12

 オルブには夕陽がない。だから僕は夕陽に対して、特別な思い入れや感情を持っていない。


 もう少し正確に表現すれば、オルブにも夕陽はあるのだけれど、それを見るエリアは不変で、その場所に行かなければ夕陽を見られない。

 自転周期と公転周期が一致しているのだ。

 オルブが公転している恒星『カル』は、いつでも、どこでも、同じ場所に浮いている。

 僕自身が移動しなければ、『カル』はいつまで待っても夕陽にならない。


 日本人は朝陽を拝むためにわざわざ山頂に登っていたという。オルブ人の僕からすれば、朝陽も夕陽もまったく同じだ。朝陽を特別扱いする感覚が理解できない。


 言葉では理解している。


 始まりの朝。

 恵みの光。

 終わりの黄昏。

 静寂の闇。


 そのどれもが、今の僕には無い。

 悲しくはないけれど、もしかしたら、そこに大切なものがあるのではないか。

 オルブに一人だけいる人間の僕にとっても、大切なものが。


 「夕陽が見てみたいな」


 無意識だったかもしれない。言葉が口から漏れていた。


 「ケイスケの要望が実現可能な事象であるか判断するために、夕陽を定義する必要がある」


 いつもの調子でシルフが答えてくれた。ほっとする。


 「いや、そんなに細かく考えてなかったよ、ごめん。あ、でも、太陽じゃなくて、カルのほうね」

 「そうであれば安心していい。ケイスケが太陽の夕陽を実際に見られる確率はゼロだが、カルの夕陽であれば、小数点以下第十二位までオール・ナインの確率で見られる」

 「それは嬉しいね。ちなみに、僕がカルの夕陽を見られないとしたら、どんな理由なの?」

 「心臓発作による死亡」

 「わあ」

 「エア・ローダーの墜落による死亡」

 「うわあ」

 「寝坊」

 リーディーが横から茶々を入れてきた。ニヤニヤしている。

 「ご心配なく。睡眠時間なら誰にも負けないよ」

 僕が言うと、シルフとリーディーが凄まじい反応速度で「「セイロンティー」」と声を揃えた。非常に珍しいことなので、もしかしたら明日、僕は心臓発作で死んでしまうかもしれないな、と思ったけれど、アルコルフからもらったというか押し付けられた水着を眺めていたら、そんなことどうでもよくなってしまった。アルコルフの水着は、庭の木の横にでも立てておこう。それを見たニュークの笑顔が思い浮かんだ。


 アルコルフの水着を机の端に追いやったあと、リーディーとシルフに相談して、夕陽を見に行く計画を練った。

 夕陽を見るためには、空を覆う白い雲を突き抜ける必要がある。しかし、今あるエア・ローダーでは、その高度に到達できない。人間、つまり、僕を上空に運ぶためだけのエア・ローダーを作らなければならない。

 「三週間ほど時間がかかるが、それでも良いか?」

 シルフが僕を見つめながら言った。シルフの大きな瞳に、僕が映っている。

 「うん、本当にありがとう」

 瞳の中の僕が丁寧にお辞儀する。

 「どういたしまして」

 リーディーの優しい声が、聞こえてきた。

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