第11話 耳寄りな知らせ
「おい、おい、若様。来たぜ。疲れちまったよ」
夜も深まってようやく、ささやくような声が聞こえた。
待ちわびていた、久太だ。
「おお、待っておった、よく来てくれた」
虎之介は自分の声が弾んでいるのがわかった。しかし先夜と同様、だれの姿も見えない。
「今日も姿は見せてくれぬのだな」
「ああ、だめだよ。俺を見たら、あまりの神々しさに目がつぶれちまわあ」
久太の言い草に、虎之介は声が聞こえてくる床下に向かって笑いかけた。
「それは大変だな。しかし、今宵は久太一人か」
「そうさ。たま御前はなんとか近くまできたんだけど『あたしやっぱり無理。こんなひどい有様じゃ、若様の前で話なんてできない』ってさ。そんなこったろうと思った。おいらなら、ここらまでは大丈夫だけど、姉御ほどのお方だとそうはいかねえ。でっかい木が嵐にぐわんぐわんと揺すられるのと同じだな」
「よくわからんが、信じるとしよう」
「そうさ、素直が一番」
あいかわらず久太は調子が良かった。
「だから、姉御がこないからって怒っちゃ駄目だぜ」
「もちろんだ。なにより久太のきてくれたのが嬉しい。しかし私の耳には、たまどのの声はとてもたおやかに聞こえるし、お人柄も正直な方に思える。会いたかったのは嘘ではない。たまどの具合が悪いのは気になるな」
「ああ、それは気にしないでいいよ。お体はいたって頑丈なんだ。姿を見せないのは奥ゆかしいから、とでも思っておいてくれよ。ほら、むかしっから高貴な女と男とは、面と向かわずに声とか文だけでやりとりするだろ、あれだよ、あれ」
「そうなのか」
「若さまだって一応は一国のあるじなんだろ。実はさ、たまの姉御だって決してひけはとらねえんだよ。もともとは東国一帯を仕切るお立場に、ご宗家さまっつうか大姐御になるはずの方だったんだよ。大勢の手下にかしずかれてさ。けど、断っちゃった」
「ほう。それは、俠客みたいなものか」
「うーん、ばくち打ちとか柄の悪いのと一緒にしちゃ嫌がるかもな」
大きな声では言えないが、と少しも声を潜めずに久太は説明した。
「たま御前のお里ではさ、とっても偉い人がつねづね、『わらわのあとはたまに託したい』っておっしゃってたらしいんだ。それで、みんなてっきり次はたまの姐御が頭になるもんだって思ってた。ところが、当のご本人にはそんな気持ちはさらさらなかった。祭り上げられるのが蚤より嫌いなお方だからさ、選ばれる前に手前からさっさと降りちゃった。あたしは一人でいたいのよって」
「ほほう。思い切ったことをされたのだな」
「そうさ。だから今、そばにいて世話しているのは、生まれた国の違うおいらとその仲間だけなのさ。いちおう縁を切った形になってるから、元のお仲間とは時候のあいさつもなし。まあ、それでもご機嫌うかがいにくる奴はいるし、なにかあったら必ず声をかけて下せえってあちこちから言われてるんだぜ」
「ますます、侠客みたいに思える」
「だから違うって」
「ならば、一派を開くほどの上人が、弟子を持たずひとり山野に分け入って修行するようなものと考えるべきか……」
「なんでもいいや、適当に納得しておいてくれよ。若さまだから言うけどさ、たまの姉御も狙われていたことがあるんだぜ」
「なに、そうだったのか」
「それが、ひどい話なんだ。頭の座を競ってた相手に憎まれるのは、まだ納得がいくだろ。ところがさ、手下になってたはずの奴からも逆恨みをされたんだ。いるんだよ、皮算用をしてた馬鹿が。おたまさえ素直に引き受けてたら、あたしもいろんな甘い汁がすえたのに、どうしてくれるキーって怒って大変だったよ」
「うーむ。身内に憎まれるとは、他人事とは思えないな」
「だから、昔のお仲間にじっくり聞いて回ったら、中には朱に詳しいのがいるかもしれない。でも、なかなかそうもいかないのさ。わかるだろ」
「うむ。わたしも故郷の者たちとはすっかり疎遠になってしまった。かろうじてつながりのあった老女が半年ほど前に退いたので、あちらの事情はもうすっかりわからないな」
