第16話 ついにあらわれた敵

「これは……」

 昨晩のことが気にかかり、夜明け前に出仕した榊兵部は、あるじがすでに執務をはじめていると知り、慌てた。

 急いで御座所に渡ると、そこでは腕を組み、大きな卓の上をのぞきこむ虎之介がいた。

 そのまわりを不寝番たちが取り囲んでいる。

 見ると半畳ほどもある紙だった。文字がたくさん書き込んである。 

「兵部か、早いな」虎之介が言った。墨のついた細筆を右手に持ったままだ。

「この者たちにも付き合わせて悪いと思うのだが、みな休んでくれぬのだ」


「お手伝いするのは当然ながら、殿は暗いうちから一体なにを」

「なぜ、鵠山に不幸が続くのか、その理由探しだ」

「不幸?」

「むろん米の作柄でなければ、商人への借金でもない。跡目で揉めたとか、わたしが城主になったのがいかんとか –––– そう思わないわけではないが –––– でもない」

「おたわむれを」

「ただの例え話だ、ゆるせ」眠らなかったせいで、かえって虎之介は興奮していた。「思い出したのだ。最初に会ったとき、普照が申したであろう。義父上ちちうえ義兄上あにうえと似た奇病によって人が死んだ話がほかに二、三あったと。そして、城下で神隠しがあったと忠次郎が教えてくれた。その者たちはどれもいい歳をした大人で、そろって姿を消す直前に、義父上のように前触れなく倒れたそうだ。はやり病のように」

「伊予でたいそうはやったというあの病でしょうか……?」

「かもしれぬが、違うかも知れぬ。気になるのは、まるで的を狙ったように思えるところだ。知ってのように、小平太の兄は医者で、洋学にも通じているので意見を聞いた。夜中に無理に起こしてしまい、すまないことをしたが」

 聞いていた小平太がかぶりを振った。

「兄にとっては光栄なことにございます」

「やはり、病によっては人の手で狙ってうつすこともできるらしい。わたしは呪いとか幻術についてはよくわからん。もちろん病についても詳しくは知らぬ。しかし、だれかが病になるようしむけたと見るのが自然だと考えた。義父上と義兄上ら、ほかの大名と国元の商人どもに、なんらかのつながりがなかったかと考えている。まだ、それらしきものはなにも思いつかぬがな」


「呪いや術かどうはさておき、一連の奇病の背後には、だれか糸を引いている者がおるということですな」

「その通りだ。理由は、おそらく怨み」

「……」

「ひたすら目の前でみた怪異が恐ろしく、もっとも大切なこと、だれがなんのために目論んだかをあきらかにするのを忘れていた。いま隠れ家を探しに行ってくれてはいるが、もし見つかればよし。そうでなくとも失望の必要はない。ここで冷静になって考え、恨みをもつ相手を思い当てることができれば、もっと打つ手があるかもしれない」

「ごめん」兵部は虎之介の覚え書きをのぞき込んだ。

「やはり、あらためて書を学ばれるのがよろしいかと」

「いま、それをいうな」虎之介は顔をしかめた。


「怨み、怨み」目を閉じ、あごに手をやってから兵部は言った。

「普照も申しておりましたが、最もはやい時期に病に倒れたのはご先代。そして最も長く苦しまれたのもまた同じ。さらに、若君らが身罷られたのは、いずれも後継ぎと決まってから」

「一方、わたしの身に怪しい出来事が起こったのは、国を継ぎ城主となってからだな」

「はい。決して逆ではありませぬ。考え合わせますと、後ろで糸を引く者の本来の目的、すなわち恨みを抱いてそれを晴らしたいと呪い続けた相手は、先代あるいはこの国であって、殿ではない」

 今度は小平太を向いて兵部は言った。「この前、城下で神隠しが続いていると言っておったな。それもいい歳をした商人ばかり」

「はっ、ちゃんとお耳に入っていましたか」

「当たり前だ」

「はい。それぞれの店で扱う品は違っていますが、いずれも孫のいるような年寄りなのは同じだとか」


 兵部はうなずき、また虎之介を向いた。

「まず、江戸で奇病にかかった方々と、ご先代との間につながりがあったかどうかを調べるというのははいかがでしょう。おそらく昔の話でしょうから、よろしければ義父を御前に参らせます。新しいことはさておき、古い話はよう覚えております。さもなければ江戸に飛脚を出します。国元の神隠しについては、さっそく町奉行に調べさせます」

