第22話 その決断の早さをわけてほしい
気付けば晴奈は自室の壁に張り付いていた。かしゅみがちょこちょこ追いかけて来て同じように壁に張り付き始めたので精神安定のために捕獲する。晴奈とかしゅみの目の前には一組の男女が手を取り合っている。そう、キスによって成体の姿となった悪魔・シンと彼に口づけた晴奈の従姉妹・
「……え!?超好みなんですけど……!」
「そこ!?」
思わず背中を壁から引きはがして前のめりの姿勢で口を出してしまった。そんな晴奈に目もくれず、シンはテーブルに身を乗り出して亜里珠に詰め寄る。無造作に肩の辺りまで伸びた金と焦げ茶のプリン頭と、つり上がった三白眼、そしてその目の下に薄らとあるクマのおかげで非常に人相が悪い。どう考えても取り立てか何かの構図だ。しかし、そんなシンに対して亜里珠は今はじめて恋を知った乙女のような顔をしている。頬をわずかに上気させ、自分に詰め寄るシンを目を輝かせて見つめている。
「……亜里珠ちゃん、だっけ。」
「あ、声も好みかも。はい。亜里珠ちゃんです。おにーさん誰?」
「僕はシン。さっきのちっこいのの本当の姿。実は悪魔なんだけど、君にキスされたことで君と今、仮契約状態。詳細は省くけど僕と契約して。一緒にいることで諸々危険な目に遭うかもしれないけど、その代わり君のお願い事を一つ、僕のできる範囲で叶えてあげる。どう?契約しない?」
シンは早口に話す。そんな風に言ったところでわかりっこない――晴奈が横から口を出そうとしたが、亜里珠はやはり晴奈の予想を上回る。
「まぁまぁオッケーなんだけど、その危険からは守ってくれるカンジ?」
「当然守るよ。君は僕に甘いものと愛情と嫌いなやつの悪口をちょうだい。」
「えっ……恋しそう……。あとお願い事ってなんでもいい?」
「ひとまず言ってみて。僕に叶えられそうなら叶えてあげる。」
「マジ?なににしよぉ……。」
「…………待って、亜里珠ちゃん本気で契約するつもりなの!?」
思わず声をあげた晴奈にやっと二人の視線が向けられた。シンは邪魔するなと言わんばかりの眼光。亜里珠は心底不思議そうな顔をしている。シンの目つきには萎縮するものの、それでも従姉妹が悪魔と軽い気持ちで契約するのを見過ごすわけにもいかない。そんな晴奈に亜里珠は心底楽しそうに笑って見せた。
「本気だよ。」
「なんで……?」
「だって……だって、こんなの絶対面白いじゃん!」
絶句した。相手は悪魔で、人間ではない何かで、異世界から来たとか言っているのに。やはり亜里珠の思考回路は晴奈と全く異なる。そしてそんな彼女のお願い事というのも、やはり晴奈が悩むようなことではないのだ。
「お願い事、そうだなぁ。一生美肌&美髪でいたいとか?どう?」
「……それは、お手入れめんどいから端折っちゃいたいってこと?」
「そうそう。お肌とか髪の毛のお手入れって楽しいトコもあるけど、やっぱ基本めんどいじゃん?」
「なるほど。そういうことなら僕の【怠惰】の属性とも相性がいいし、叶えてあげるよ。」
頭が混乱する。はじめて聞く言葉も出てきた。
「かしゅみくん、属性って何?そんなのあるの!?」
手元のかしゅみを見れば、彼はあからさまに顔をそらしている上に、頭の上から何か黒い触覚のようなものが生えている。細い矢印のような形状の触覚――悪魔であることを考えればそれはつまり、ツノだろう。虫歯防止週間なんかのポスターに描かれる、かわいらしい虫歯菌のイラストをふと思い出した。
「か、かしゅみくんようせいさんだからわかんないなぁ。」
「ツノ出てる!?そして嘘が下手!」
「しゅ、しゅみー、しゅみー。」
「鳴き声で誤魔化してる……!」
かしゅみに話をはぐらかされている間に、シンは手元に指輪を二つ既に用意していた。どうやら相談は済んでしまったらしい。亜里珠の手を取って、シルバーの指輪を彼女の左手の人差し指に優しく嵌める。指輪ははじめから亜里珠の指に収まるように作られていたのではないかと錯覚するほどぴったりだった。シンは自分の左手の人差し指に同じように指輪を嵌める。
「シンプルだけどカワイイね。内側に埋まってた黄色い宝石本物?」
「なにをもってして本物と称するかは分からないけど……本物だよ。さぁ、お願い事を心から口にして?」
「おっけー。」
