50:王子の風格

 フィーベル達がアルトダストに向かった後。

 ヨヅカとエダンはそっと執務室を覗く。


 そこには書類を捌くシェラルドの姿。全く迷いがなく次から次へと仕分け、ペンを動かして何やら書いている。その姿はある意味いつも通りであるのだが、見守る二人は感嘆の声が出てしまう。


「……フィーベルを見送ってすぐ仕事に集中できるなんてすごいな」

「吹っ切れたんですかね」


 と言いつつ二人とも本当に話したいことは別にあった。シェラルドがフィーベルにした行いである。エダンはちらっとヨヅカを見る。


「……あの二人は、その」

「多分まだだと思いますよ」


 ヨヅカが察して伝える。


 二人が想い合っていることは知っている。前々からそんな感じではあったが、今回の見送りでさらに確定した。そこそこ人数がいる中で二人共が行動に出たのだ。事情を知る者、知らない者も色めき立った様子だったが、フィーベルとシェラルドは二人の世界に入ってた。おそらく外野がどう騒いでいたかも気にしていないだろう。


 少し距離があったため二人が何を話したかまでは分からない。だが互いに見つめ合い、名残惜しそうな顔をしていた。多分、まだだ。思いが通じたのならおそらくもっと別の雰囲気になっていただろう。


「そうか……それにしても、すごいな」


 さっきからエダンは感心している。自分より年下の後輩がなかなかに思い切った行動に出たからだろうか。現在エダンはアンネからの「押して駄目なら引いてみろ」作戦を律儀に守っている。


 訓練でヴィラと久しぶりに接したものの、結果が相手の思い通りでなかったせいか、いつも以上に機嫌が悪そうだった。二人は付き合いが長い。最初は教育係と教え子、次に隊長と副隊長。今はエダンが第一王子の側近になったことで、関わる機会が減っている。減ってはいるが、過ごした時間は長い。長すぎる故にこじらせているようにも思う。


「エダン殿もそろそろ動いてみたらどうですか?」


 待ってはいるがあまり進展があるように感じない。ヴィラはヴィラで今は目の前のことに集中している。ようやく隊長としての自覚を持って仕事に励んでいるのだ。むしろエダンに追いつくためにがむしゃらになっているところもある。


「だが……」

「ヴィラは素直じゃないだけですよ」


 散々匙を投げる人が多かった中でエダンは諦めずに教育し続けた。今もヴィラ自身のことを諦めている様子はない。だからヴィラはエダンのことを意識している。割と周りから視線をもらっているというのに、エダンからのアプローチしか気付いていない。


 そのくせ自分からはなかなか動けない。自分じゃない人の方が彼を幸せにできるのでは、という気持ちと、自分じゃ相応しくないと思っているのだ。最近は少し考えを変えたと思うが、一番の原因は素直でないから。こればっかりは性格なので仕方ないだろう。


「俺は、二人が上手くいってくれると嬉しいです」


 ヨヅカは柔らかく微笑む。

 エダンは「ありがとう」と苦笑した。


 今ヴィラはアルトダストにいる。王子に気に入られる可能性もあると聞かされると、エダンは内心気が気でないだろう。それはおそらくシェラルドも同じ……と思っていたが、案外心配しなくてもいいかもしれない。


 ヨヅカは再度シェラルドに目を向ける。真剣に仕事に向き合う彼は、いつも以上に騎士として、男として、堂々としているように見えた。




「………」


 シェラルドは手を動かしていたが、頭は少しぼーっとしていた。先程まであったフィーベルの温もりをどことなく噛み締めている。だが仕事中なのでそれだけに浸っていてもいけない。だから手は動かしているのだ。


(……可愛かった)


 腕の中にいるフィーベルは可愛かった。慣れないキスにどうしたらいいか迷いながらも応えてくれた。驚きのあまり最初は怯んでいるように見えたが、そのままでいてくれた。反射で殴ることも、魔法を使って逃げることもできたはずだ。そうすることもなく、ぎゅっとシェラルドの制服を掴んでいた。


 これは花嫁のフリをしているからでも、ただシェラルドのためにしてくれたわけでもない。少なからずフィーベルの意志もあったと思いたい。そもそも訓練の時にあんな言い方をしてくると思わなかった。ただの作戦だと思っていたのだ。それがそうじゃなかった。


 頬に自ら口付けてくれたとき、照れたように、だけど嬉しそうに笑ってくれて、止められなかった。本当に彼女は自分の花嫁であると、あの時強く思った。


(……にしても、だ)


 シェラルドは思わず首を下にする。


(好きだと伝えるって、もう伝えてるじゃないか……)


 フィーベル達を見送ってから気付いた。「伝えたいことがある」と言えばよかったのに、ぽろっと言葉にしていたのだ。フィーベルは驚きながら潤んだ瞳で見つめてくれた。時間がなかったためそのまま別れるような形になった。次に会った時、どんな顔をすればいい。彼女は答えてくれるのか。そもそもアルトダストに行くのにそんなことをしている場合なのか。


