋に聞いてみたら、男子は胸の大きい人が好きだって言ってたから心配してたんだけど、まー君の事は信用してるからそんなこと無いって言っておいたのよ。でも、千尋は間違ったことを言わないから不安に思ってたのよね。まー君は本当に胸の大きさに興味ないのかな?」

「興味ないけど、あの人達みたいに大きかったら見ちゃうことはあると思うよ。田中みたいに露骨に注目したりはしないけれど、みさきだって大きい犬がいたら見ちゃうでしょ?」

「私は犬よりも猫が好きだけど、確かに大きい犬がいたら見ちゃうかもしれないわね」


 みさきの聞かれたくない話ってのがこんな事だったのは意外だった。意外だったけれどみさきらしいとも思えていた。雨は多少弱くなってはいるものの、まだまだ止む気配はなかった。

 運ばれてきたコーヒーは良い香りがして一口飲むと心が落ち着いた。みさきもココアに満足しているようだった。あまりこだわりはないけれど、ここのコーヒーは美味しいと思った。家からも近いし、たまにはこういう場所で落ち着くのも良いかもしれない。


「それでね、他の人に聞かれたくない話をするんだけど」

「さっきのじゃないの?」

「ええ、さっきのはただの確認なの」


 みさきは制服の襟を直すと、真っすぐに僕を見つめていた。その瞳はアリス先輩の目のように何もかも見通すように透き通っていた。


「あのね、良いかな?」


 みさきは僕に手招きして耳元で囁いた。


「私はまー君とキスしてみたいの」

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