vol.4 ホープ(埋火ほむら・11歳)
火を見てると安心した。物心ついたころからそうだった。理由はわからない。
「ほむら?」
「え…佐和子ちゃん?」
「ひさしぶり。こんなとこで何してんの」
「…別に。たき火」
「そんなもんどこから盗ってきたんよ」
燃える火のかたわらには、スーパーのゴミ箱からとってきた牛乳パックを山のように積みあげてある。
この空き地は偶然見つけた秘密の場所だった。だれも来ないから、学校が終わったあと夕方一人になるにはぴったり。今、思いもよらない人が来てしまったけど。
今までここでいろんなものを燃やしてきた。その中でも牛乳パックはいちばんよく燃える。
「佐和子ちゃん、どうして…」
「ちょい待ち」
佐和子ちゃんはブルゾンのポケットから白い箱を取り出した。
「火、もらえる?」
たばこだ。
わたしは黙ってライターを差し出した。うす暗がりの中でポッと顔が明るくなる。声の主はまちがいなく、あの日いなくなったひとだった。
「ジッポなくしちゃった。ラムがくれたやつだったのに」
おいしそうに、ゆっくりと白いけむりを吐き出す。わたしたちは静かに燃える火を囲んだ。
「たばこ、吸っても平気なの?」
「うん」
「ほんとに?」
疑うと、佐和子ちゃんは笑いだす。
「いいんだよ、19ってもうほぼハタチだから。ほむも吸う?」
「ううん。そんなことより佐和子ちゃん」
「うん。お騒がせしてごめんね」
施設でみんなに慕われていた佐和子ちゃんは、3か月前急に姿を消した。ある日、夜になっても部屋に帰ってこなかったんだ。夜に帰ってこないことは何度もあったけど、その時は、それから何日経っても帰ってこないから。
「急にいなくなって、帰ってこないんだもん。野良猫みたいに…どこかで死んでるんじゃないかって」
わたしも、施設の小学生も中学生も高校生も、みんな佐和子ちゃんを本当のお姉ちゃんみたいに思っている。みんな。佐和子ちゃんはだれにもわけへだてなく、仲良くしてくれた。野良猫みたいにいなくなっては帰ってきて。みかんの食べ方や、ホットケーキの焼き方。先生の機嫌がいいときの見分け方や、万引きの仕方。ギターの弾き方。いいことも悪いこともいっぱい教えてくれた。夜更かしをした。お菓子をくれた。人がいっぱい死んじゃうようなマンガを貸してくれた。うるさい音楽を一緒に聞いた。冗談をいっぱい言って。いっしょに悪いことをたくさんして。
ものを燃やす遊びだって、最初に教えてくれたのは他でもない佐和子ちゃんだ。
「ほむ、死にたいって思うことある?」
親指ではじかれてたばこの灰が落ちる。そうやって少しずつ短くなっていくんだ。
「………わかんない」
「嘘つけ、死にたいんだろ。昔から何回も発作起こしてさ」
きれいな目は遠いどこかを見てる。わたしの顔は見ない。
「でも絶対に死ねないよ、あたしらは。死にたくても、逆にだれかを殺したくても。それができないようになってる」
わたしは死んだことがないから、死ぬのはこわくないと思ってる。でも、死にたいとか自分を殺すこととかを考えると、いつも苦しくなる。ドキドキして、息ができなくなって汗が出て、苦しくなる。今まで何度も気を失って倒れた。それでも死ぬことを考えるのはやめられないんだった。そうしてわたしの部屋は第2棟から第3棟へ移された。
「あれは何なの? どうしてわたしはいつも…死にたいって考えられないの」
いつも第3の子は急にいなくなる。先生は、遠いところにお引越ししたんだという。でもそれも知らされるのは、いなくなってからだった。だから第3でわたしは一人も友達がいない。作らない。
夕闇がせまってきた。だんだん佐和子ちゃんの顔が見えなくなる。
「神通川の人はそういうふうになってるんだよ。あんたも生まれてすぐ手術受けてる」
ゼロ歳のことなんておぼえてない。
わたしはお父さんとお母さんの顔をしらない。3歳くらいのときには保育所のみんなと一緒にいた。それより前のことはおぼえてなくて、わたしの家族は先生と、あと
あと
だれだっけ?