 色々反省が頭をよぎる。


 だが、今しかないと思ったのも事実。今伝えたいと思ったのも事実。後悔はない。タイミングがあれでよかったのかと聞かれるとなんとも言えないが。


 シェラルドはそっと自分の手を見る。


 ルカから渡された指輪は、よく見ると淡く光っている。以前は橙色だったというのに、いつの間にか真っ赤になっていた。これは一番相性がいいというもの。ということはつまり、期待してしまいそうになる。フィーベルの口から聞きたい。……いや、もう一度、きちんと伝えたい。


(何と言われても、俺の気持ちは変わらない)


 今度は愛していると伝えようか。

 シェラルドは優しい表情になった。







「いいものが見れたね」

「…………」


 部屋で微笑むクライヴと、難しい表情のマサキ。現在クライヴは部屋で、洋服の採寸をしていた。数日経てばアルトダストに向かう。そのために仕立てるのだ。一国の王子であるからこそ、いいものを着て向かわなければならない。


「気に入らない?」


 採寸が終わり、針子は部屋から出ていく。二人きりになるとさらに静寂な空気になる。クライヴが聞けば、マサキはゆっくり口を開いた。


「微笑ましくないと言えば嘘になります」

「よかった。僕は嬉しいよ。こうなってくれたらいいなってずっと思っていたから」 

「ですが、これから先のことを思うと」


 クライヴはちらっとマサキに目を動かす。


「心配?」


 珍しく戸惑うような様子の側近に、クライヴは少しだけ新鮮に思う。どちらかといえば理論的で冷静な人物だ。情はあるが、情だけで動くわけじゃない。そういうところも含めてクライヴは信頼している。だが共にフィーベルを見てきた。彼女に対して厳しい面はあったが、それは一人の人として思うが故。


「……殿下は、最初から二人に伝える気はなかったのですか」


 散々誰にも言っていない話。マサキとクライヴだけが知っている話だ。マサキからいつ言うのか、と何度か催促されたことがある。


 クライヴはあっさり答えた。


「アルトダストに行けば自ずと分かることだよ。それに全ては相手の行動による」

「……しかし今更ながら、フィーベル様とシェラルド殿を出会わせる必要はなかったのでは。そうでなくても今日を迎えていたと思いますし」

「そうだね。フィーは僕の言うことを素直に聞いてくれるし、シェラルドも僕の側近として行くことはなかったかもしれない」

「なら、」

「でもそれじゃ駄目なんだよ」


 クライヴはきっぱりと言い切る。

 有無を言わさない。


「人は人と出会うことで変わり、未来さえも変える。例え何があっても、思いは決して変わらない。……僕自身もそうだ。想いは変わらない」

「……殿下」


 クライヴはふっと笑う。


「僕はあの子にも、幸せになってほしいから」







「おはようございます。あら……」


 翌日。ラウラが部屋まで迎えに来てくれた。今日もゆらゆら揺れる長い袖と裾を持つ洋服で胸元が大きく開いている。くま一つない完璧な顔もさすがだが、彼女はきょとんとしていた。


「皆様あまりお休みになれませんでしたか?」

「いえ、お気遣いなく……」


 アンネが代表して伝えるが、三人共瞼が重かった。あの後フィーベルは質問責めにあったのだが、他の二人も同じ目に遭ったのだ。おかげで寝不足。他国に来てしかも今日は王族に会うというのに、少しはしゃぎすぎたと全員反省している。


「ははっ。眠そうだが姿勢は綺麗だな」


 ラウラの隣で豪快に笑ったのは、この国の騎士。


 輝く金髪を持つが、前髪を上げており大人びて見える。年齢はおそらくシェラルドより上だろう。瞳はまるで海の如く澄んだエメラルドグリーン。顔だけ見るとどことなく優美で気品があるが、かなり鍛えているのか身体は大きい。制服の上からでも筋肉が盛り上がっているのが分かる。


「お初にお目にかかる。リオの代わりに案内役として来た」


 よく通る声だ。


 この国の騎士や魔法使いは、黒を基調とした制服らしく、一見かなり地味に見える。血痕があまり見えないようにという配慮らしく、それは自国も似たようなものだ。ラウラは少し変わった服を着ているが、人によっては制服じゃない人もいるという。


「リオ、どうかしたんですか?」


 ヴィラが気になって聞く。


 昨日散々ラウラにいじめられたからだろうかと予想していれば、「ラウラにいじめられていじけたんだと」と笑いながら騎士が説明してくれる。真意は分からないが、おそらくそれも理由の一つだろう。ラウラは優雅に微笑んでいる。分かった上でその表情になっているに違いない。


「あの、お名前は」

「これから殿下に挨拶するなら、余計な名前は覚えなくていい」

「で、でも」


 フィーベルは、せっかく出会ったのなら自己紹介はした方がいいのではと考えた。これもまた一つの縁。今回の大きい目的は王族に会うことだが、騎士や魔法使いと共に交流することもあるだろう。すると騎士は歯を見せながら笑う。


