第170話 訳者後書

 これは港湾国家カシーラスにおける歴代宰相の中でも史上最高に明敏であったと評されているマテウス=フランドルの手記の一つで、とある貴族の遺品がオークションにかけられた際、偶然発見された。カシーラス建国歴三八〇年の秋に発生した小規模ダンジョンの異変にまつわる顛末を記した物とされる。


 この国の歴史研究は厳密には私の専門とは言えず、またこのような興味深い未発見資料の翻訳は将来ある若い研究者が率先して作業すべきものと心得てはいるが退官間近な老骨への手向として頂戴した仕事と考え、取り組ませて頂いた。


 マテウス=フランドルが宰相であったのはカシーラスが戦乱を乗り切り空前の繁栄を享受したとされるカシーラス建国歴三六五年から三九三年とされている。この時代はカシーラスにおける歴史の転換点でありこれまでにも学者達が様々な報告をし、多くの創作物の舞台にもなっている国民にも人気の時代である。


 手記によると首都ヴァテントゥール壊滅どころか国の存亡の危機と言える事態に直面したところをレーヴェ神国の騎士とS級冒険者の手助けで乗り切ったと記されてはいるが、カシーラス正史にはそのような記録は残っていない。カシーラスの冒険者ギルドの記録にも『四箇所のダンジョンに異変が発生したが冒険者に依頼を出し解決した』という簡易な記載を認めるのみである。


 しかしこの手記を荒唐無稽なものと判断するのも些か拙速に過ぎると思われる証拠として、カシーラス正史の中に目的は不明だが三八〇年の秋にガーランド帝国から使者があったことが記録されている。また、ガーランド帝国史の研究でもこの使者が何らかの根拠を持ってカシーラスからリドカルの統治権を奪うために派遣されたとする論文が認められた。これらのことはこの手記にある程度の正当性を与えていると言えるのではないかと思う。


 そして特筆すべきはレーヴェ神国聖印騎士団の団長であるプレストン=レイノルズに関する記述があることだ。聖印騎士団の様々な英雄的伝説は広く人々に知られており、ここで多くを語る必要はないだろう。そんな伝説の中にあって歴代の騎士団長には偉大な傑物が居並ぶがプレストン=レイノルズは特に目立った功績を残していない騎士団長であり、騎士団長在任時代の動向にも不明な点が多い。そんな彼を研究者の中には凡庸な騎士団長であったと評価する者もいるがこの手記が事実であれば、神国を出奔し冒険者として活躍していた時期があり、あのマテウス=フランドルが跪拝するほどの人物であったことになる。私もレーヴェ神国を研究する者の一人としてこれらが事実であれば非常に興味深い記載であるということをここに記しておく。


 本手記の翻訳内容に関しては自信があるし筆跡の鑑定ではほぼマテウス=フランドル本人のもので間違いないとされている。しかし、この内容が事実なのか、荒唐無稽な創作物であるかという正統性の問題はもう少し時間をかけて検証されるべきものかもしれない。そしてその作業は意欲ある後世の若い研究者に委ねたい。願わくばこの翻訳が歴史の謎を解くための新しい一助になれば幸いである。


 本来専門ではない港湾国家カシーラス正史の解釈については国立図書館から貴重な文献を提供頂いたことと学生であるジル=カリナス君に多大なる貢献を頂いた。冒険者ギルド関連の資料についてはギルドからも全面的な支援を頂き、ギルド史の研究者であるアンナ=ミルズバーグ教授から貴重な御意見を頂戴した。その他にも多大な貢献を頂いた皆様にこの場を借りて厚く御礼申し上げる。


 見事に晴れた秋の日の下で。

               神国歴 二五六〇年九月

                  ヨハン=フレミング


 参考文献:省略

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