雨のBARで青い本とカクテルを、黒い君と。

山散ばんさん

金曜日の公園

夜のいくらか冷たい空気を感じながら帰宅路の公園に入り浸るのが、

木立こだち 松葉まつはの趣味といえる。


やたらと広大な敷地を持つ丘の上の公園は、舗装された道が街灯の明かりに

照らされて、夜もさほど暗くはない。


日中は公園を囲むように造られた新興住宅地の住民が集まるような場所だ。


タコ足のように伸びた凝った遊具が、芝生の斜面にへばりついて

長い滑り台を形作っている。


松葉はその頂上へ上ると、ベージュのヒールを傍らに脱ぎ捨てて、

足を滑り台に投げ出した。


もう冬も終わりに近づいていて、ストッキングを履いた足裏に風が心地よかった。


レモンの缶チューハイを開けて、冷えたアルコールを喉に流し込む。


「週末にやるこの一杯が、一番美味しいわぁ……」


洒落たバーで飲むカクテルとはまた違った美味しさがある。

安酒を楽しむにもシチュエーションが大事なのだ。


腕を遊具に乗せて、ぶらりと上半身を預ける。


自宅にいるような気の抜き様だが、松葉は気にならない。

夜の間だけは、ここは彼女の国なのだから。


たまにペットの散歩をする近隣の住民が通りかかるが、

彼女にとってはさしずめ国民だ。


国民ならば、いて然るべき存在であるから、問題はない。

チューハイのつまみにチーズ鱈をちまちまと頬張っていく。


「絵になるね。それって、おねえさんの特等席?」


いくらか高さを残した、若い男の声が問いかけてきた。


缶に口をつけていた松葉は辺りを見渡し、

滑り台の段差の下から見上げる青年に気付いた。


細身の黒いマウンテンパーカーを身長のある痩躯で着こなしている。


ウルフヘアの髪の下で、整った童顔が興味深そうに目を輝かせていた。


しかしじっと夜の暗闇に佇む黒づくめの姿は、

夜中に見るには怪しさが勝ってしまう。


「そうだよ。今の時間は、私の玉座なのさ」


「玉座。玉座か……いいね、おねえさんの言い回し」


言い回しが気に入ったのか、青年はアッシュの髪を揺らして口の中で繰り返した。


この若さでこれほど明るい色に髪を染められる身分ということは、学生だろうか。

甘い顔立ちはさぞ同じ年頃の異性から人気がありそうだ。


いくらか警戒を解いて観察していると、青年はクリアカラーのリュックから

ノートパソコンを取り出した。


「公園でパソコン広げて、何するの。動画配信とか?」


「そういう趣味はないかなあ。これは仕事道具」


そう言うと遊具の階段に腰かけ、モニターの明るさだけを頼りに仕事を始めた。

キーボードを叩いて何かしらを打ち込んでいるようだった。


夜中の公園で突然に仕事を始めるタイプの人間と、松葉は関りがなかったので、

正直に変人という感想を抱いた。


「君は若そうに見えるけど、社会人なの?」


「うーん半分当たりかな。今夜はただの散歩で、

本当は仕事をしにきたわけじゃなかったんだけどさ。

まあ、パソコンがあればどこでも仕事ができるから、

たまにこの公園でやってるよ」


だいたいは昼だけど、と付け加える青年に納得し、ようやく思い出した。

ノマドワーカーというやつだ。


「ふうん。現れた時は、黒づくめだから不審者かと思った」


「失礼な人だなあ。夜中に滑り台で飲酒してるおねえさんに言われたくないよ」


たしかに夜の住宅地ではどちらも大概に不審である。


「……そんな隅っこに座ってないで、玉座を使いなさい」


松葉はゴミを袋に入れ、投げ出していたヒールを履き直した。


「私はもう帰るから。玉座は自由に使うがよいよい」


「え、帰っちゃうの?」


「チューハイ飲み終わっちゃったし、つまみもないし。人も来たから」


不意に訪れた派手な青年のことを指していた。


誰かも知らない年下の男の前で、

寛ぐ姿を見せ続けるほど松葉は自由ではなかった。


「あっ……おねえさん、またここにくる?」


青年の声にはどこか、邪魔してしまったという罪悪感がこもっていた。


「……そうだのう。気が向いたらね」


背中を向けたまま袋を振って、脱線していた帰宅路へと戻った。


金曜日の夜中を除いて、この公園に松葉が寄ることはなかったし、

その予定が変わることもないだろう。


マンションまで帰る少しの間に、スマホに着信の振動があった。


「はい、石蕗つわぶき君?」


「よう、もう仕事終わってるよな。今ちょっといいか?」


「いいよ。終わって一杯やってたとこさ」


「来月あたり、時間あるなら飯食いに行かないか」


「時間、は……作れなくはないけど」


グループチャットではなく、石蕗から直接食事に誘われるのは久しぶりだった。

努めて心に潜ませていた感情が、じわりと滲み出しそうになる。


「わざわざ電話してくるなんて、どうかした?」


「会わせたい人がいるっつうか、さ」


「珍しいこと言うわね……

会わせたい人って、仕事の人とか、だよね」


嫌な予感が松葉の胸によぎった。


石蕗とは学生時代からの付き合いで、もう十年程の仲だが、

こんな風に誰かを紹介されたことはなかった。


「いや、彼女を紹介したくてさ……

飯の席でちゃんと言うつもりだったんだけど、結婚考えててさ」


こうして松葉の週末は、長い片思いが散るところから始まるのだった。






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