9.果たし状のようなもの

「凛君、助けて下さい! 大変なんです! 緊急事態なんです!」


 四葉の席について早々彼女に泣きつかれる。助けて、大変、緊急事態、この三つの言葉が揃うとは余程大変な状況かと思ったのだが彼女を全体的に見渡した限り、怪我をしたわけでも、体調が悪くなったわけでもなさそうだった。


「で、どこが緊急事態なんだ?」


 改めて聞くと四葉はこくりと頷いて自らの机の中を探り、取り出した一つの紙を俺に見せてくる。紙を見るとそこには綺麗な字で文章が書かれていた。『今日の放課後、学校の体育館裏にて待ちます』とだけ書かれた紙を見る限りこれは果たし状なのだろう。それにしても随分と古典的な方法である。


「移動教室から帰ってきたら机の中に入ってまして」

「何か身に覚えはあるのか?」


 そう聞くと四葉はふるふると首を横に振る。彼女に身に覚えがないとなると他には俺だろうか? しかしそれなら俺の机の中に入れるはずで彼女の机の中に入れる理由が分からない。そうなれば考えられることはもうなかった。


「とりあえず放課後になるまで待つしかないか」

「そうみたいですね。ちなみにですけど凛君は放課後に予定があったりしますか?」


 俺に付いてきて欲しいということだろうか。四葉は助けて欲しそうな目をしていて、そんな目を見てしまえば断ることなど出来なかった。実際は全く予定などないので問題ないのだが、例え予定があったとしても断ることは出来なかっただろう。


「分かった。放課後一緒に行けばいいんだろ」

「来てくれるんですか? ありがとうございます、凛君」


 なんとなく上手く乗せられている気がしなくもないが今回は何も言わなかった。時には困っている人に黙って従うことも男として必要なことなのだ。



 それから時間が経って放課後、四葉の席へと向かうと彼女はかなり緊張している様子だった。声をかけても反応がないので相当なのだろう。


「おーい聞こえてるか?」


 止む終えず四葉の肩を叩けば、彼女はビクッと肩を震わせ、続けてこちらに顔を向けた。


「凛君でしたか、もう行くんですか?」

「まぁ俺は早めに行った方がいいと思うけどな、相手に悪いし」

「それはそうかもしれませんが私の心の準備がまだ……」

「多分そんな相手も喧嘩腰じゃないと思うけどな、果たし状の字も綺麗だったし」

「なんなんですかその判断基準は……でも本当にそうなんでしょうか?」

「ああ、きっとそうだと思う」


 何の根拠もないが四葉を安心させるためにとりあえず大丈夫だと言葉を掛け続ける。そうでもしなければ彼女は自分の席から動きそうになかった。


「凛君がそんなに言うなら……分かりました、行きます」


 渋々行くことを決意した四葉だが、何かを躊躇しているのか制服のスカートの裾をぎゅっと掴んでいた。だがそれも少しの間だけで彼女は意を決したようにスカートの裾を離すと俺の右手を掴む。


「……でもちょっと怖いので、よろしければ手とか繋いでもらえませんか?」


 もう手とか繋いでるよね、という突っ込みは置いておいて今や美少女の仲間入りを果たしている四葉にお願いされて断れる男など存在しない。いつもの如く俺も例外ではなかった。


「あ、ああ分かった。でもこれはちょっと恥ずかしいかもな」

「……恥ずかしいですか?」


 俺の住んでいる家が汚いことはすぐ分かるのに何でそこは分からないの? と思ったことが口から出かけるも、すんでのところで喉の奥に戻す。なんというか言っても意味がないような気がした。


「いやなんでもない、行くか」

「はい」


 それにしてもこの手を繋ぐとかいう行為、普通に恥ずかしい。早いうちに用事を済ませてすぐに帰りたい気分だった。いや本当に。


◆◆◆


 手を繋いだまま校内を歩くこと約五分、昇降口で靴を履き替えた俺と四葉は目的地に着いていた。流石は体育館裏だけあって人気が少なく、日当たりも悪い。そんな若干薄暗い雰囲気の中、近くにある木の影から一人の生徒が現れた。


「よく来たわね」


 現れたのは艶やかな長い黒髪と長い睫毛、キリッとした目元が印象的な美少女。そして俺はその美少女の名前を知っていた。月城つきしろ冬華ふゆか、彼女は俺から見て一学年上の先輩で、まだ入学したての俺達一年生の間でも美人と有名な先輩だった。咄嗟に何この状況と思ったのも一瞬、彼女は続けて言葉を発する。


「まずは私のことだけど、私は月城冬華」


 よろしくと声をかけられ、それに対してどうもと返事をする。続いて四葉がよろしくお願いしますと返事をしたのを見ると月城先輩は早速本題とばかりに話を切り出した。それにしても呼んだのは四葉なわけでここには俺という部外者もいるのだが月城先輩はチラッと少しこちらを見るだけでほとんど俺のことは気にしていないようだ。


「祝さん、今日あなたを呼んだのは少し断っておきたいことがあったからなの。それと先に謝っておくわ、ごめんなさい」


 月城先輩の言葉にどういうことですか? と四葉が質問すると月城先輩は一度頷いてから話し始める。


「私聞いてたのよ。あなた達がここで密談するのを」


 密談と言われてピンと来るのは俺が四葉と付き合い始めた日、彼女の体質改善に協力すると約束した日だった。もしかして話を盗み聞きしていたのを謝りに来たのだろうかとそう思ったが先程の言葉の感じからそういうわけでもなさそうだ。


「それで本題はここから、実は今少し困ってて私のにも協力して欲しいのよ」

「協力って私がですか?」


 四葉が少し不安げに自分を指差すが月城先輩は首を横に振る。それから月城先輩は俺の方を指差した。


「いいえ、そこの後輩君よ。後輩君にはその……私の男性恐怖症を改善するお手伝いをして欲しいの」


 突然指名されたことと月城先輩が男性恐怖症だということに内心驚いていると続いて四葉が月城先輩に質問をする。


「それって凛君を貸して欲しいということですか?」

「そういうことになるわね。いいかしら?」


 俺という人間がもののように扱われていることに何も思わないわけではないが一旦心だけに留めておく。それよりも一先ずは俺が月城先輩に返事をしなければいけない。そう思ったのだがその必要はなかった。というのも四葉が俺の代わりに返答していたのだ。


「嫌です。お断りします」

「ありがとう、そう言ってくれると……ってえっ?」


 相手が先輩なのでてっきり承諾すると思ったのだが、四葉も意外と言うときは言うようだ。それにしてもこの状況、かなり気まずい。

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