39・影の誘い

 寝室の壁に体を凭れさせ、ささやかな休息を取っていたサリシュタールは、周囲に突然出現した存在を感知した。

「なにかいるわ」

 それは通常の視覚では補足できないが、サリシュタールの可視領域は常人より大幅に広い。

 他の二人は彼女ほど特殊な眼を保有していないが、しかし皮膚感覚で周囲の気配を感じ取っていた。

 それは三人が行動を起こす前に、他の二人にも見える状態に変化する。

 無数の朧な影が姿を現した。それは人影が空中に投影されているようで、無数の影人は緩慢に近づき、時折揺らめいて背後の景色が透けて見える。

 幻影の類にも見えるが、明確な実体を持った存在だと判別した。

「なんだこいつら?」

 狭い室内では大剣の扱いには難がいるため、ゴードは腰に佩く片刃の小剣を抜いた。

 数々の宝石類で過度に装飾されたその小剣は、刀身が全て硬質銀で精製された、風の山脈に伝わるもう一つの聖剣。

 持ち主の意思に呼応して、自在に空中を飛行する機能が付加されている。

 だが周囲の影は、途端に散開して三人から距離をとった。

「魔物なのか?」

 アルディアスは疑念の声で呟く。

 剣を抜いただけで間合いを広める様は怯えているようだ。

 微弱な力しか有していないのか、もしくは戦う意思自体ないのか。

 魔術師は周囲の影人の正体を解析する。

「いいえ、魔物じゃないわ。これ、霊魂が実体化したものよ」

「霊魂? 亡霊なのか?」

「ええ、異変で精神世界が現実世界に侵食している為に、霊的存在である彼らも実体化したみたい」

 しかしこの霊魂たちの由縁は不明だ。

 三百年前に魔物が最初に猛威を振るった時に惨殺された人々か。

 それ以降に魔王殿に連行された者の末路か。

 それとも魔物が魂そのものを捕獲しているのか。

 あるいは全く無関係なのか。

「で、こいつら敵か? そうじゃないのか、どっちだ?」

 ゴードはなによりそれを明確にする必要性を感じた。

 完全に囲んでいる影人が行動を起こせば、即座に対処しなければならないが、影人のどのような行動が攻撃なのか、また違うのか、判別がつかない。

 だから敵性存在であるか否かは重要な判断要素だ。

 もし敵だと断じれば、どんな動きを見せても即座に攻撃する。

 しかしサリシュタールの答えは期待に反していた。

「わからないわよ、そんなこと。精神世界の侵食がなければ実体化できなかったのだから、偶然出現しただけだとは思うけど。

 でも霊魂は肉体を失うと、肉体の思考能力も一緒になくしてしまい、精神の形態が全く異質なものに変化してしまうの。生前の人格や行いとは全く関係なくなるといっていいわ。

 つまり、どんな行動を取るのか、その時々で全然違い、生きている私たちに予測はほとんどできない」

「じゃあ、俺たちを取り囲んでいるってのは、どういう行動だと思う」

「……あんまり良い事は思い浮かばないわね」

 不意に周囲の影人が一箇所に密集した。

 三人に緊張が走り、アルディアスが防壁結界を張る。

 三種の神器の盾の力が形成する高強度の結界は、あらゆる攻撃を無効化する性質を備えている。

 しかし内部にいる自分たちの攻撃も共に無効化されるという欠点を持っている為、使用頻度は低い。

 しかし現状において相手側の出方を見定めるには丁度良い。

 密集した影人は互いに溶け混ざり合い、さながら深遠の虚無の如き闇の塊に変化した。融合した霊魂の表面が盛り上がり、触手のように三人に延びたかと思うと、その先端が人の顔に変化した。

