三日月の雫をあびて
自動的に大きなサイズに交換された右のモニター内では、少し前から女性の肋骨の切除と中年男性の足首切断の様子が流されており、空いたスペースを執筆に使っている左のモニター内でも、若い男が腎臓を摘出されようとしている様子が、ずいぶんと前から画面の左半分に映りつづけていた。
次から次へと一体何なのだ、と夏子はキーボードの乗ったトレース台を、「クソッ!」と両手で思いきり叩き、正面に並ぶ二つのモニターを交互に睨みつけて溜め息を吐いた。モニターの男どもの呻き声も我慢ならない。
これではまったく執筆が進まないではないか。部屋の蒸し暑さも、尋常ではないほど高くなったのを肌で感じる。拭っても拭っても汗が止まらない。
「はぁ……わたくし、正直ガッカリしました。少々期待しすぎていたのかもしれません」
突如として響いたおかめ野郎の機械音声に、夏子は思わず天井を見上げて部屋をぐるりと見まわし、これはまずい展開かもしれないと、素早く立ち上がって椅子を蹴り飛ばした。
「
床に転がった椅子から拘束具が現れる気配はない。周囲や背後へ視線を飛ばし、部屋に異常が起きていないことを確認してから、ふとモニターを見下ろす。左のモニター内の執筆画面が消え、男性の腎臓を摘出している映像の右隣に、『トテチテ/現代ドラマ』という文字と、女性が摺り足で左方向へ後退していく姿が映っていた。
灰色のキャミソールに膝丈の黒いフレアスカートという地味目な服装に反し、普段は綺麗に整えているのであろう長い黒髪が、暴風雨のなかを歩いてきたかのようにぐしゃぐしゃに乱れている。
「貴女、盗作されましたよね? 『
バカな。なぜそんなことをしたのだ。明らかに不正だとわかる。バレないとでも思ったのだろうか。特殊な状況下ではあるが、正気と冷静さを失っては助かる命も助からない。
「盗作は不正行為です」
ルールの一つに抵触している。
「ちが、違います! 私、やってない! 坂下、は、私、私です!」
このトテチテという女性の声だろう。盗作はしていないと主張しているようだが、たとえ嘘でも誰だって命乞いぐらいはする。
「そして、不正行為は極刑に値しますッ!」
壁を背にした女性が顔を上げた途端、天井から液体を浴びせかけられた彼女は、声もなく床へ倒れ込むと、まるで熱湯をかけられた蟻のように手足をバタつかせて転げまわりはじめた。
なぜ悲鳴を上げないのかと不思議に思っていた夏子は、床の上で暴れる女性から白い煙が上がりだし、彼女の顔面と長い髪がどろどろに溶けて癒着した姿がアップになったのを見て息を呑んだ。
反応の速さからすると、超酸と呼ばれる濃度の高いフルオロアンチモン酸あたりを浴びたのかもしれない。あんまりだ。不正をしたからといって、それは女性の顔を潰すほどのことか。罪を犯したというのならば、然るべき場所へ行って償えばいい。
夏子は画面内左で手術を受けている騒がしい男へ視線を送り、次に右のモニターに映る男女二人へと顔を向けた。彼らの執筆名も得意とする小説ジャンルも表示されていない。
妙じゃないか。この違いはなんだ。たしか、三人の施術が始まる前、おかめ野郎のアナウンスが負債だの返済だのと言っていた気がする。それに、命を落とさないとも。だが、トテチテと執筆名が出ている彼女への仕打ちはそうではない。このまま放置されたら彼女は死ぬ。
そういえば、不正行為は極刑、つまり死刑だとおかめが宣言していた。では、先に殺された男性二人は何をしたのだ。彼らがどのルールを破ったのかまでは知らされていない。違反の内容と程度に応じた罰などと言っていたが、ひょっとすると、いかなるルール違反も問答無用で処刑されるのではないだろうか。
気になる点はまだある、と夏子は発表された判定結果を思い出しながら、モニターから視線を逸らした。
【皇 奇迷乱】
・規定文字数未到達 300
