第2話

 時計を見た。


 18時半過ぎ。あと5時間と少しで全てが終わる。


 何をすればいいのだろう?


 録画していた好きな映画を観る?うまいものを食べる?


 無理矢理眠って、何もわからないうちに終わってしまう?


 ……どれも出来そうになかった。


 ひとりでは、寂しすぎた。ひとりの、この家では。


 苦しい静寂に包まれたこの家には、今いたくなかった。


 ナミカは去り、父との別れも済み、ここに居ても、もう何の変化も起こる可能性はなかった。


 鍵もかけずに家を出た。


 行く所はひとつしか思い浮かばなかった。


 学校だ。


 我ながら、ばからしいとも思った。


 部活動もしていない、どちらかというと消極的で全体の事などあまり考えていない自分、愛校心なんて昔の言葉が自分のうちにある訳では無論ないのに、なぜ今、あの場所に向かうのだろう?


―――


 商店街を通ると、酔っぱらいが数人暴れていた。


 ぼくがその場を通り抜ける前に、機械兵士が現れた。


 金属の警棒を、暴れている男達めがけて、次々と振り下ろす。嫌な音がして、骨が砕けたのだろうと思った。


 普段は、機械兵士も、酔っぱらって暴れたくらいではここまではしない筈だが、もう、そういう段階プログラムは解除されているのかも知れなかった。


 ぐったりした男達を軽々と抱え上げて、ゴミを収集するかのように車輌内へ放り投げている兵士の視線につかまらないよう、ぼくは慌てて横道に逸れた。




 学校に着いた。


 門は閉められ、校舎には明かりはなく、静まり返っていた。


 ぼくは、門を乗り越えた。


 校庭を走り抜けながら、ぼくは、きょろきょろと辺りを見回した。まるで、何かあてでもある人のように。


 何の気配もなかった。ぼくはそれで初めて、ここに来ればきっと何人か集まって騒いでいるのではないか、と自分が期待していた事に気づいた。


 でも、誰もいない。


 こんな時にこんなところに来るのは、ぼくだけなのだ。


 常夜灯が小さく白く光るばかりの校庭で立ちつくし、ぼくは涙が出そうになった。


 その時だった。


「タカハシ?」


 男の声がした。振り向くと、ジャージ姿の中年男が立っていた。体育教師のヒライ。


「おまえ、おまえよく学校に来たなあ」


 ヒライはなぜか嬉しそうだった。顔が赤く、息は酒臭かった。


「ここには誰もおらん。まあ来い」


 そう言うと、体育教師は、どう対応しようか決めかねているぼくの腕を強引に引っ張り、校舎へ向かって歩き出した。




 教員の休憩室に入ると、酒瓶が床に散らかり、炬燵の上に、半分空いた一升瓶と汚れたコップが乗っていた。ヒライは、食器棚からもうひとつ、あまり透明感のないガラスのコップを出してきた。


「まあ、飲め。先生が許すから」


 そう言って、日本酒を注がれた。


 ぼくは、酒をおいしいと思った事はなかったが、飲んだ事はあるし、自分が強いという事は知っていた。


 潤んだ目の中年男に見つめられて、仕方なくぼくはコップに口をつけた。ぼくは一体何をやっているのだろう?


 それから、ヒライは語り出した。


 家に誰もいないから、ここに来た事。窓からぼくの姿を見つけて、嬉しかった事。


 なんで、おまえ一人しか来ないんだ? 最近の学生は、愛校心がなさすぎる。男なら、こういう時はダチと肩を組み合って語り明かしながら最期のときを迎えるもんじゃないのか。それを、なんだ、親と一緒に泣きながら布団にくるまっているのか? まったく情けない。その点、おまえは見上げたもんだ。偉い。先生と飲み明かそうな。


 先生も、ずっとひとりだった訳じゃないんだぞ。おまえたちは、40も後半で独身、とバカにしていたかもしれんけどなあ、若い頃はもてたんだ。可愛い彼女がいた時もあったんだぞ。でも、彼女は出ていっちまった。なんでだろう、なんでだろう……。


 30分も経たずに、体育教師は酔い潰れて眠ってしまった。ぼくは、そっと炬燵を抜け出した。


 家に誰もいなくて寂しくてここに来た。ぼくとこの男は同類だ。


 涎を垂らして鼾をかいている孤独な中年男に共感する気持ちは芽生えず、ただ自分のみじめさが一層つのった。

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