淑女の心は忘れずに

「ただいま!」


 バートランドが帰宅した時、二人の姿が見えなかった。


「あれ?」


 庭にも二人はいなかった。

 鍵が開いていたので、誰もいないとは思えなかったが……。


 奥の部屋の方から、笑い声が聞こえた。

 楽しそうなエルシーとルビィの声。


(あっちの部屋か)


 声の方に足を向けると、開いたドアの向こうに、薄桃色の髪の少女と赤い髪の小さな妖精の姿が見えた。


「そう、ここで回って」

「はい!……目が回って来ました」


 再び賑やかな笑い声が起こる。


 エルシーは新緑のような明るい色のドレスを着て、ダンスのステップを踏んでいた。

 白いレースのリボンで束ねた花飾りが、ふわふわした髪の上で、光沢のあるドレスの上で揺れる。

 ルビィもおそろいの緑のドレスを着て、彼女に教わった通りに踊っていた。


 踊ることが好きなのだろう、エルシーはすみれ色の瞳を輝かせ、軽やかな足取りで部屋の中を舞う。

 彼女が動くたびにふんわりと花びらを振りまくように薄桃色の髪がなびく。

 バートランドは声を掛けるのも忘れ、その光景に見とれていた。


「あ、帰ってきましたか」

「!」


 のんびりと言うルビィとは対照的に、エルシーはさっと緊張の色を全身に走らせ、ドアを閉めてしまった。


「……別に閉めることはなかったんじゃないですか」


 ルビィは呆れたようにエルシーを見下ろしている。


「もちろん、わかってるんだけど……」


 公爵家にいた時、そして聖女として活動していた時と違い、好きな服を好きな時に着られる生活。

 十分にそれを楽しんでいたのだが、人に見られることに対して、未だに罪悪感が沸くこともある。


「トラウマですね」


 公爵家では義姉より目立つ装いは許さないとばかりに使用人やアイリーンの取り巻き令嬢達の目が光っており、聖女時代は簡素な白の服以外は着る機会が無かった。

 今やっと好みの服を作ってお洒落を楽しんでいるのだが……。


「別に変ではないですよ。堂々と出ていけばいいんです」

「…………」


 エルシーはドアを抑えたまま、その場に凍り付いていた。


 バートランドが帰るのには、まだ早いと思っていた。

 練習だからと言って手を抜いたりせず、社交の場に出ることを想定して、気合を入れて着付けをした。

 彼に見られるのが、妙に恥ずかしい。ダンスの相手をしてもらってはというルビィの提案を却下して、帰って来ないうちに練習を済ませようとしていたのだが……。


「ごめん、勝手に見て悪いことしたな」

「い、いいえ!貴方が悪いわけではないわ」

「長い間人前に出てないから、余計なことが気になるんですよ。別におかしな格好はしてないですよね?」


 ルビィはバートランドに尋ねる。


「あぁ、やっぱり貴族のお嬢様なんだな。ドレスが良く似合ってて綺麗だったよ」


 ドア越しのバートランドの賛辞にエルシーの頬に朱が差す。


「!」

「だそうです。さぁ、ドアを開けましょう!」

「よ、余計に開けにくいわ……!」


 エルシーは赤くなって必死にドアを抑えた。


「えーっと……。変なこと言ったかな?」


 困った様子のバートランドにルビィが言う。


「悪くはないですが、まだまだめ足りません。自信をつけるために、もっとめてあげてください!」

「ちょ、ちょっと……!」

「よしわかった!」


 勢いよく返事をするバートランド。


「そのドレスを着てると、森の妖精みたいに見えるよ!」

「もう一声!」


 ルビィの掛け声。


「ええと……。昔聞いた話に出てくるお姫様って、こんな感じかなと思った!」

「はい、その調子でもう一度!」


 再びルビィの催促。エルシーは真っ赤になって震える手でドアを抑えている。


「こんな女の子を救うためなら、ドラゴン百匹も余裕で倒せる!」

「もっと!」

