第2話 春みつの薫り
∇∇∇
蜜がとける花の香りがする。
寒いな、と閉じていた瞳をゆるやかに開くと、一瞬ここがどこだかわからなくなる。
真っ先に見えたのは染みだらけの杉板の天井と、そこからぶら下がる傘電灯がひとつ。白い糸が真っ直ぐ蜘蛛の糸のように垂れ下がっていて、その先端に白猫の小さな陶器飾りがぶら下がっていた。
まばたきを2度ほどして、ゆっくりと上半身を引き起こすとざらりとした畳の感触が手の内側を這った。
辺りを見渡せば、10畳ほどの畳部屋に一人でぼんやりしていることに気づく。
家の二階の西側に面する部屋に私はいた。
小窓がひとつ。ベランダに至る大きな開き窓がひとつあり、網戸の状態でそれらはいずれも開け放たれていた。
カーテンのない闇の向こうから春の香りが漂っていた。
部屋の中には山積みの段ボールが角に寄せられ、年代物の濃いはちみつ色になった箪笥がふた棹。その手前にはこんもりと山になった洗濯物と、書籍のタワー。乱雑に散らかっている青いプラスチックの表紙のファイルに、ボールペン、電卓、ノートや走り書きがされた紙が転がっていた。
私はゆっくりと息を吸って、吐いた。
肺を染めるほどやわらかい花の香りがふわりと漂ってくる。春を知らせる梅花か桜の蜜が絡まり合ったなんとも風雅な風がふっと部屋の中に入り込んだのだ。
「?」
風を受けた頬が微かに冷たく濡れていることに気づく。
まだ起動しきっていない身体をゆっくりと動かして、頬と目元にそっと触れる。
「ーーーまた、泣いてたのかな」
なんだかとても悲しい夢を見ていた気がする。
なんだかとても切ない記憶が残っているような気がする。
その内容は霧のなかに閉じ込められているように曖昧模糊としていて、詳細を思い出そうとすればするほど霧が濃くなっていく感覚が滲んだ。
結局数分経てば夢のことなどすっかり忘れているのだけれど、それでもこうして「また」寝起きで自分が泣いている事態には驚愕を通り越して、あきれ果てている次第である。
「・・・・・・今、何時だろう」
視界を戻して正面を向けばちゃぶ台の上に休止モードのノートパソコン。真横には飲みかけのマグカップとスマートフォンがひとつ。
どうやら仕事の途中で眠ってしまったらしい。
大きなあくびをしながら、手繰り寄せたスマホの電源を入れるとホーム画面に満開の桜を背景に笑顔で並ぶ二人の女性の姿が浮かび上がった。一人は私の祖母。もう一人は私だ。
「もう1年か・・・」
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