64:願い

「ここに来たのは、ユナ殿の願いを叶えるためです」


 ユギニスは一瞬呼吸を忘れそうになった。さすがに信じきれずクライヴの顔を見るが、変わらない穏やかな笑み。だが瞳の奥に見え隠れする強い意志。冗談で口にしたわけではなさそうだ。


「……本当に、分かっているのか」


 それでも問いかけてしまう。

 ユナの願いを。唯一の願いを。


 この願いは自分しか知らない。シュティでさえ知らない。知らないはずなのだ。本心をあまり口にしないユナが望むことなど。


 すると、彼の口がゆっくり動いた。

 ユギニスは堪えるように眉を寄せる。


「……分かっているんだな」

「はい」 

「……ユナのこと、」

「好きですよ。出会った頃からずっと」


 躊躇いがちに聞いたが、クライヴは自然に答える。自然すぎて、その好きがどういう意味なのか、一瞬迷ってしまった。だが優しい瞳を持つ彼のことだ。言葉通りなのだろう。でなければ、彼女の願いを叶えるなどと、おそらく言えない。


 思えば出会った頃から彼は変わらない。子供の頃の記憶は薄らだが、眼差しが変わっていない。成長してから初めて会った時も、彼はユナを一番気にかけていた。それは最初から彼女の事情を知っていたからだ。


 ユナはおそらくクライヴのことを知らない。あの場所で初めて出会ったことを覚えているかさえ分からない。今や過去の話をあまりしない。あの頃の彼のことをどう思っていたかなど、聞いたところで答えてくれるかどうか。


「……その上でフィーベルを連れてきたのか」


 ユギニスは思わず呟いた。


 ユナの願いが分かっているというのなら、こちらがフィーベルを望んでいることも分かっているはず。そしてそれは……クライヴにとって、イントリックスの面々にとって、あまりいい顔をしないはず。


「僕はユナ殿の願いを叶えたいだけです」


 優しい声が耳に届く。

 ただ穏やかに、彼は微笑んだ。







「…………」


 一通り話を聞いたシェラルドは、何も言葉が出なかった。思っていたより色んなことがあったのだと、どこか他人事のように思ってしまう。だが分かったことはある。ユナの必ずやり遂げようとする意志の強さは、過去これらのことがあったからだろう。


 だがそれよりもやはり、疑問が残る。


「……なぜ、この話を俺に?」

 

 自分に話して何になるのだろう。ただ知ってほしかっただけなのだろうか。もしそうだったとしても、やはりクライヴか、フィーベルに話した方が良い気がする。ユナの過去なら尚更。


 するとシュティは迷った顔をした。


「……兄や姉は、私に秘密にしていることが多いんです」


 幼い頃より身体が弱く、主な公務はユギニスの役目。革命を起こした際は何もできなかったようで、実行したユギニスとユナが二人で話し合う場面が多かったようだ。話に参加したくても、何もできない。だから相談もしてもらえない。


 後に伝えてくれる内容もあるようだが、おそらく全てでない。隠されていることもある。シュティはそう考えているようだ。


「……フィーベル様を呼んだ本当の理由も、私は知りません」

「!」

「フィーベル様の魔法に頼りたい気持ちは分かります。たくさん助けていただいていますし。……でも、他の魔法使いでもいいはずです。現にヴィラ様だって手伝って下さっています。なぜフィーベル様が呼ばれたのか。彼女でないといけない、本当の理由があるんじゃないかと」


 それはシェラルドも感じていた。


 アルトダストから三つの理由を提示された。だがどれも、的を得ているように見せかけて、フィーベルでなければならない明確な理由とは言えない。


 それにまだ、フィーベルを呼んだのがユナなのか、ユギニスなのか、はっきりしない。王子であるユギニスは思ったより気さくで、クライヴにも自分にも好意的だった。とすれば、やはりユナなのか。


 予想外だったのはシュティが何も知らないことだ。あの二人の妹ならば、知ってそうなものなのに。それとも、可愛い妹だからこそ、大事な妹だからこそ、言えないこともあるのだろうか。ローガンに対して激しい憤りを見せていたユギニスを思い出す。その後殺すか、と躊躇なく聞いたユナ。主人に比べて冷静だったが、本当はどのように感じていたのだろう。


「私は、」


 シュティは一度言葉を切る。

 次にはっきり口にした。


「真実が知りたいのです」

「…………」


 隠されているからこそ、守られているからこそ、シュティはそのままでは嫌だと言う。守られているのは大事にされているから。それは分かっているようだが、同じ立場で背負いたいと。王族として。妹として。


「フィーベル様のことは最近知りました。この城に呼びたいと。兄と姉がどういう経緯で彼女を知ったのか分かりませんが、なんとなく、昔から知っていたようにも思います」


 思わずシェラルドは眉が動く。


 シュティは二人の会話を盗み聞きしたことがあるらしい。他愛もない話だったようだが、フィーベルに対して懐かしい口ぶりだったようだ。


 ユナはおそらくフィーベルのことを知っているだろう。自国に来た時も呼び捨てにしていた。親しげな様子だった。だがシュティの話で、ユギニスもフィーベルを知っていたことが分かる。ということはユギニス自身が呼んだ可能性も出てきた。ユナは主君の願いなら必ず叶えるだろう。……一体どちらが。