「あ、そうかい。まあいいじゃないか、今はたくさん御家来がいて、お城だってある。姉御なんて、つまらねえ争いから逃れるため、住んでた家を引き払って手下とも別れ、その後も引っ越しを繰り返したんだぜ。まあ、そのつらい旅を誠心誠意お手伝いしたおかげで、あっしは姉御のそばにいられるんだけどね。信頼されたってわけよ」
「ふーむ。二人もなかなか、苦労してるんだなあ」
「それほどでもないがね。あんまりしゃべると怒られるから、これぐらいにしておくよ」
久太はここまで語ってから、やや非難するように、
「それより、今夜は城の周りが騒がしいなあ。辻々に番がいるじゃないか。驚いたぜ」と言った。「ネズミ一匹這い出る隙間もないって、どういうこった」
「そんなに多いかな。まあ、見張りを増やしたのは間違いない」
「こないだの騒ぎに懲りてかい」
「それもあるが、別の理由もある。わたしのくる前のことだ。この国に二手に分かれた跡目争いがあった」
虎之介は思い切って事情を説明した。「その当時の残党がまだ隠れていて、あの騒ぎの手引きをしたと疑う者がいる。わたしはそう考えたくはないが、すぐに否定はできない。おぬしたちは朱という人物が黒幕だと教えてくれたが、そいつが残党と組んでいることだってあり得る。だから、城下にもれなく見張りを置きたいという意見を、わたしは認めた。最も早くて確実な予防法は、人の目を増やすことだからな」
そこまで言って虎之介はうつむいた。ひどく頭が重かった。
「しかし、これぐらいのことなら、もっと早くやっておけばよかった。わたしがお前たちのせっかくの警告を聞き流してしまったために、家来はもとより、国中に迷惑をかけてしまった」
「まあ、若さまが無事で良かったよ」久太はやさしい声をした。「せっかくできた仲間なのに、いきなり葬式なんていやだぜ。きっと豪勢だろうけど」
「それで聞きたいのだが、もしやたまどのは、横江という者の家を訪ねてくれたのではないか。久太、おぬしも一緒に」
「えっ、やだなあ。知ってたの。若さまって見た目ほど間抜けじゃないんだな」
「そんなに間抜けづらかな」
「ていうかさ、うすらでかいからさ。坂田金時みてえだ。それより、姐御にはおいらが教えたと言っちゃだめだぜ
「やはりそうだったのか」虎之介は、なぜだかとても安心した気になった。
「でもさ、あれは失敗だったんだ」久太は悔しそうに言った。「あのじいさんの話にすっかり気をとられちまって、その裏で悪い奴らがあんなことを企んでいたのは、まるで見逃しちまった。若さまの後悔じゃないけど、あの夜のうちに御家来衆の宿を見張ってりゃよかった。なにか怪しい動きがあったと思うんだ」
「そうかな」
「そうだよ。けどなんだよ、若さま。その弱っちい返事はよ」
「そんなに弱っちいかな」
「ああ。三日も飯食っていないみたいじゃねえか。しっかりしろよ」
「ああ」
「理由はわかってるよ。御家来衆が死んじまうな目にあったのは、おれのせいだって思いが頭から離れないんだろ。ああすりゃ良かった、こうすりゃ良かったってばっかり考えて、夜眠れねえ」
「えっ」虎之介は驚いた。「わかるのか」
「あたりきよ。別に朱のやつみたいに夢に紛れ込まなくたっって、わかるさ。若さまは、すれてないからお考えが読みやすいって姐御も言ってた。でも悩むのは筋違いさ。悪い奴は他にいる。後悔はひとまず置いといて、悪いのを先になんとかしなくちゃ。死んだご家来だって浮かばれないさ」
「……そうか、そうだな」虎之介は泣きそうになって目をぎゅっとつむった。
「でさ、不肖あっしも巻き返しをはかって、悪どもの居場所をせっせと探してるわけだ。だけど、こっちもなかなか尻尾がつかめねえ。とりわけ頭目の朱については、噂はかなりあるんだが、肝心の姿を見たって話を聞かないんだ。姉御の見立てじゃ、隠形の術でも使うんだろうって」
「なに、そんなこともできるのか。妖術使いかなにかだろうか」