・作品未公開 100
ポイント獲得の理由に納得がいかない。『規定文字数未到達』は隠しルールの『制限時間内に更新する文字数は最低一万字とする』に抵触している。それなのにポイントが入った。
それから『作品未公開』でポイントが入るのも変だ。明らかにマイナスの面を評価されている。これだとルール違反によってポイントが入る仕組みにも思えるが、『作品未公開』はルールにも隠しルールにも規定されていない。
【ルール】
・時間厳守
・不正禁止
・他言無用
・これらのルールを破らないこと
【隠しルール】
・宣伝は自由
・いずれのサイト、また複数のサイトへの重複投稿可能
・制限時間内に更新する文字数は最低一万字とする
・三十日以内に三十万字以上の作品を完成させること
もしかすると『作品未公開』は『時間厳守』に含まれるのだろうか。だとしたら無茶苦茶だ。判定時間の変更は事前に知らされていないというのに。
そして、最大の謎は右のモニター内で施術中の女性である、と夏子が顔を上げると、暴れていたトテチテが動きを止めてぐったりとしている様子が目に入った。命が尽きてしまったのだ。声すら上げられずに苦しかっただろう、と夏子は再び俯いてモニターから視線を逸らした。
1位 紅 朱音 1660
2位 霧海 塔 1120
3位 馬頭間 頼斗 700
4位 屍蝋 兇夜 400
皇 奇迷乱 400
トテチテ 400
自分の順位は最下位の四位。同率である二人のうち、トテチテに死の罰が下り、もう一人の『屍蝋兇夜』も右のモニター内で左足を失おうとしている。それに対し、最後の一人である私には何も起きていない。
では、『屍蝋兇夜』の隣に映る女性は一体誰なのだ、ということになる。発表された順位中に女性らしき執筆名は、自分とトテチテを除けば、一位の『紅朱音』しか見当たらなかった。しかしながら、トテチテなる奇妙な名称をつける相手の性格を考慮すると、必ずしも本人の性別を想起させる執筆名が与えられているとは限らない。
それと『霧海塔』だ。なぜ二位にいる。馬頭間頼斗を攻撃したのが奴だとわかり、ダークウェブで入手した人脈を使って、SF作家の御手洗良昭の評判ともども落とさせるよう頼んだ。禁止事項に触れない程度ではあるが、投稿サイトの感想欄にも脅迫めいた文章も投げてある。
これらから導き出される答えは、感想や評判の善し悪しはポイントとは無関係ということだ。
であるならば、上位の二人はどうやって自分の三倍や四倍ものポイントを獲得したのか。時間内にノルマの文字数を書き上げるとボーナスポイントが入る、というのも考えられる。
それとも、もしや自分はもっと根本的な部分で、何か大きな勘違いをしているのではないだろうか。違和感の正体がわからないのがもどかしい。
胸騒ぎがする。
夏子はキーボード脇に置いたスマホを手に取り、入力した文字を隠せるアプリ『マスクくん』と、ダークウェブへ潜るために必要な専用ブラウザのダウンロードを開始した。
このままぼんやりと執筆を続けているだけでは駄目だ。連中にわからないよう、ルールに反しない範囲で策を講じなければ死ぬ。自分が画面に映るのも時間の問題だ。
ダウンロードされた『マスクくん』を起動した状態で、ダークウェブ専用のブラウザを開き、検索で仕事をしてくれる人物を探す。アプリのおかげで検索窓に文字は表示されておらず、代わりに伏せ字としてアスタリスクが並んでいる。これでおかめ野郎に監視されているとしても、何をしているのかバレずに済む。
そう、要はバレなければいいのだ。たとえルール違反を犯したとしても。愚直な戦い方では生き残れない。おそらくここはそういう場所だ。
夏子はリクルートのカテゴリーを開くと、
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