廃校(1)

 目的の街は、東京ほどではないまでも、閑散としていた。風が強い街だった。建物は小綺麗ではあったが「テナント募集」の文字が目立つ。古くなったレンガ道に人影はほとんどない。映像看板に映し出される若い女の空虚な笑顔。空は寒気立っていて、弱々しく星が瞬き始めている。

 ミヤに一度連絡を入れたが、ジャミング電波が飛んでいるのか、妙に接続が悪かった。かろうじて聞き取れた彼女の声をもとに、ぼくはゆっくりと歩き出す。

 先ほどサガミが言っていた通り、この街にはアンドロイドが多いようだ。確か、日本で最初に人型ロボットの実用化に成功した街だったか。その名残なのか、無人の販売店の奥に、棒立ちになっている旧型の女性が見えた。量産型の中ではかなり古いデザインだ。

 彼らに顔を認識されるとまずい。ぼくはキャップのつばを下げ、足早に彼女の横を通り過ぎた。

 いよいよ道に人影が見えなくなる。見知らぬ土地でひとりきりになった途端、見て見ぬふりをしてきた混乱と不安に襲われた。ぐちゃぐちゃになった研究室と市警。言われるがまま東京を飛び出してきたが、ぼくは、博士は、どうなるのだろう。あの人は無事でいるだろうか。

 頭が痛い。寒さに顎の根元が震える。ぼくは何かをごまかすように歩調を早める。

 歩いていくにつれ、地面に金属片やネジなどのゴミが増え始めた。顔を上げると、家電や初期型の人型ロボットが山のように捨てられ、塀のように歩道を囲って屹立しているのが見えた。

 電波が乱れていたのはこれらが発する電磁波のせいだったのか。胸の奥底がざわついた。

 立ちすくんでいた時間は、随分と長いものに感じた。廃車や冷蔵庫やドラム缶に混じって、新旧様々なアンドロイドが放り捨てられている。機械がむき出しの初期型はまだましだが、より人間に近いタイプのものが捨てられているのは、死体と大差ない。

 誰かの歌声を耳が拾って、ふと我に返る。乾いた風の中に紛れて、女の子の澄んだ声が聞こえる。

 アコースティックギターの柔らかい音も混じっている。どこか懐かしいような、温かい音色だった。

 ぼくは音源を探して歩き出す。ロボットの腕や、風にずり動くトタン板を踏み越えながら。ギターの優しい音は絶え間なく響く。音楽には明るくないが、歌はともかく、ギターはおそらくあまり上手くはない。今はそれがかえって心地よかった。

 声の主が見つかるころには、辺りは夜に飲み込まれ始めていた。かろうじて視界の残る薄闇の中、横向きになったブラウン管モニターの上で、少女がギターを抱えていた。ぼくの姿に気が付き、少女がギターを下ろす。ギターは木材のあちこちが欠けていて、見るからにボロボロだった。

 言葉が見つからず、ぼくは彼女と数秒間視線を合わせ続けた。

 彼女はワイシャツとプリーツスカートの上に、スタジャンと呼ばれる古着を来ている。普通の少女に見えるが、異様に整いすぎている目鼻立ちが、どこか機械的なものを連想させた。

「……何を歌ってたの?」

「『タオ』。羽山タカト。知らない?」

 聞いたことがある、と言うと、彼女は警戒を残したまま、わずかに微笑を浮かべた。

 真っ向から文化統制運動に抵抗した歌手で、音楽監理局によって自殺に追い込まれたと聞いている。一部のファンや音楽家から神格化され続けたこともあり、今でもしばしばラジオで聞く名前だった。