「手術ってなに?わたしは」
「大人になったらわかる」
傷あといっぱいの腕に制されて、それ以上は聞けない。大人になったらわかること、なんとなく知っているようなおぼえているような気もする。でもそのたぐいのことは、考えるとまた息が苦しくなる。だから思い出せない。
頭がぼーっとしてきた。
「あのね、わたし……」
目の前にいる人はだれだろう。とりとめもない言葉が勝手に口から出てくる。
「あのね、……火をね、こうして燃やしてると落ち着くの」
今だってそうだ。火を見てると安心する。あたたかくて、ゆらゆらして、生き物みたいだ。わたしはお父さんもお母さんも顔を知らないけど、火はわたしの親かもしれないと思うくらい。今までここで隠れて一人ぼっちでいろんなものを燃やした。火はあぶないものだって教わって、それなのにわたしは火にひきつけられた。
「わたしって変なのかな」
いつか手でふれて、つかみたいと思うかもしれない。このままじゃ、燃やしちゃいけないものまで燃やしてしまう気がする。
たとえば、自分のからだとかに火をつけて。
「変じゃないよ。死にたいって思うのも、火遊びするのも。なんにもおかしくない。あんたじゃなくて世界のほうが変なんさ」
あたしだってそうだもん。と聞こえた瞬間、くらっとして咳がでた。佐和子ちゃんのけむりを吸ってしまったのかもしれない。
「それ、おいしい?」
「ホープ」
「ほーぷ?」
「希望って意味」
希望というそのたばこは、コンクリートにぐりぐり押し付けて消される。
「ここであたしに会ったことは秘密ね。てか、思い出したらまた発作起きて倒れるから忘れな」
今日はじめて佐和子ちゃんはわたしの目を見た。
「これからどこにいくの?」
「秘密」
「また会える?」
「どうだろね」
佐和子ちゃんはずっとかっこいい。ここからいなくなる前も、いなくなったあとも。今だって、ずるいくらいかっこいい。
「ねえ、もう帰ってこないの?どうしていなくなったの。今どうしてるの、だれとどこに住んでるの」
「それは言えない。ごめん」
もう日が暮れる。消えてしまう。また夜が来てしまう。さっきから頭がぐらぐらしてくる。
「佐和子ちゃん?」
夜が来る。
そうだ、夜が来たら今日のことはみんな忘れる。わすれる?わたしは急に思い出した。生まれてから今まで、毎日そうやって夜になるたび忘れながら歳をとってきたんだ。雪ちゃんも、みなもちゃんも、ラムちゃんもいなくなった。今の今まで忘れていた。そのほか、名前も顔も思い出せないだれかと一緒にいたことを。忘れてしまうことに、どうして気がつかなかったんだろう。
「佐和子ちゃん」
確かめたくて名前を呼んだ。
「わたしのこと忘れないでね」
燃やした火が小さくなっていく。夜が来たら全部消えてしまう。
「うん。あたしは大丈夫。忘れない」
どうしてわからないんだろう。自分のことなのに。
忘れることは、さみしいのに。
「ちゃんと部屋、帰りなね」
うつむいて何か答えようとしているあいだに、佐和子ちゃんは夜の闇にまぎれていなくなった。火が消えたらすっかり夜だった。
もう会えない気がするしきっとわたしのことは忘れるだろう。そして、わたしもこの人のことを忘れる。
わたしたちはそういうふうにできている。気づいてしまった。
捨てられた吸いがらを拾った。あの白い箱と同じHOPEと書かれている。希望。まだ少しあったかい。
いつか大人になっても、このたばこの名前だけは絶対おぼえておこうと思った。
埋火 ほむら 死因:一酸化炭素中毒 享年11
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