第21話 女の勘
翌日、目を覚ましたルナはいの一番に顔を真っ赤にしながら土下座してきた。──記憶はしっかり残っていたらしい。 抱きついて甘えてたことやひどいことを言ったのが恥ずかしくてたまらない様子だったけどとりあえず気にしなくていいと言って殿村と仕事に向かった。
それ以降は特に何があるわけでなく時間は過ぎ、ジェムの作業も数日で終わりそうになった土曜日のこと。 殿村とルナは朝から二人でお菓子作りに励んでいた。
ルナはこちらの食べ物がお気に召したらしくエウレシアでも再現するために作り方を覚えたいらしい。 とは言え料理もしたことのないお姫様がいきなり料理を覚えるのは色々と難しい。 それ以前に調味料や食材もどんなものがあるかも分からないんだからレシピの教えようもない。
なのでこれならいけるだろうと簡単なクッキーを殿村に教わりながら作っている。 向こうにも焼き菓子はあるけどクッキーみたいな軽い食感のものはないそうだ。
俺も知らなかったけど殿村のやつ、料理もそこそこできるがお菓子作りが得意らしい。 中身に目をつむると女としてのスペック高いよな、本当に。
そして今、俺の目の前にはルナが焼いたクッキーが積み上げられていた──文字通り山のように。
何でこんなに焼くかなぁ……10人くらい集まってお茶会するみたいなとんでもない量なんだけど。 その山の向こうではルナが期待するような顔でこちらを見つめている。
まず見た目で言おうか。 極めて普通。 焦げてるわけでなく形がおかしいわけでもない。 そういうのがあるのかよく知らないけど粉砂糖らしい白い粉が振りかけられて普通に美味しそうに見える。
匂いも……まあ普通。 焼きたてで甘い匂いがしている。 とりあえず初めてのお菓子作りでありがちな失敗作ではない。
まあね、漫画とかであるみたいにあからさまな失敗作を出してくることがそうあるはずがない。 殿村が教えてたんだし味見もしてるだろう。 何も問題はないはずだ。
だけど何だろう……俺の勘が囁いている。──何かあるぞ、と。
「ほらほら、食べて感想を聞かせてあげなさいよ。 ルナちゃんの初めてのお・あ・じ♪」
お前はそういう言い方でないと話ができないのか、殿村?
「あの……味見はしたのでそこまでひどいものではないと……お嫌でしょうか?」
そんな目を潤ませて不安げな顔しないで。 断りづらくなっちゃうでしょ。
いや、味とかの心配はなさそうだから断る理由はないんだけどさ……食中毒とかもない。 <越境者>に多少の毒や病原菌は効かないから。 俺の場合はさらに別格だけど。
まあそう考えると何かがあるとしても特に問題はないのか。
殿村とルナの視線を浴びながら、俺はクッキーをつまみ口に運ぶ。 歯が砕けるほど固いなんてこともなく、サクッ──と軽い音を立てて砕けたクッキーが口の中で溶ける。
……うん、普通に美味しい。 というか上出来じゃないか。 美味い!と感心するほどじゃないけど美少女の手作り補正を抜いてもよくできてる。
「うん、美味しいよ。」
二枚目をつまみながら言う俺にルナが嬉しそうな笑顔を見せる。
「あ、ありがとうございます!」
「よかったわね、ルナちゃん。 でもあんたはもうちょっと気のきいた感想言えないの?。」
「そう言われてもな……まあ初めてとは思えないくらい美味しくできてるよ。」
気の利いたことが言えるなら彼女くらいできてるだろうよ……
少し憮然としながらポイポイと口の中にクッキーを放り込んでいく。 うん、美味い。
「ところで明日なんだけどさ、ルナちゃんがこっちにいる最後の日曜になりそうなんでしょ?」
「ああ。 多分木曜くらいにはエウレシアに行けるはずだ。」
ジェムは<真理眼>に集中していて全然出てこないけど状況のフィードバックはしてくれている。 [理解]も大分進んだ状態で月曜には終わるだろう。
そこから[干渉]と[掌握]を俺がやって……多分木曜くらいにはいけるはず。
「だったらさ、明日はあんたがルナちゃんをどこか連れていってあげなさいよ。 先週はあたしがルナちゃんと楽しんできたしね。」
唐突な殿村の提案──先週は殿村がルナをエステとショッピングに連れていっていた。
王女様ともなるとお肌の手入れとか似たようなことは向こうでもやってたけどレベルが違ったらしく大喜びだった。──ピカピカツルツルのルナちゃんを味わおうと殿村がしつこくて大変だったなぁ……
可愛いアクセサリーとか洋服も買ったみたいで帰ってからもはしゃいでファッションショーに付き合わされてまた大変だったよ。 まあ──可愛かったし眼福ではあったけどさ。
ずいぶん楽しんでたみたいだしまた二人で出かければいいのに。 俺はできればのんびり過ごしたいんだけどなぁ。
「鈍いわねぇ……ルナちゃんはあんたとデートしたいんだってさ。」
「その……エウレシアに──リシェール王国に戻れば私は王族ですので……殿方とお出かけというようなことはないかと思います。 なので一度、そうした経験をしてみたいなと……ダメでしょうか?」
何か……ずいぶん普通の女の子らしくなったもんだな。 俺や殿村がいない間の暇潰しに殿村に教わってタブレットで少女漫画を読んだりしてたからその影響か?
