第61話

「おいご主人様!もう一度抱け!!」


——ボフォオ!


 ロザリアが魔法の習得の為に訓練を受け始めて一週間、俺とルカも訓練を始め、そういう仲にもなったワケだが、唐突な彼女の提案には噴き出さざるを得なかった。


「な、何なんだよ⋯⋯いきなり」


 盛大にぶちまけたお茶を拭きながらルカに尋ねる。お誘いならせめてもう少しそれらしい雰囲気の時にさり気なく伝えて貰いたい物なのだが、彼女の辞書にはそういった機微きびというものが登録されていないらしい。


「いや実はな、気付いたことがあっての⋯⋯」


 そういって切り出した彼女の言葉は、驚くべき物だった。


 バグ、設定ミス。ルカにもそういった技術について手ほどきをしていたのだが、どうやら彼女自身の身体に関しても、そういった部分が存在しているらしい。


「こういう事をしたことが無かったでの。考えも寄らんかった。毒物の類も効かぬし、てっきり内臓全ても傷を負うことは無いと思っていたのだが」


 性行為ができる、そしてその際に、彼女は破瓜の痛みを訴えた。情事に及んでいる際はそこまで考える余裕も無かったのだが、そこは彼女唯一の弱点である可能性が高いという事だった。


 果たしてそれが設定ミスかどうかは分からない。無理なく死ぬために用意された抜け道、そういうものを用意しておく慈悲というのがあったのかもしれない。


「ここから毒物を流し込んだとして、恐らく死には至らぬだろう。段階を踏んだトリガーとして仕込まれているのかも知れん。幸せを感じることが出来なければ死ねぬ様に設定されているとすれば、なんともまぁ複雑な話だの」


 仮に人生の伴侶を得たとして、その最愛の人間に殺して貰わねば死ぬことが出来ないというのは辛い話だ。出来るだけ長期間、共に生きたいと思うのが普通だろう。だがそうしてタイミングを逃し伴侶が先に死ぬことになれば、再び次の伴侶を求めなければいけない。確かにそれは辛い話だ。


「そういう話なので早めに抱いて送って欲しいと言った所だの。冒険者登録や裏技については無駄になってしまうが、タイミングは最適。これ以上は情が移り過ぎる」


 あっけらかんとした表情で語るルカ。情が移り過ぎるという話には賛同できる、というかもう遅いと言っていいだろう。なし崩し的にルカとも結ばれる事にはなってしまったが、今では立派なパートナーの一人だと、そう考えていたのだから。


 だが、その言葉は飲み込む他無かった。口に出してしまえば、多分彼女を送ることは出来なくなる。ズルズルと死期は引き延ばされ、俺が先に死を迎えてしまう可能性だってあるのだ。そうなれば、世界を救う手立てが減ってしまう。滅びを迎えた世界でも変わらずルカが生き続けるとしたら、そこでは地獄以上の苦しみを味わう事になるだろう。


 気がかりなのは、ここにいないシャルとロザリア。彼女達にも別れを告げるべきだろうと考えたが、止められてしまう可能性も否定できない。決意が揺らいでしまう前に、今ここで決着を付けよう、そういう話なのだ。


「本当にいいのか?」


「構わぬ。だが少し時間は欲しいな。実験しながらになるだろうし、出来れば苦痛よりは幸福に包まれたまま逝きたい。ご主人様に抱きしめられながら、ただただ夢見る乙女の様に、待ち望んだ幸せの中で旅立ちたいのだ」