 だがそれがはっきりしたとして、それ以上のことは分からない。フィーベルをどうしたいのか。アルトダストで暮らす方が幸せだと、ユナは断言していた。


 なぜ。なぜそこまでフィーベルを求めているのだろう。彼女の幸せはここにあると、どうして彼女の意見も聞いていないのに言えるのだろう。


 シェラルドはより険しい顔になる。


「……フィーベル様を大切に想われるシェラルド様だからこそ、この話をしたいと思いました」


 はっとして見る。

 シュティの声が凛としていた。


「フィーベル様にとって、イントリックスの皆様方にとって、私たちにとっても幸せな話ならば私は何も言いません」

「…………」

「そうであれば本当のことをお話ししてこの国に招くはず。……私は、誰かだけが幸せになる未来は嫌です」


 ぐっと苦虫を噛み潰したような顔になっている。もし自身の国にとって良いことであったとしても、と、前置きした上でシュティは首を何度も振る。


「私は幸せになるなら全員で幸せになりたい。裏切りに遭い確信しました。誰かの幸せは誰かの不幸せによって成り立っていることもあると。父は自身の幸せのために、私たちの母を、ユナの母を、結果的に不幸せにしました。国民に高い税金を支払うように義務付け、富を築いていました。……これらは大人になって知ったことです。私は子供だったから、誰かを救うことができなかった。もう同じことを繰り返したくないのです」

「シュティ殿下……」


 揺るがない意志の強い瞳。


 ラウラがシュティを、いつまでも泣いている少女ではない、と言った理由が分かった。彼女は強い。色んなことを得たからこそ、守りたい人たちがいるからこそ。今度は自分で守れるように、自分を強くしている。王族としての威厳を感じさせる。


 気負う様子に、ふっと微笑んだ。


「でしたらご自身のことも、大切にされて下さい」

「……え?」

「国のためにご結婚を早めようとされていましたが、身近に大切にしてくれる人がいるなら、もっと頼っていいかと」


 シェラルドは視線を隣に向ける。


 リオはふん、と鼻を鳴らしながら顔を背けた。どことなく面倒くさそうな様子だ。だが、シュティの側を離れない。咎められた後は、静かに傍にいる。


 シュティも気付いたのか、リオを見た。慌てるようにこちらに顔を戻す。その顔がほんのり染まる。微笑ましい。もっと自分の幸せを願っていいはずなのに、シュティは周りの幸せを願っている。あの少女と同じように。


「大切なお話をして下さりありがとうございます。自分も、できることを行います」


 背筋を伸ばし、誓うように伝える。


 今の自分に何ができるのか。それは分からないが、おそらくシュティも分からないなりに動いた。フィーベルのことだからと、自分に伝えてくれた。勇気のいることであっただろう。こちらに伝えることで、シュティが不利な立場にならないか、それが少し気掛かりだが、身近に守ってくれる存在はいる。


 ここまでしてくれたのだ。情報を無駄にしないためにも、ここまでしてくれた恩を返すためにも、シェラルドも自分なりに動こうと考える。


 手始めに、ユギニスと話をするのがいいかもしれない。クライヴにも同席してもらえたら、和やかに、だが確信のつく話ができるかもしれない。そんなことを考えた。


 コンコン。


 急にドアがノックされ、一斉に顔を向ける。

 入ってきたのは、全身黒紺色のメイド服に身を包んだ女性。


「ビクトリア?」

「お話の最中に失礼致します」


 言いながらシェラルドを目にしていた。


「シェラルド様。ユギニス殿下が部屋に来てほしいとおっしゃっております」

「行きます」

「ではこちらへ」


 ビクトリアと呼ばれた女性について行く。


 部屋を出る前、シュティが少しだけ不安げな瞳を向けてきたが、小さく笑って大丈夫だと伝えた。ビクトリアの動きは滑らかで無駄がない。それ故に緊張してしまいそうになる。それでもシェラルドはただ足を動かした。


 これはシュティが導いてくれた道のようなものだ。これからユギニスと話せる。もしかしたら、フィーベルの話になるかもしれない。思ってもみないことを言われるかもしれない。何か事情があるかもしれない。


 それでも。もしそうだとしても。


 自分の大切な花嫁であると。

 手放したくないと。


 それだけは絶対に伝えるだろう。




「こちらの部屋です」


 ドアの前に立つ。


 深く息を吐いた後、シェラルドはノックする。

 ゆっくりと中に入った。


「あ」


 こちらに気付いて立ち上がった人物にぎょっとする。そこにいたのはクライヴではなかった。


 すぐにでも会いたくて。

 すぐにでも想いを伝えたい相手で。


 だがまさかここで会うとは思わず。

 シェラルドは思い切りドアを閉めてしまう。


「え。シェラルド様!?」


 ドアの前にいるので、フィーベルの焦った声は聞こえた。だが焦ったのはこちらだ。どうして彼女がここにいる……と思った後で、そういえば彼女はユギニスと話す約束をしていたのだと思い出す。