「その髪の毛はいつも綺麗だなと思ってたけど、今日は特に花が咲いてるみたいだなって……」

「その調子!」

「……本当はすぐ立ち去るべきだと思ったけど、もう一度、君の姿が見たくて……」

「あと一息!」


「もういいからー!」


 エルシーが勢いよくドアを開けた。

 ゆだっているかのように顔が真っ赤だ。

 バートランドも照れくさそうに、エルシーと向かい合った。


「邪魔してごめん。今日は予定より早く帰れたから、どこにいるのかと思って……」

「……いいえ、別に悪いことをしてたわけじゃないし……。今日はダンスの練習をしていたのよ」


 社交界へ出るために、ダンスの練習は必須の科目だった。

 エルシーは踊る事が好きで、勉強の中でも得意な方だったので、習うことができなくなったのは残念だった。

 彼女には冷たかった公爵家だが、良い教育を受けられたことは感謝すべきだと思っている。


「もう社交界へ出ることはないのかもしれないけど、貴族の娘として、習ったことは忘れないようにしたいの」

「うん、君は立派な貴族のお姫様だよ」

「まぁ、おめ頂いて光栄ですわ」


 今度は狼狽うろたえることも無く、ドレスのすそを両手で持ち上げ、軽く頭を下げ見事な淑女の礼でエルシーは答えた。

 バートランドは赤くなった。


「……」

「ほらほら、紳士らしく決めなさい」


 ルビィに促され、軽く咳ばらいをして、バートランドは手を差し伸べた。

 吟遊詩人の詩の一場面を思い出して語り掛ける。


「どうか一曲お相手を願います。麗しの姫君」

「喜んで、凛々しい勇者様」


 ぎこちない動作で手を取り合う二人。

 ゆっくりと、踊り始めた。


「ダンスを習ったことはある?」

「王宮に呼ばれた時に少し習っただけなんだ」

「ダンスは男性側のリードが大事ですからね!踊りにくいなら、音楽をつけましょうか」


 ルビィは歌い出した。

 二人は、曲に合わせて緩やかに舞い踊る。ぎこちなかった動きが少しずつなめらかに変わっていく。

 エルシーは、踏まれそうになった足を巧みに避けた。


「ご、ごめん」

「動きを遅くしてみるわ」


 次第に息が合い始め、会話をする余裕ができてきた。


「エルシーは踊るのが好きなんだな。楽しそうに踊るから、見ている方も楽しくなるよ」

「えぇ、踊るのは楽しいわ。こうして練習に付き合ってくれると嬉しいけど」

「あまり上手くないけど、それで良かったら」


 二人は微笑みあって、踊り続けた。

 きらきら輝くすみれ色の瞳と濃青の瞳が互いを映し、部屋中をぐるぐる回る。




「は~。ちょっと休憩しましょう」


 歌が途切れ、疲れた顔でルビィが提案した。

 二人は名残惜し気に動作を止める。

 椅子に座って一息ついた。


「疲れてないか?」

「いいえ、いい運動になったわ」


 少し息を切らしているものの、満足げにエルシーは答えた。


「ずっと引きこもってばかりいては運動不足になりますからね」

「踊るのなら、毎日してもいいんだけど」

「じゃ、少し遠くまで行ってみないか?」

「えっ?」


 バートランドの提案に、エルシーは驚いたように振り向いた。


「人があまり来ない所で、景色のいい場所があるんだ。魔物も出てこないから、快適に歩いて行けるよ」

「それなら、行ってみようかしら」

「いいですね。お二人で楽しんで来てください」


 エルシーは驚いてルビィに聞き返した。


「来ないの?(二人きりで行くの!?)」

「私は私ですることがあります(邪魔はできませんよ)」

「今はまだ依頼があるから、引き受けた仕事が片付いたら一緒に行こう」

「えぇ、楽しみにしてるわ」


 エルシーは返事をしながら既に心の中で、当日は何を着ていこうか、弁当には何を入れようかと考えるのだった。

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