「優しいな。謁見後に名前を伝える。それでもいいか?」

「はい。私は」

「客人の名前は知っている。フィーベル殿、ヴィラ殿、アンネ殿だろう?」


 さすが把握してくれている。しかも一人一人顔を向けてくれた。顔まで瞬時に覚えられているとは。尊敬してしまう。


「それでは殿下の元へ案内しよう」


 いよいよ、この国の王子と対面である。







「……ねぇ、まだなの?」

「しっ。ヴィラ様、聞こえますよ」


 アンネが小声で窘める。

 だがヴィラは分かりやすく眉を寄せた。


「だって一向に王子来ないじゃん……」


 すでに二十分は経過しただろうか。


 謁見室はかなり広く、しかも傍には使用人……城で働くメイドや執事、騎士や魔法使いが揃っていた。そうであるのに玉座には肝心の姿がない。フィーベル達は三人とも横に並んで立って待っている。周りの人達も立って待っている。すぐに王子が来ると思えば、全く来る気配がない。誰も言葉を発しないので静かなままだ。


「このまま夜まで待ってろってこと?」


 明らかに嫌そうな声を出す。使用人達とは距離があるため、こちらが話している内容まではおそらく聞こえていない。声を出さない方がいいのではと思いつつ、アンネも口を開いた。


「さすがにそれはあり得ません。ですが……少し異様ですね。周りの方達も動じていないようですし」


 アンネの指摘通り、周りの様子が少しおかしい。みんな、全く気にしていないのだ。フィーベル達が待たされていることも。王子が来ないことも。何かしら連絡がありそうなものなのに、誰も動かない。誰も気にせず黙ったままだ。


「……何か、意味があるのかな」

「え?」


 フィーベルの呟きにヴィラが首を横にする。


「意味があってこうしているように思います。例えば……私達の様子を観察しているとか」

「観察? うわ、悪趣味」

「ヴィラ様っ」

「我慢比べにも見えるね。そういえば色んなことを試してくる国だったか。……それなら乗るけど」


 ヴィラはいつの間にか楽しそうににやっと笑っている。先程までむっとしていたのに。さすがは負けず嫌い。勝負事ならなんでも負けたくないようだ。


 するとゆっくり足音が聞こえてくる。

 三人共顔を向ければ、先程の騎士だ。


「すまない。だいぶ待たせているな」

「大丈夫です。待つのは得意なので」


 ヴィラは顎を上にして挑戦的だ。


「……先程まで嫌そうな顔してたじゃないですか」

「ちょっとアンネさんそれ言わないの」


 せっかく誤魔化したのにバラされてしまう。

 するとふっと笑われる。


「せっかくだから少し聞きたい。まだ出会ってもいないアルトダストの王子のことを、君達はどう思う?」

「?」

「どう、とは」

「アルトダストは革命を起こした国だ。王子は利口で行動力もある。そして国を立て直した。自国からすれば英雄のようなものだ。だが他国からは色々言われている。あまり情報を公開していないこともあって、暴漢であるとか、腹黒であるとか、根も葉もない噂もよく飛び交う」

「それはひどい……」


 フィーベルが思わず呟いた。

 すると騎士と目が合う。


「なぜそう思う?」

「だって、それはあくまで噂です。どんな人なのかは、実際に目で見て、接してみないと分かりません。それに、私がもし王子であれば、そのように勘違いされるのは悲しいです」


 真っ直ぐ騎士を見て伝える。

 そこに嘘は微塵もなかった。


 騎士は少し目を細める。


「――やはり、似ているな」

「え?」


 今度は目線をヴィラとアンネに向ける。


「お二人は?」

「私もフィーベル様と同意見です。人を見た目、噂だけで判断したくはありません」

「私もですね。そうやって批判するのはひどい目に遭わされた時でいいというか。腕っぷし負けるつもりもないし」

「ヴィラ様。それはちょっと力技です」


 アンネが半眼になりながらツッコんだ。


 すると騎士は大きめの笑い声を出す。

 まるで楽しそうに、喜んでいるように聞こえた。


「なるほど。なぜ女性だけをこの国によこしたのか疑問だったが、さすがはクライヴ。考えがあってのことか」


 口調が変わり、クライヴを呼び捨てしている。

 と思った瞬間に騎士の顔色も変わっていた。


 先程までの親しみやすい雰囲気から、急にぴんと張り詰める空気になる。彼の瞳に強い光が見えた。睨んでいるのではない。表情は穏やかなままだ。


「改めて名乗ろう」


 彼は口元を緩める。


「俺の名はユギニス・アルベルトクライツェ。アルトダストの第一王子だ。三人共、歓迎しよう。ようこそ、俺達の国へ」


 一斉に周りから活気づいた声が聞こえてきた。

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