てかさ……そんなこと言われてもどこに連れてけばいいかとかさっぱり分からないんだけど。 デートらしいことをしたのなんて最初の──嫌なことを思い出しかけて俺は考えを止める。
「デートよ、デート? ルナちゃん……あたしが最初に教えたみたいなことって思ってるから……分かるわよね!?」
悩む俺の耳元でルナに聞こえないよう囁く殿村──最初のって……おい。
「お前も本当にしつこいな。 ないって言ってるだろ?」
何でデート=最後にホテルを当たり前のことにしてんだ、こいつは?
呆れて否定すると殿村は怪訝そうな顔をしてクッキーを見る。
「おかしいわね……絶対断るわけないと思ったのに……ルナちゃんに誘われてドキドキしたりしないの?」
「おい、貴様……そのクッキーに何を仕込んだ?」
あー、俺の勘が訴えてたのはこれか。 さすがに察するよ、この野郎。
「んー……ちょっと気分が高揚したり積極的になるお薬をね。」
テヘペロッ──と悪びれもせずに答える殿村。
それっていわゆる媚薬だよな、おい? どこまで人をそういう方向に誘導したいんだ?
「言っておくけど、俺には大抵の薬物は効かないからな?」
「ちょっと!! それじゃせっかく用意した精力剤も無意味じゃない!!」
お前は本当に……いや、精力剤は効くんだけどさ。 体に害のあるものは排除されるけど栄養は普通に摂取されるから。 それを教えてやる義理は本気でないけど。
てかちょっと待て──
「おい……さっきルナはこいつを味見したって言ったよな?」
「当然でしょ? 失敗作だったら出さないわよ。」
てことはつまり──俺があわててルナの方を見ようとした瞬間、背中にムニュッと柔らかい感触が押し付けられる。
「ユーダイ様……ミツキ様とばかりお話ししてズルいです。」
背中に密着して耳元で囁くルナ──って当たってるし妙に息は荒いしいい匂いがしてまずい!
咄嗟に俺はルナの首筋を指で軽くつまむ。 するとルナの体から力が抜けて俺にしなだれかかってくる。
「……何したの?」
「落としたんだよ。 あのままじゃ絶対まずいだろ?」
柔道の絞め技で失神させるのはあるけどコツが分かっていれば落とすのに技をかけるような面倒はない。 指先で頸動脈を的確に押さえるだけで事足りる。
失神したルナを背中から引き剥がすとソファに寝かせ、俺は殿村に向き直る。
「お前さ……何でこんなことした?」
俺にルナを抱くように仕向けて自分も──なんてことではない。 問題は色々あるが殿村はそういうことはしないやつだ。 その程度には信用してる。
俺の空気を読み取ったか、ふざけた様子を消して真面目な顔になると殿村は肩をすくめ、
「そうねぇ……あんたが妙にルナちゃんと一線を越えるのを拒んでるから──違うわね。 一線をというよりルナちゃん自身をどこかで拒んでるわよね。
冷たくするわけじゃないしむしろよくしてはあげてるんだけどどこかこう……踏み込まないようにしてる──踏み込まれないようにしたがってると言うか……言ってること、分かるわよね?」
殿村の言葉に俺は言葉に詰まる。 気付かれてたか。
女の子としてのルナには好感も持てるし優しくもできる。 だけど王族に対してはどうしてもね。
「ルナちゃんも感づいてるわよ? 表向きはよくしてもらってるからあんたには言えないだけで。 だからさ、その辺が見えてこないかなって思ってルナちゃんにも内緒でね。
あ、言っておくけど危ない薬じゃないからね?」
俺は思い切りため息を吐き出す。
ルナにまでバレてたのか……女の勘は怖いな。 それとも俺が分かりやすいだけか?
これに関しては──まあ話すつもりはない。 トラウマってほどではないんだけどね……あまり話したいことでもない。
「何かあったんだろうけどさ……ルナちゃんは悪い
「分かってるよ。 そうでなかったら優しくもできてない。」
人間として見た時にはルナは好感が持てる。 そうでなかったら王族なんか相手にしたくない。 性格の悪いお姫様だったらここまではしてやらなかったよ。
「こればっかりはどうしようもないんだ……深く聞くな。」
俺の言葉に殿村はまた肩をすくめる。
「あーあ、ルナちゃんかわいそ。 ルナちゃんはあんたのこと好きみたいなのに。」
「他に頼る相手もいない世界でよくされて錯覚してるだけだろ。 向こうに戻れば勘違いも覚めるさ。」
微妙な顔で三度肩をすくめる殿村。 やれやれ──と言った書き文字が見えそうだ。
「それで、明日はどうするの? ルナちゃんとデート──健全なのもしてあげないの?」
それな……どうするか。
ちょっと悪いことしたしな──殿村が原因だけど。 それも俺自身の内面の問題もあったわけだし……
「まあ……どこか連れていくくらいはするよ。 ついてきたりするなよな。」
俺の返事に殿村は満足げな笑みを見せる。──どこか弟の成長を喜ぶ姉のように見えて、俺としては何ともむず痒い気持ちにさせられた。
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