ひとなつプラネタリウム

ウタノヤロク

~プロローグ~ 二人の夜空

「きれい」


 紗季がそっと言葉を呟くたびに形のよい唇から白い息が漏れた。


 頭上にはどこまでも続く果てのない濃紺色の夜空。その中には大小様々な星ぼしが散りばめられ、その一つ一つが宝石のように優しく輝いていた。


 あと少しで訪れる年の終わりを感じさせる十一月、俺と紗季は誰もいないスキー場の駐車場で二人して寝そべりながら星を眺めていた。


「ねぇ、あの輝いてる星はなんていう星?」


 紗季が一つの星を指差す。


「あれはシリウスだ。シリウスはおおいぬ座の一つで近くにはこいぬ座をなしているプロキオンもある。ほら、あそこに三つ並んでいる星があるだろ? あれがオリオン座。それでオリオン座のベテルギウスとシリウス、それとプロキオンをつなげると冬の大三角形が出来るんだ」

「じゃあ、冬の大三角形があるってことはもしかしたら夏の大三角形もあるの?」

「そうだな。冬はシリウス、ベテルギウス、プロキオンの三つだけど、夏はベガ、デネブ、アルタイルの三つが夏の大三角形。ちなみに七夕で出てくる織姫と彦星はベガが織姫でアルタイルが彦星。その間にあるのが天の川だ」


 得意げに話すと同じように駐車場に寝転んだ紗季が首だけを横に向けて、


「さすがものしり博士だ」


 なんて嬉しそうに白い歯を覗かせて笑っていた。


「あ、流れ星」

「え? どこどこ?」

「ほらあそこ」


 指さすがそれも見えていたのは一瞬で、流れ星はあっという間にその姿を空の彼方へ消した。


「あーあ、流れ星見たかったな」

「残念だったな」

「残念どころじゃないよ。流れ星を見ることが出来たら絶対に願い事を言うって決めてたんだから」


 紗季が頬を膨らませて残念がっていた。


「流れ星なんてまた見える。ほらまた」

「え? あ! ……あーあ……せっかく見れたのに……」


 ガバっと起き上がったが、瞬きをする間に消えた流れ星に願いを告げることは叶わなかったようだ。


 ゆるゆると起こした体を地面にあずけると「チャンスはまだあるから」と開き直ることにしたようだった。


「流れ星に願い事なんて迷信だろ」

「ハカセって星が好きな割には現実主義者だよね」

「ロマンチストの方がよかったか?」

「んー、まぁ今夜は月が綺麗ですねぐらい言えるようになれば上出来かも」

「道のりは遠いな」


 それからお互いしばらく口を開くことはなかった。話題がなかったわけじゃない。もしかしたらこのどこか穏やかな空気を壊したくなかったからだ。


 星に混じって動く光。一瞬、流れ星かと思ったが、よく見たら地球の周りを回っている探査衛星だった。けれどそう思ったのは俺だけじゃないらしく、紗季がはっとしたような顔をしていたが次にはなーんだとがっかりした顔をしていたのが何よりの証拠だった。