「そうか、そうだな」兵部の義父は長年、江戸留守居役をつとめたのち息子に職を譲り、現在は国元で楽隠居の身分だった。

「拙者もうかつでございましたが、先日の普照の話は大いに参考になるとはいえ、多少とも錯誤を招きかねぬところもあり、鵜呑みにするのは危険かと」

「錯誤」

「はい。ご先代と似た病にかかった大名について、普照はぼかして伝えました。あらかじめ逃げをうったのでしょうし、あの者の勘違いもあるでしょう。とにかく、もっと詳しく名などを聞いておくべきでした。おそらく、渦の中心は他でもないご先代。大名家の奇病さわぎと老商人たちの神隠しをつなぎ、一連の異変を解き明かす要もまた、ここにあると思われます」

「恨みを持った理由だな」

「はい。普照らが戻り次第、奇病の出た家中の名をあらためて確認しますが、並行して義父を呼び、江戸で先代と特に親しかった人物の名と照らし合わせれば、より早く真実に近づけるかもしれません。ただ義父の場合、気をつけぬと下らぬ過去の自慢話やら、らちのない家族のうわさ話に偏るやもしれませぬので、よくよく言い聞かせておきます」


 兵部がそこまで言ったとき、探索隊が帰還したとの知らせがきた。

 とりあえず、隠れ家のひとつを発見したとのことだった。死傷者はなかった。

「おお、無事に戻ったか」

 嫌な夢を見たあとなので、ことさらに嬉しく感じる。

 急いで着替えた虎之介は、馬出しまで降りて隊をひとりひとり慰労した。

 それから大番頭の願いを受け入れて、普照を小書院に通してねぎらうことになった。

 それを聞くと兵部の口元と眉間にみるみるしわが寄ったが、気遣わしげにその顔を見る虎之介に彼は黙礼した。

 

 虎之介および群臣と向かい合った普照は、顔をあげるとまず衣服を替えていないのについて詫び、ついで爽やかな笑顔を浮かべつつ、朗々と報告をはじめた。

 隠れ家を術によってあばいたこと、中には一通の書き付けがあって、そこに一味の構成が記されてあり、不思議なことに紙は朝日を浴びると崩れ去ったが、普照の脳裏には誤りなく刻まれている。ご案じめさるるな、残りの一味も間違いなく一網打尽にできるでありましょう。

 

 夢とまったく違った展開に安心した虎之介が、いつ彼の話を止めて、先代藩主と似た病で亡くなった大名について詳しく聞こうか考えていると、唐突に普照は黙ったままになった。

「これ」

「いかがした」

 控えていた大番頭の畔田や、月番のため早朝から出仕していた重職連中がつぎつぎと声をかけるのに、普照は虎之介の顔を正面からみつめたまま、みじろぎひとつしない。

 畔田が、「少々疲れが出ましたようで。殿、まことに申し訳ございませぬ」そういって会見を打ち切ろうとすると普照は、

「疲れてなぞおりませぬ。ただ、取り憑かれ申した」と言って、くすくすと笑った。


「取り憑かれた」と聞いて虎之介は緊張した。

 いつの間にかすぐ横に朝倉俊平がきていた。

「無礼であろう」周囲の重臣たちが声をあげた。

 朝倉は、表情こそ平常とかわりないが、とっくに腰を立てていつでも虎之介の前に飛び出せる姿勢になっている。

 くすくすと笑い続ける普照の異変に、早朝の書院は騒然としはじめた。


「殿、あとは我らにお任せを」畔田が退出を促したとき、

「このまま騙しておいて、当分からかってやろうと考えたけど、めんどうくさくなったわ」と普照が女のような口調で言った。

「ここはどうも好かないし。あたし、疲れやすいの。このごろ」

 声も甲高く、耳に障った。

「それに、この糞行者、あの嫌な義澄の弟子筋じゃない。頭まで食らってからようやくわかった。先に教えてよ。あやうく腹を下すところだわ」

 朝倉は完全に敵の様子をうかがう獣のような目になっている。


 いまや、誰はばかることなく女の声でしゃべりはじめた普照は、首を巡らして周囲を見回し、

「おや。今朝こそ会えると思ったあの方は、いらっしゃらないわ。すこうし寝過ごしたうちに年寄衆にまで御出世あそばしたと聞いたのに。いずれにせよ胡麻はするものね。みなさまもその口?」