 その表情を明確に見取ることはできなかったが、しかし苦悶の感情が滲み出ているような印象を受け、思わず息を呑む。

「なにを考えているの?」

 サリシュタールは怪訝に呟いた。

 この霊魂たちは、なぜ融合する必要がある。

 その結論に至る思考を行うだけで大量のエネルギーを消耗し、実際に行動に移せば莫大な霊力を消費する。

 一歩間違えれば消滅しかねない。

 ぉ……ぉおおぉ……

 それが声を発したと同時に、不意に室内に劇的な変化が訪れた。

 廊下に通じると思われる扉のある壁が急速に遠退き、部屋が一本道の通路に変形した。

 寝台や他の家具類はそのままの位置にあるが、激変は部屋の空間そのものが伸長したように感じ、一瞬眩暈が襲った。

 霊魂が分散し、再び個体である影人に戻ると、彼らは奥の扉に一瞬にして消えた。

 数度瞬きして、アルディアスは最果ての扉に目を凝らす。

「……あの扉へ向かえということか?」

「そうでしょうね。霊魂は融合することによって力を強引に増幅させ、魔王殿の異様な状況を極一部だけど制御したみたい。

 でもあの霊魂たちは今のでエネルギー欠乏症に陥って、存在を維持するのも困難な筈。そんな危険なことをしてまで、私たちをどこへ向かわせたいのかしら?」

 亡霊たちの思惑の答えは、扉の向こうにあるのか、もしくは全て魔物の罠なのか。

 影人の誘いに乗るか引くか、決断しかねている魔術師と聖騎士に狩人が促す。

「アルディアス、サリ。ここで止まっていても意味がない。罠だろうがなんだろうが、先に進むべきだ」



 闇の中で会話が交わされる。

 蠢く闇の遥か彼方から苦悶の声が届く。

 彼らの本来あるべき場所から。

 あんな場所には二度と戻りたくはないという、共通する思いから、この亡者たちは常に行動を共にしてきた。

 しかし彼らに仲間意識があるのかといえば、皆無に等しいだろう。

 比較的個人的な関係を持った者たちはいても、全員が一つの磐石にいるわけではなかった。

 自分はどうなのか。

 自分は元々この世界の人間だ。

 少なくとも契約するまで普通の人間だった。

 剣の道の極みを目指すことを、自らの生きる道と定め、戦いに身を投じ、ただそのためだけに生きてきた。

 魔物と戦ったことも十や二十ではない。

 この世のあらゆる生物を凌駕し超越する魔物は、強さを見極めるには格好の相手。

 強くなるための相手としては最適だった。

 その果てに自身も魔物となった。

 魂を差し出して、戦うための力を、散々滅してきた魔物に求めた。

 結局のところ、彼らは超越者ではなかった。

 死から逃げ続けるだけの亡者。

 死んだ身だというのに、まだ自分たちが生きていると思い込んで、自ら死と闘うこともなく、他の誰かを死と闘わせ、身代りにしている、臆病共の集まりにすぎない。

 そして自分に魂を返した。

 死と闘うことを条件に、強靭にして強大なる力と肉体と共に。

 剣を究め、極めるための機会を与えてくれたことには感謝する。

 だが、それだけだ。

 彼らがこれからどうなろうとも、知ったことではなかった。

 彼らについていくかどうかも、まだ決めていない。

 やるべきことがある。

 白銀の騎士との決闘。

 最初の一戦、自分はこのために生まれてきたのだという確信を得た気がした。

 それは間違いではないと思う。

 もし、次へ進むとしても、光の騎士との決着をつけてからだ。

 握る拳に力が籠る。

 次は時間稼ぎなどではなく、本当の決闘だ。

 亡者たちが闇の光の中で会話を続けている。

「引き剥がした者どもの動きが活発になる一方だ」

「魔物が急速に減っている」

「危険だが、もう一度特異点を操作したほうが良いのではないか」

「彼とマリアンヌ王女の捜索状況はどうなっている?」

「進展なし」

「妙ではないか。マリアンヌ王女はともかく、ゲオルギウスは波動を探知すれば簡単に見つけられるだろう」

「彼が自分の力に迷彩をかけているのかもしれない」

「なんのために?」

「我々に見つからないようにか?」

「そんな必要がどこにある?」

 スナフコフは勿論、誰にも理解できないこと。

「さあな。あるいは迷子になっただけなのかもしれん」

「ふざけている場合か」

「私が直接探そう」

「スナフコフ、君が行くのか。今はゼフォル・ヴァ・グリウスの援護はできない」

「構わない。特異点を正確に変更するにはゲオルギウスの能力が必要なのだろう。でなければおまえたちはここで全滅する」

「他人事のように」

 忌々しげに魔人の一人が呟いた。

 確かに他人事なのかもしれない。

「わかった、スナフコフ。魔物を一つ連れて行け」

 他の魔人の言葉を受けて、スナフコフはその場を去った。白銀の騎士と再会することを期待して。

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