「あーあ、姉さんに言われて待ってたけど、待ちくたびれちゃった。あなたがハル?」

 ブラウン管モニターに座ったまま、彼女が足をぶらぶらと揺らす。

「そうだけど」

「へえ」

 吟味するような眼差し。居心地の悪さに目を伏せる。

 沈黙の中を風が吹き抜けていく。

「君は、」

 言葉に詰まったぼくを少女が怪訝そうに見る。

「あたしはナナ。ジロウとミヤの妹。あなたを案内するように頼まれた」

 しばしの間の後、何かに耐えかねたように彼女が口火を切った。

「……君は、アンドロイド?」

 ぼくの台詞に、彼女はしばらく面食らったような顔をしていた。それから、「随分と唐突ね」とどこか意地悪く破顔した。はぐらかし方まであの人に似ていると思った。

「それを聞いてどうするの?」

 むっとしたぼくをよそに、彼女は錆びた弦を楽しげにはじいた。めちゃくちゃな和音が辺りに響く。

「ご名答。あたしはナナ。NH〇七型。東郷晃の四番目のオリジナル」

 ミヤや博士は、同じ作家によって作られた姉妹種なのだという。

 やっぱりとは思っても、心のどこかではまだ受け入れがたい。この手の疑いを抱いてはいた。それでも、あの人たちは人間らしく温かかった。時によっては、普通の人間以上に。

「ミヤ姉さんまでは〇六型という古い世代の機体なの。あたしはそれより少し新しい機体。〇七型だから、ナナ」

 随分と安直な命名だ。そう思ったぼくを見透かしたように、「製作者パパは命名が雑なのよね」とナナは苦笑する。

 東郷晃は業界では有名なアンドロイド作家らしい。彼女らのようなオリジナルの他にも、量産型のデザインのいくらかは彼の手がけたものだそうだ。

「三番目はミヤ、二番目はジロウ。ね、すっごい適当でしょう?」

 呆れたような口ぶり。彼女の言葉を聞きながら、ふと思い至る。では一番目は?

 そう尋ねると、ナナはにやりと口角をあげた。「帰りがてら教えてあげる」とギターケースを肩にかけ、彼女は軽やかにブラウン管を飛び降りる。

「とりあえず今日は帰りましょ。もうじき真っ暗になる」

 彼女の声に応えるみたいに、烏が一つ鳴いた。


 そびえ立つ鉄クズの山の中を抜けて、閑散とした道路を歩いてしばらく。突然立ち止まったナナは、遠くにぽつんと立つビルを指さした。ビルの輪郭は闇に溶け込んできているが、広告看板だけが明るく目立って見えた。

「あれ、見える?」

 ナナの人差し指の先。四角く縁どられた映像看板の中で、アンという女優がキューブを手に笑顔を作っていた。

 まさか。

「あれがパパの最初の代表作『アン』。一番目だからアンなのか、アンドロイドだからアンなのかはわかんないけど」

 その手の業界に詳しくないぼくでも、聞きなれた名前だ。広告塔としてよく目にするだけでなく、ラジオやテレビにもしばしば姿を現している。普通の人間、として。

 絶句するぼくを気にも留めず、ナナは再び歩き出す。ぼくは慌てて背中を追いかけた。

「本当に?」

「あたしは嘘はつかない」

 彼女の声音はまっすぐだ。

 法的には、アンドロイドはそれとわかるよう、ロゴを示した状態にしておくことが義務付けられており、人間を騙って生活することは許されていない。

 彼らは狡猾で利口だ、我々の社会が脅かされてはたまらないと、多くの人間が唯一揺るぎない社会的権力に固執した。人間とアンドロイドの執拗な差別化もその一つで、違反が露見した場合は厳正な処罰が製作者に下されるはずだ。

 ぼくがそのことを口にすると、ナナは「そんなのバレなきゃいいのよ」の一言でぼくの言葉をばっさり切り捨てた。

「第一、パパはそういう人間至上主義が嫌いなの。あたしたち兄弟の存在は、パパにとっては、ある意味での人間社会への復讐でもある」

「人間社会の中にアンドロイドを放り込むことが?」

「それを見破れないお馬鹿さんたちを、陰で嘲笑うことが」

「趣味が悪い」

 ナナの態度はあくまで悪びれない。

 彼女の言うことが本当なら、きっとぼくも嘲笑われているのだろう。そう思うと、あまり気分のいいものではない。

「あの人にも色々あるのよ」

 弁解するようにナナが言った。肌に突き刺さるような冷たい突風が、彼女の髪を大きく舞い上げ、揺らした。

「何ふて腐れてんの」

 揶揄するような口調。

 別に、と答え、道端の石をひとつ蹴飛ばした。


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