 そういえば、と思う。すると俺の心を読んだのか紗季が話しかけてきた。


「ねぇハカセ」

「なんだ?」

「さっきさ、流れ星が見えたときにわたしが願い事を言うって言ってたじゃない」

「願い事? ああ、そういえばそんなこと言ってたな。それがどうかしたのか?」

「ハカセはさ、わたしの願い事がなんなのか気にならないのかなって」

「別に気にしたことはないな」


 本心と建前を半分づつ混ぜた言葉ではぐらかす。


「遠慮しなくていいんだよ。ほら聞きたいんでしょ?」

「いいよ。それに願い事って人に言ったら叶わなくなるって教わらなかったか?」

「そうかもしれないけど……ほら、こういうのって少しは気にしてもらいたいじゃない」

「そういうものか?」

「そういうものだよ」


 なんだか無理やり納得させられたような気がする。とはいえ、気にならなかったわけじゃない。せっかく教えてくれるっていうのだからここは素直に聞き従うことにした。


「それじゃあ、お前の願い事ってなんなんだ?」

「もったいつけた割には大した話じゃないんだけどさ、これって願い事っていうよりは希望かな」


 紗季がそれまで開いていたまぶたをそっと閉じる。


 まつ毛が長いな。それが今の素直な感想だった。



『またこうやってハカセと星を見にこれますように』



 これが紗季の願いだった。


 なんだか気恥しくなって紗季の顔を見れない。もしかしたら顔が赤くなっていたかもしれない。なんだよそれ、と冗談めかして笑い飛ばそうと思ったが、


「うわー! 恥ずかしい! わたしなに言ってんだよ!」


 紗季に先手を打たれてたまらず「本当にな」と息を吐くに留めた。


 穏やかな時間だと思う。


 けれど、あとひと月たらずで古い一年は過ぎ去り新しい一年が始まる。そうなれば俺たちは高校三年生になり、将来を決めるための準備を始めないといけない。もうこんな風に何も考えずに、星なんて眺めることなんて出来なくなるだろう。


『いいか翔吾。人生なんてもんはな、一瞬で消える流れ星みたいなもんなんだ。今が楽しいって思っても、長い人生で見ればほんの一瞬しかない。だけどな、その楽しいひと時が過ぎても、その日々を忘れなきゃいつだって人生は楽しかったって思える。だから今のうち楽しめるだけ楽しんでおけ。それがいい大人になる秘訣だ』


 どうしてか親父に言われた一言が蘇った。言われたときはどういうことかわからなかったけど、今なら親父がどうしてそんなことを言ったのかなんとなくわかる気がする。


 きっと紗季も気づいてるのだろう。このたまらなく愛しい一瞬がもう手に入らないことを。


 根拠なんてない。


 なのに俺は言いたかった。


「また来よう」


 紗季が「え?」という顔をしていた。


「なんだよその顔」

「いや……ハカセがそんなこと言うとは思ってなかったからびっくりしちゃって」

「驚いたか? 実は俺もこんなのはガラじゃないって思う」

「だよね」


 お互いに頷き合いながら笑う。


「でもハカセがそう言ってくれて嬉しい」


 紗季の瞳の中に新星が生まれたように瞬く光があった。


「あのさ……」

「ん、なに?」

「来年は夏に来ないか?」

「次は夏かぁ。うん、約束だ。ところで来年になったら私たち受験生だよね。ハカセはどこに行くか決めた?」

「俺は地元の大学に行くことにした。お前は?」

「わたし? うーん、まだ考えてない」

「お前の成績だったらどこだって行けるだろ。例えば東大とか」

「さすがに東大なんて無理だよ。早稲田とかならともかく」

「それ自分で言うか?」

「せめて夢くらいは見たっていいんじゃない? あー……でも来年は受験生かぁ……」

「出来ることなら考えたくないな」

「現実主義者なのに?」

「今だけはロマンチストでいさせてくれ」

「なにそれ」

「ほら科学は時に壮大なロマンチストって言うだろ」

「じゃあハカセじゃなくてスティーブンだ」

「俺がスティーブンだったらさしずめお前はジョニーか?」

「なんでわたしがジョニーかな。どっちかって言えばキャサリンのほうが合ってると思うよ」


 なんの脈絡もない話で盛り上がっていると、紗季が体を震わせた。


「寒くなってきたね」


 携帯を取り出して時刻を見ると既に十二時を回っていた。どうやらお開きの時間みたいだ。


「行くか」


 地面に敷いていたレジャーシートを片付けると傍らに置いてあったバイクに括りつけた。


 エンジンをかけて暖まるのを待っているとヘルメットを着けた紗季がバイクの後ろに跨りながら、さっきまで俺たちがいた場所を名残惜しそうに見ていた。


「また来れるよね」


 紗季がコツンとヘルメットをぶつける。


「また来れるさ」


 俺も返事の代わりにコツンとぶつけ返した。


 アクセルをひねると、バラララと小気味の良い音を響かせながらバイクが走り出した。


 また来れるさ。


 俺は心の中でもう一度呟くと、アクセルを強めた。

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