「亜里珠ちゃん!どうなるかわかんないんだよ!?それにその、シン……さんだって、人間と契約なんてしないって……!」
晴奈を見るシンは少々苛立たしげだった。しかしここで恐怖に屈するわけにはいかない。亜里珠はこれだけ振り回されていても、晴奈にとって大切な人であることに変わりはないのだ。
「仮契約ってこういうことだよ。僕だってたった今知ったけど、どうしてもこの子に契約を結んで欲しくて仕方がない。このまま何日も耐えるなんて絶対無理。ねぇ亜里珠ちゃん、僕と契約してくれるんだよね?」
「うん。はーちゃんもそんな心配しないで。大丈夫、なんとかなるって。ていうか、今しなきゃなんか後悔しそうな気がする!」
「そんな……。」
にっ、と笑って亜里珠が息を吸う。そして彼女にしては少しだけ緊張した面持ちで、シンの手を両手で握って彼の目を見つめる。
「めんどいことしなくても、一生美肌と美髪でありたいです!」
「――その願いを、聞き入れた。」
まばゆい銀色の光にシンの体が包まれる。悪魔が放つには些か神々しいその輝きをに晴奈は思わず強く目を瞑った。手元でかしゅみも「みっ!」と小さく鳴く。晴奈には二人の間に何が起こっているのかまるで分からないが、それでも何か晴奈の知らない世界のエネルギーが膨張し、一点へ収束していく感触が肌を撫でていくのを感じる。次に目を開いたとき、そこには特に変わりのない様子のシンと、髪のツヤが増した亜里珠がいた。
「どう?」
「やばっ……キューティクルやばい……!ほっぺもすべすべなんですけど……!最高!悪魔万歳!」
自分のツインテールの毛先を指でつまんで亜里珠は興奮気味だった。その様子にシンも満足げである。しかしそれはそれとして――――
「かっ……るくない?いろいろ……。」
「はるちゃんはいっぱいなやんでいいからね。あれがふつうなわけじゃないよ。」
「やっぱそうだよね?」
かしゅみは晴奈の手の中でこくこくと頷いて見せた。
●●●
「で、仮契約のあとどれだけ悪魔が急速に契約したがるか分かってもらえたと思うんだけど。」
シンは青年の姿のまま、今は亜里珠の隣かつ晴奈の正面に座っている。腕には亜里珠が恋人というよりは、お祭りの縁日で売っている腕にくっつけるビニールの人形のように張り付いている。相当シンが気に入ったらしい。
「ええ、まぁ、はい。」
「あんなにけーやくなんかしないっていってたのにね!」
実際、シンは亜里珠にキスをされるまでこれっぽっちも契約したがっている風に見えなかった。それが態度を一変させて亜里珠に契約を迫ったのだ。
「それを省エネモードである幼生体にしてるからとはいえ、これだけ長期間我慢させてるって自覚持ってよね。」
「こら!シンくん!そういういいかたよくないですよ!」
「かしゅみくんはちょっと静かにしてて。」
かしゅみの口にシンが人差し指の先を押し当てた。その指には銀色の指輪が輝く――こちらはどういう理屈なのかは全く分からないが亜里珠との契約を経てつるりとしたシンプルなものから鳥の羽が指を一周するようなデザインに変化していた。かしゅみは「むきゅっ」という情けない声を出して大人しくなる。
「でも、私は亜里珠ちゃんみたいにお願い事がぱっと思いつかないです。」
「え、あーし結構悩んだけど?」
「嘘でしょ?」
「ほんとほんと。なんかほんのちょっとだけ悪魔契約の先輩になっちゃったから言うけど、そんなに難しく考えることもないんじゃない?」
彼女はやはり嬉しそうに自分の髪の毛先を撫でた。
「一生風邪引きたくないとかさぁ。」
「そんな簡単に……。」
「実際悪魔からすると、叶えられるものならお願い事なんてなんでもいいんだよ。ただ早く仮契約状態なんていう、自分の欲望と衝動を抑え込み続ける状態から脱却したいだけなんだから。」
口を塞がれたままのかしゅみの眉間にシワが寄る。一歩後ろに下がればシンの指から逃れて口を開けるのに、どうしてそうしないのかは不明だ。
「第一、君が願う相手は悪魔。利己的でも悪辣でも気にしなくていい。自分しか気にしてないようなコンプレックスの克服とかね。」
シンは笑う。垣間見える歯はギザギザと鋭く尖り、凶悪さを隠しもしなかった。
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