 そう声をかけてから、また虎之介に向かって言った。

「とのさま。おめもじしたいというのは、こんな死にかけのじじいたちに囲まれてって意味ではありませんよ」

「おまえは……」

「そう、ご明察。せっかくだったけどこの行者、あたし相手には力不足よ」

 ついに朝倉が刀に手をかけ、主君の前に出た。そして、

「殿。普照からはすでに魂の気配が失せております。すなわち、死んだと見なすべきかと」

「なにっ」

「そして、この場にただよう気配から察するに、おそらく声の主はここにはおりません。傀儡をあやつるように、あるいは囲碁でも差すように他所から見、操っているものと思われます」


「あらあら」普照は驚いたような声をあげたが、表情に変化はなかった。

「さすがは一国のあるじ。すごいのを飼ってるわね」と言って普照だったものは小さく肩をすくめた。

「この行者よりよっぽど目と鼻が効く。あなた、人が相手じゃ負ける気はしないでしょ。おおこわ。でも、お生憎さま。この身体はもう持たないし、こちらからおいとまするわ。また日をあらためて」


 端坐したまま軽快にしゃべっていた普照は、また黙り込んだ。

 そして、顎を上げて頭をのけぞらせた。見る間に目玉が内側に落ち込み、そのまま骨がはずれたかのように、座ったまま腰からがくんと崩れた。

 押し殺した悲鳴の上がる中、普照だったものは最後、横倒しに崩れて動かなくなった。血は流れず、黄色い液体が肉と着物の積み重なった山から滲み出てきた。

 彼の目玉のあった空洞は、最後まで虎之介を向いていた。

 

 気味悪い光景から目を離せないでいる虎之介の頭に、声が響いた。

「御家来衆はつれず、ひとりであたしに会いにいらっしゃい。実はいまとっても忙しくて、そっちに出向いている暇はないの。だからおいでなさい、思い切って」

「どういうことだ」

「だから、おさそいしてるの。本当のことを知りたくはないのかしら。教えてあげてもいいわ。もちろん、あの野暮な刀はもってきちゃ、いや。みごと居場所を探し出しひとりでくれば、あなたの大切なひとには、きっと手は出さぬと約束いたしましょうぞ」

 おかしな調子で言うと、一転して声は上機嫌そうになった。

「ふふふ。わたしはなにも、円津みたいにこの城を落とそうとかは考えてはいないの。めんどくさいじゃない。だから行者はともかく、大勢押し寄せてきたあなたの御家来衆には手を出さなかったでしょ。あたしはただ、お話をしたいだけ。だいいちあなたに恨みはない。殿さまってお立場に、少々いらいらさせられるぐらいかしら。あなたのご内儀もそう。憎むなら生まれとご身分を憎みなさい。あとは楽しみたいだけなの、あたし」

「どこにいる、どこに行けばいい」虎之介が必死で呼びかけると、

「そうね。じゃあ思い切って手がかりを差し上げましょう。まあ、なんて親切なのかしら。襲われる危険を顧みないなんて、えらいえらい」

「……」

「でも約束よ。軍勢なんて連れてきちゃだめ。もちろん、横にいる化物じみた用心棒も。いうことを聞かないと、あなたの大切なひとを、すぐさま呪い殺すぞえ。そっちの手筈は準備万端なのよ」

「わかった。ひとりで行こう」

「そうそう。素直は国の宝よ」

「だから手がかりをくれ」

「うーん、そうね。ここからは天守が見えるわ。あたしは見上げている。山の上からじゃない。それにここ、昔はとってもきれいだったのよ。とっても。江戸みたいに騒がしくて下品じゃなかったし。けど、いまはだめ」

「遠いのか」

「ううん。実はね、そこからは案外近いの。もちろん、いるのは国の中。そして」声の調子が変わった。

「あんたの前のくされ城主が、人の道を外れた所業をなしたところ」

 頭に響いていた声がふっと消えた。

 かわりに叫び声や医師を呼ぶ声、嘔吐する声などがいっせいに彼の耳朶を打った。早朝の御殿は騒然として、その中に虎之介は立ち尽くしていた。

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