廃車(3)
まだ稼働している施設である以上、工場潜入はよく計画を練る必要がありそうだった。セキュリティも易々とクリアできるものではない。手配に奔走するミヤの傍ら、ぼくとナナは彼女におつかいを頼まれた。夕市をやっている場所があるから、夕飯と朝食になりそうなものを何か買ってきてほしいとのことだ。
話を聞く限り、夕市の場所は駅地下ではないようだ。東京の地上に人の生活があったのか、と少し驚く。
「あまり考え込んでも仕方ないからね。気晴らしがてら行ってらっしゃい」
申しつけられるがまま、ぼくたちは店を出た。午後三時を過ぎたばかりだったが、日はすでに微かな黄色みを帯びていた。
いつものことだったが、ナナは重たげなギターケースを背負っていた。邪魔になるだけのような気もするが、「あんたがカメラを提げてるの一緒」と言われてしまうと、立つ瀬がなかった。
「お守りみたいなものなの。練習をしていれば暇つぶしにもなるし」
「ラジオじゃだめなの?」
「だめなの」
強いこだわりがあるようだ。
複雑な路地に入った。道幅が狭く、迷路のようにぐねぐねと曲がっている。壁伝いのパイプと室外機が、埃をかぶってすっかり煤けていた。怪しげな暖簾や電光看板。裸体に近い女が印刷された古いポスター。大きな青いポリバケツの中には、野良猫が何匹も身を寄せ合っていた。
見晴らしのいい場所に出ると、アーケードは目と鼻の先だった。
トタンでできた小屋や屋台が、ぎゅうぎゅうにひしめき合っていた。あちこちはがれたレンガ道を中心に、露店と言った風合いの屋台が、いくつも軒を連ねている。パッチワークのような、どこかちぐはぐな印象だ。
「夕市」と書かれた墨文字の手書き看板。アーケードの随所に様々なランタンがぶら下がっている。夕日の中では申し分ないが、光源としては少々心もとない。
青果店、雑貨屋、パン屋、惣菜店、駄菓子屋。キューブの山積みになった店。目視できるだけでも、屋台にはかなりの種類がありそうだった。
人口密度は駅地下ほどではないもの、市場は予想以上に賑わっていた。子供連れの親子もいたし、談笑する老婆や、古いストーブを囲んで温かい麦茶を飲んでいる人まで様々だ。
「あら、よく来なすったねえお兄さんたち。ちょっとこっちおいでよ」
店頭に立っていた老婆が、ぼくたちを目に留め、手招いた。バンダナとエプロンを身に着けている。老婆の傍の保温機の中は、黄金色の揚げ物がいくつも入っていた。
「いいとこだろう? もうすぐ正月だから、この頃いちだんと賑わってんだ」
老婆は人の好さそうな笑顔を見せる。
「皆さん周辺に住んでいるのですか」
「そうだね。皆東京に思い入れのある人ばっかり。この街を愛してるんだよ。こまごまとした物を売って、協力しながらどうにか暮らして行ってるのさ」
「はあ……」
「ちょっと待ってな、せっかくだからサービスしたげるよ」
老婆は紙のカップを取り出すと、保温機の中の唐揚げをトングで掴み、四つほどその中に入れた。
「二人で一緒に食べな。よければ他の店も見ていってちょうだいね」
てっぺんの唐揚げに爪楊枝を差し、老婆はカップをぼくに手放した。「おばあちゃん、いいの? ありがとう」とナナが目を輝かせた。
唐揚げを口に放り込み、ぼくらは露店を見て回った。唐揚げは古い油の味がしたが、揚げたてらしく衣がざくざくしていた。癖のある塩味が妙に口に残った。二個ずつ分け合った唐揚げは、すぐに空になった。
露店をまわり、いくつか品物を見繕った。青果店に寄ると。掘り出し物らしく、店主がよく熟れた桃を半ば押し売るように勧めた。「特別に値引きしてやるから」との言葉通り、そこらの食料品店で買うよりも随分と安かった。「悪くなんのも早いから、早めに食えよ」と言い、彼は売り物の林檎を丹念に磨いていた。
日が本格的に傾いてきていた。オレンジ色の空の中に、少しずつ藍色が混じっている。
「あ」と声を上げ、ナナがある屋台の前で止まった。他の屋台より物がごった返している。がらくたから古い雑誌に至るまで、ジャンルも混ぜこぜに品物が並んでいた。きらきらと光るビーズが目に留まる。
店主は若い男だった。よれたジャンパーを着ている。簡素な椅子に腰かけた男は、ぼくたちの姿に気づく様子もなく、ぺらぺらとポルノ雑誌をめくっていた。小さく流れている音楽は、洋楽だろうか。
「ねえ、これってもしかしてストラップ? すごく素敵。あたしのギターにも付けられるかしら」
ナナの指さした先には、何かベルトのようなものが陳列されていた。細やかな刺繍が施されている。東欧からの輸入品なのだと若い男が言った。
「嬢ちゃん、ギター弾くのか。いいもん背負ってんね。ちょっと貸してごらん」
ナナは言われるがままギターケースを差し出した。若い男は中身を改めると、「うわ、ぼろっちいなあ。弦も錆び放題じゃねえか」と苦笑した。ごつごつとした指が弦を張り替え、ストラップを取り付ける。しばらくの間、ギターの調節を続けていた男は、「よし、これで大分良くなったろ」と満足そうに顔を上げた。
男の指が弦をはじく。音が滑らかになっていた。男はいくつかコードを鳴らしてみせ、「すごい、上手だわ」とナナが褒めると、照れくさそうにはにかんだ。
「弦はサービスでいいぜ。オレも昔ギター弾きだったんだ」
懐かしむような口調。ギターは生憎質に入れてしまったのだと男は語る。
ぼくも同じ店でガラスビーズと、黄色い樹脂粘土を買った。所持金はほとんどなくなってしまったが、これで材料は揃ったはずだ。
品物を受け取る時、ナナは何か言いたげにぼくを見ていた。諫めるような眼差し。けれど彼女は、ぼくに何も言わなかった。
帰り際、道すがらに粗大ごみの山積みになった一角を見つけた。古い洗濯機や、大昔に流行った円盤型の掃除機、フレームだけになった車などが山なりに積みあがっていて、どこか筑波の道中を思い起こさせた。
「あたしとハルが初めて会ったのも、こんな場所だったよね」
同じことを考えていたらしい。「ちょっと休憩」と言って、ナナが自動車のボンネットの上に座った。
真っ赤になった太陽が空と地面の隙間にとろけていた。夕陽を逆光に浴びた彼女の影が、茜色の空にくっきりと象られる。
ほとんど無意識といった様子で、彼女が歌を口ずさみ始める。
ぼくはカメラに手をかけた。
「そのままギター持ってみて」
レンズの蓋を外し、ナナにレンズを向ける。
「何、急に。照れるじゃない」
ナナは一瞬だけ不満げな顔をつくって、誤魔化すように笑った。
買ったばかりのストラップのついたギターを構え、彼女は爪で弦をはじいた。見違えるようにきれいになった音に、気分が上がったのだろう、何度も練習していた歌をゆっくりと弾き始めた。
夢中になっている彼女の顔と、夕日と、ゴミ捨て場の影と。カメラの中で全部が重なった瞬間、ぼくはシャッターを切った。
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