 恥ずかしい話をさらっと言う。いくら300年を過ごした存在とは言え、生娘のような感情も持ち合わせてると打ち明けた彼女は、見た目通りの年齢を感じさせた。


「それなら、今日一日はルカの為に使おう。街でデートして、夜には宿屋に泊まって、そして送り出す。二人には書置きをしておけば問題無いだろう」


「よかろうご主人様!それならめいいっぱい楽しむとしよう」


「ああ、それと今までスルーしてたけどご主人様は禁止。今日は名前で呼んでくれ」


「そ、それはちょっと恥ずかしいというか何と言うか⋯⋯」


 急にモジモジし出すルカ。唐突にキャラが崩れる物だから少したじろいてしまう。


「⋯⋯中二病的ロールプレイはもう終わりだ。明日からは普通の女の子として日本で暮らすんだから、その予行もしておかないとな」


「ば、バレておったのか⋯⋯?」


 そりゃもう。ルカと初めて会った時に使ったあの詠唱を聞いた時から、なんて伝えると、彼女は顔を真っ赤にしてその場にしゃがみ込んでしまった。


 この世界に居る限りはそういう行動が不審がられる事は無かっただろう。独特な物言いというだけの個性で片付けられる。だが、日本でそれは通じない。300年も続けたそれが今日一日で抜ける事は無いだろうが、それでも向こうで恥ずかしい子扱いされてしまうのは避けておいた方がいいだろう。


「う、うむ⋯⋯了承した」


「はいもう一度、普通の女の子を思い出して」


「⋯⋯うん。わかった」


「ぐぅッ」


 自分からそうするように誘導しておきながら、思わず身悶えしてしまう。見た目相応と化したルカの破壊力は抜群だ。よくよく考えたら、ステータス上とはいえ未成年とお泊りって犯罪なのではないだろうか、なんて脳裏によぎってしまった。


 マズいな、と思いつつも自分で言い出した事を引っ込めるわけにもいかない。ざわつく心を落ち着けながら、簡単なメモを残して街へ繰り出す事にする。今日一日はルカの為だけに使う事としよう。



◇◇◇



 デートの内容は、何とも色気の無いものだった。正確にはただの買い食いと言った方がいいだろう。食べなくても何の影響も出ないルカは、食べても何の影響も出ない。これから去る世界の観光等よりは、美味い飯を食った方が良いとの希望だった。


 市場で串焼きを食べ、カフェを梯子し、レストランにも向かう。兎に角食べるだけの彼女に付き合うのは大変だった。何も頼まない訳にもいかないから紅茶を頼んだのはいいが、何軒も付き合うとなるとさすがに胃がタプタプ。最後には諦めて何も頼まずにただ彼女を見守っていた。


 幸せそうに話しながら食事するルカを、目に焼き付ける。決して忘れない様に。


 そうこうしている間に満足した彼女を連れ、少し高級なホテルへと向かう。折角の見送りで安宿を使うなんて言うのはもっての他だ。


「少し見直したよオルト、甲斐性というのを感じた」


「全部ルカの金だけどな」


 そう言って笑いあう。こうしていられるのも残り僅か、見送りの時は迫っている。


 さてどうしたものかと考えていると、今日はオルトが下になって欲しいとルカからの進言。結構大胆な発言だが、出来るだけ望みを叶えるのがいいだろう。言われるまま俺はベッドに仰向けになり、彼女を待つ。


「ん、ふぅ⋯⋯やっぱちょっとキツいね」


 なんとも恥ずかしい光景だ。少し前からは考えられない。


「済まないが、抱きしめては貰えぬか?」


——つーん。


 本日、何度となく繰り広げられた会話の流れ、うっかり口調が中二病に戻ってしまった時は、知らんふりをして横を向く。どうやら恥ずかしい事をいう時は、こうやって仮面を被ることで対応しているらしい。


「えっと、ぎゅってして欲しいかな」


 しかし向こうもこのやり取りで俺を手玉に取る方法を学んでいた。敢えてギャップを作ることでこちらへのクリティカル攻撃を行うという芸当は、少し前に感じた小悪魔という印象を彷彿とさせる。女の子って怖い。