 ということは部屋にユギニスがいるのだろうか。いや、一瞬ではあったが、姿はなかった。じゃあなぜ彼女だけここにいる。ユギニスに呼ばれたというのに。


「シェラルド様」


 ぬっと背後にいたビクトリアに気付かず「うわっ!」と声を上げてしまう。


 完全に存在を忘れていた。だが彼女は全く動じていない。急に叫んでしまったことを恥じたのだが、気にしていない様子だ。すっとドアに手を向ける。


「お入り下さい」

「…………あの、部屋が違うということは」

「ありません」


 即答された。


「……ユギニス殿下は」

「おりません」

「は、」

「ユギニス殿下にここに連れてくるよう頼まれただけでございます。お入り下さい」

「……しかし」

「何か問題でもございますか?」

「…………」


 あるわけない。あるわけはないのだが、それでも時と場合によるというか。決意した時に会ったことで気持ちがぐらついてしまったというか。自分でも言い訳のようなものしか出てこない。


 だがここで離れるわけにもいかず。


「……いえ」


 少し耐えながらそう答えた。


 改めてシェラルドがそっと部屋に入れば、フィーベルがほっとした様子で出迎えてくれる。格好は先程のドレス姿のままなのだが、再度身支度を整えたのか、綺麗になっている。いつの間に整えたのだろうと思いつつ、この国の第一王子と話すなら当然か、と納得しつつ、少しだけむっとする自分もいた。


「それでは私はこれで」


 ビクトリアは自然な流れで帰ろうとした。

 慌てて呼び止める。


「あの」

「何か」

「なぜ、俺をここに」

「ユギニス殿下から頼まれたと、先程」

「それは分かりましたが、俺はてっきり、ユギニス殿下と話をするのだと」

「いいえ。お話のお相手はフィーベル様です」

「え?」


 ビクトリアは視線を動かす。

 同じくそちらに顔を向けた。


 よく見れば部屋はかなり広い。ニ部屋がつながっているのではないかと思うほどの広さで、客間とは違った雰囲気がある。部屋の中には細長い、振り子時計が置かれていた。ビクトリアはそれを見ながら言う。


「一時間ほど経ちましたら夕食をお持ち致します。それまでどうぞ、ごゆっくり」


 最後の言葉だけ、少し意味深だった気がする。

 真顔のビクトリアの表情が少し緩んだ気がした。


 シェラルドは何か言おうとしたが、ビクトリアが部屋を出る方が早かった。しかも出た直後、ガチャ、と音が鳴った。……なんとなく嫌な予感がしドアノブに手をかければ、鍵をかけられている。なぜ。


「……あの」


 はっとして振り返る。


 フィーベルは備え付けの豪華な赤いソファーに腰かけていた。自分の隣に手をぽんぽん、と置く。座ってほしい意図に気付いた。


 色々と言いたいことがあったが、まずは話を聞かなければならない。シェラルドは微妙な顔になりながらも、そっと腰掛ける。


「「…………」」


 しばし二人は無言になった。


 目が合いそうになってはさっと逸らす。

 互いに別の場所を見ていた。


(……なんだこれは)


 イントリックスで別れた時はこんな感じではなかったのに。会ってから言いたいこともたくさんあったはずなのに。意図しないことが起こったせいで、何を言えばいいのか分からない状況になっている。数日ぶりに再会を果たし、互いに見つめ合える些細な瞬間を嬉しいと思っていたのに。


 フィーベルも黙って下を向いている。……この状態を一時間耐えないといけないのだろうか。


 そっと時計に目を移せば、確かに夕食を食べる時間が迫っていた。一応他国の客人扱いでもあるため、ビクトリアは気にしてくれたのだろう。アルトダストに来たばかりなのもあり、緊張していたこともあり、微妙に空腹かもしれない。とはいえ、フィーベルが目の前にいると、なんだか満たされる心地になる。


 ……が、今のままでは耐えられない。

 無難な話から始めた。


「ユギニス殿下と話したんだよな」


 小さく頷かれる。


「どんな話をしたんだ?」

「えっ。えっと……」


 なぜか口ごもっていた。

 心なしか頬も赤くなっているような。


(……ほんとに何の話したんだ)


 内容によっては怒れる自信がある。

 おかげで冷静になれた。


「どうした。もしかして、何か嫌なことでも」

「そ、それはあり得ません」

「無理するな。ここには俺しかいない。なんでも話してくれ」

「…………じゃ、じゃあ」

「ああ」


 シェラルドは座りながら正面を向く。


 どんな些細なことでも聞くつもりだと、フィーベルの顔を真っ直ぐ見つめる。すると彼女も、やっと目を合わせてくれた。緊張している面持ちだったが、意を決したように口を開く。


「……返事をしても、いいですか?」

「…………は」


 まさかそう返されると思わなかった。

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