「ああ、結構な業師なのさ。もちろん細かいところまではわかんねえよ。遠縁とはいうものの、姉御だって名を知るぐらいだし。どうやって取り憑いて仲間を増やすのかも、こうだろうなーって見当をつけてるだけで、わからねえことだらけさ。それで」久太はやや自慢げな口調になった。
「ちょいと考えを変えたんだ。将を射んと欲すれば先ず馬っていうだろ。なかなか見つからねえ親分探しに手間をかけて後手に回るより、子分を見つけて手繰って行けば早いじゃねえかってことさ。親玉がしっかり者でも、子分はドジって一家は多いからな。前に逆のことを誰かに言った気がするけど、まあいいや。とにかく、若さまのご家中がそうでないのを願うよ」
「そ、そうだな。しかし、なかなか考えるものだな」
「おだてるない。実を言うと当てはあるんだ。前々から御城下のあちこちでさ、薄気味悪い坊主を見かけたって話がたくさんある。こないだの温泉の近くにもきてたらしいよ」
「坊主。僧のことか」
「そうだよ。朱じゃあないが、どう考えても朱の露払いだ。それともう一つ。この前、堀のそばで若さまのところの御家来が、褌一つで行き倒れていたって話があっただろ」
「えっ、よく知っているな。そんなことまで」
先日、この庭園にやってきた元年寄衆の墨田は、虎之介が明信院のところより戻る直前、堀端に半裸の姿で気を失っているのが発見されていた。
行列にいた者たちのように、四肢のたがが外れたようになって死んだわけではない。息もあり、やがて意識も戻ったが、藩主に面談して刀を渡したことなど一切を記憶していなかった。
また、手足や言葉がおぼつかず、満足に話すことができなくなっていた。中気だろうと診断されたが、詳細はまだわかっていない。
「ははは、結構おえらい侍だったんだよな。倒れてたあたりじゃ噂だったよ。金玉をかじらないでよかったとか」
「金玉をかじって、いいことがあるのか」
「いや、こっちの話。それでさ、そのお侍のお家の近くにもさっきの坊主がうろうろしてたってこと。働き者なんだよ、その坊主って」
「そうだな。しかし、やはり墨田もたぶらかされていたのか」
「ああ。とにかく人を騙したり、怖がらせたり、仲間に引き入れたりの手間仕事は坊主が引き受けているのだろうって姉御は見てる。あ、あっしもだよ」
「つまりその僧を探せばいいのだな」虎之介は少し思案してから言った。
「実は、人探しを頼めそうな男が今日、ここへきた。修験者だ」
「へー、さすがお大名ともなれば違うね。でもさ、もう頼まなくてもいいかも知れないよ」
「じゃあ、隠れ家が見つかったのか」
「いや、向こうから城にくるはずだ。今夜か、明日あたり」
「なにっ、どういうことだ」
「説明が難しいんだけど、お城においらのお仲間がいるんだ。どうしてだなんて聞くなよ」
「う、わかった」
「御家来衆でもないよ、安心しな。それでそいつらによると、昨日の晩に変なのが下見に来てたっていうんだ。朱も姉御も苦手な物を盗むためだよ。ほら、長いだろ。そのままじゃ持ち出しにくいから、下準備だけして帰ったらしい」
「長いと言うのは、三池…」
「わあっ」久太はあわてた。「無理に言わないでいいって。あいつらだってそろそろ、あれが一番目障りと勘づいているはずだから、盗もうとするんじゃないかなと思ってた。それで、どうにかこの近くを根城としてる連中に渡り付けたら、『もうきてたよ』って教えられちゃったよ。危ないとこだった」
「そんなにやすやす入り込めるとは、問題だな……」
「あれって天守の真ん中あたりに大事に置いてあるんだろ。そこに昨晩忍んできて、格子に切れ目を入れたり、細々した道具を隠したりしたあと帰ったそうだよ。またすぐ来るさ」
「それは、頭目ではないのだな」
「ああ、坊主でもない。平気で天守に近づけるんだから、どうせ金で雇われた盗人だよ。だけど、つかまえるか跡をつけるかしたら、いずれは頭目に遡れる。少なくとも例の坊主には会える」
「よし、やろう」虎之介は暗闇に向かってうなずいた。
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