「ああもう⋯⋯」


 言われた通りに彼女を抱きしめる。どうせ効果は無いだろうが、力の限りにがっちりと拘束する。


「あー、やっぱ不思議だねこれ。ドキドキするのに凄く落ち着くよ。というかオルト、今日は随分と紳士だね。少し前までは童貞だったのに」


「経験値だけなら二人を相手にしてる俺の方が豊富だからな」


「そりゃそうだったね。なんならロザリアともしておくべきだったかなあ」


 相変わらずぶっ飛んだことを言う。だがそれはそれで悪くないなんて思えてしまうのは、俺も随分と染まっている証拠だろう。


「さて、実は俺からプレゼントがある」


 不思議な顔をするルカを尻目に、枕元に隠しておいたそれを取り出す。彼女の左手を取ると、薬指へとそれを嵌めた。


「えっと、これって⋯⋯これは、貰えないよオルト!」


 そういったルカに、今度は俺の左手を差し出す。


「一つ目の指輪はロザリアとの物で、二つ目はルカとの物だ。異論を認めるつもりは無いよ。俺にはこれが必要なんだ」


 そう言って再びルカを抱き寄せる。ズルいよ、なんて言っていたが満更でもない様だ。嬉しそうにありがとうと呟くと、彼女も力を込めて抱きしめてくる。


「実を言うとだな、単純に結婚以上の物もあって、ちょっとしたギミックを付与してあるんだ。ロマンの欠片も無いかも知れないけど、実用的な物がね」


 かつてルカがマキシと名乗っていた時に使われた、拘束用の手枷。アレに秘められた魔力漏出の技術を、この指輪には転用してあった。単純に漏出させるだけでは無く、その魔力は全て俺に吸収される、という仕組みだ。


「こんな状況で指輪渡すだけでもロマンチックじゃないのに、随分とまた酷い物を仕込んだねえ。上げて落とすのがオルトのやり方?それに、流石に全部取り込んだらオルトが破裂しない?」


 ルカが魔法やスキルに使えるMPと呼ばれる余剰魔力は大した量ではない。だが、彼女の不死性を構築している魔力自体は膨大。俺の骨格全てを魔石に変換した所で、全く足りないというのが現状だ。


 だが、それについても解決策がある。以前ロザリアとこの街をデートした際に見つけた博物館、そこに展示されていた上位魔族の魔石。それが解決策だった。


「無属性で魔石を作ってた俺は気付かなかったんだが、上位魔族ってのは魔力を変質させることでより密度を高める事に成功していたんだよ。だから少ない魔石でも膨大な魔力を扱える。それをこのリングにちょちょいっとね」


 彼女のリングを通して俺に流れ込む魔力は、その過程で魔族の物と同じように高密度に圧縮され、俺の骨格へと変化するように調整してある。この方式なら、恐らく全てが魔石化する前に吸収は終わるだろう。そういう目論見だ。


「相変わらずその辺の発想はぶっ飛んでるね。意外とこの世界はバグだらけみたい」


 気休めかもしれないが、これで彼女が完全にこの世から消え去ることは無くなる。少なくとも俺の中に、魔石として残り続ける。そういった確かな証拠が、俺には必要だったのだ。


 本当にロマンもクソも無い話だ。お互いに身体は繋がっているというのに、子を成す為でもなく、快楽を求めるわけでも無く、はたまた愛情を確認する為でもない。これから彼女を殺すための会話を、笑いながらしている。なんとも狂った行為。果たして性行為と呼んで良い物なのかも分からないが、俺達にとってはこれが最善だった。


「それじゃあオルト、よろしくね」


「ああ、判った⋯⋯」


 そうして彼女を送る。出来るだけ苦しまない様に、幸せに旅立てるようにと散々ルカと話し合って導き出した最適解。彼女の肉体は、少しずつ魔力へと分解され、その存在感を薄めていく。


 決して涙を流す事は出来ない。どんなに辛くとも、笑って彼女を見送る。そう誓ったのだから、最期までやりとげなくてはいけない。


「ありがとう、オルト。愛してるよ」


 そう言ったルカの笑顔に、一筋の涙が伝って落ちる。堪え切れなかった涙に、僅かながらの後悔が浮かぶ。


 待って欲しい、やっぱりダメだ。こんな事は。他に何か手があるかも知れない。


 そう思ったが、既に遅い。絶対にこうなると理解していたからこそ、一度発動すれば止められない様に仕組んで置いたのだ。終わりはもう、確約されている。


 ふわり、頬を撫でる感触がしたと思ったときには、既にルカの姿は無かった。彼女は無事に、この世界から日本へと、元の世界へと旅立ってしまったのだ。


「⋯⋯ぐっ、うぅ⋯⋯うあぁ⋯⋯ルカ⋯⋯ルカ⋯⋯」


 彼女を見送った後はもう、涙は止められなかった。部屋に入るなり仕込んでおいた防音の魔法が役に立つ。俺はもう、声を殺す事を諦め、ただただ、泣き叫んだ。

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