第54節・海賊旗の協力者


 ヴォルフラム・ブルーンズは兵士たちに撤退の指示を出し終えると眉を顰めて手に握りしめていた手紙を睨んだ。


 ベルファでの戦いは勝っていた。

だが突如東方より謎の艦隊が現れ、メフィル艦隊が敗走してから一気に歯車が狂い始めた。

聖アルテミシア騎士団の突然の撤退。

ミクローシュ・メフィルの負傷とメフィル軍の撤退。

そして先ほど入ってきた急報だ。


(これが狙ったものであるのならばお見事ですな、クリス王子)


 中央での戦いに敗北後、姿を消していたクリス王子が昨日、シェードラン領東部で蜂起した。

この蜂起には大公軍側に味方していた幾つかの諸侯も参加し、その中にはクルーべ侯爵家などもいる。

このままでは退路を断たれ、最悪の場合は挟撃されるため全軍を撤退させざるおえない。


「……しかしここで退けば敵は勢いづく、か」


 ベルファを堕とせなかったことは後々の戦況に響いてくるであろう。

反大公軍は間違いなくクリス王子の軍と合流する。

そうなれば反大公軍は戦力を増強させ、攻勢に転じるはずだ。

この次の戦が恐らく二つのシェードランの雌雄を決する戦いになるだろう。


「ヴォルフラム様!! 撤退の準備が完了しました!!」


「よろしい。反大公軍の方は?」


「奴らにはまだ気取られてはいません!!」


 反大公軍を町の西に押し込めていたのは幸いであった。

劣勢だった奴らは守りを固めに入っていたため此方の撤退に気が付くのが遅れたであろう。


「これより撤退する!! 東の街道は通らず、タールコン平原を通って撤退するぞ!!」


「は!!」


 号令と共にシェードラン大公軍の兵士たちが一斉に撤退を開始した。

さて、戦力を温存して撤退できれば良いが……。


「あと閣下に対する言い訳も考えないといけませんな……」


 癇癪を起されて首を刎ねられる訳にはいかない。

そう考え、苦笑すると港の方を見るのであった。


「ではシェードラン辺境伯殿。次回こそお手合わせ願いましょう」


※※※


 薄暗い倉庫の中、サイゾウは壁にもたれ掛かりながら座っていた。

斬り落とされた腕は紐できつく縛られており、大粒の汗を流しながら近くに放り投げられている刀を横目で見る。


 見逃された。

我が弟子はどこまでも甘ちゃんであった。

あの時、自分の首を落とさなければ後々厄介なことになることは分かっていたであろうに……。


「……師に恥をかかせおって」


 弟子に……娘に泣かれた挙句見逃されるなどとんでもない恥辱だ。

腹を斬ってしまいたくなるが生憎まだ自分は死ねない。

死ぬのなら未来への目途が立ってからでは無くてはならないのだ。


「ヒョヒョ……。随分と派手にやられたねェ」


 影が動いた。

物陰から老人が現れ、静かに目の前に立つ。

老人は長い白い髭を持ち、その体はまるで骨と皮しかないように細い。

だがその見た目とは逆に体の内側からは活き活きとした力を感じる。


「コタロウか……。俺を笑いに来たか?」


「そりゃあ笑うわのォ。手塩にかけて育てた愛弟子に逃げられ、腕まで持っていかれて見逃された。大恥じゃ」


 コタロウは喉を鳴らして笑うと右手に炎を生み出す。

そしてその炎を斬り落とされた腕に近づけると「何か咥えるか?」と訊ねてきた。


「いい。さっさとやれ」


「では遠慮なく」


 コタロウが炎を切り口に押し当て、激痛と共に肉と骨が焼ける匂いが充満する。

舌を噛まぬように歯を食いしばり、息を止めて耐えるとコタロウは「ほれ、終わったぞ」と離れた。

傷口はコタロウの炎で焼き爛れ、蓋をしたようになる。


「これで失血死はしないだろうが……応急処置だ。帰ったらちゃんと治療するがよかろう。戦も終わったしな」


「……どちらが勝った?」


 コタロウが近くの木箱に腰かけ、腰に提げていた瓢箪に口を着けると「どっちだと思う?」と笑みを浮かべる。


「連合軍が負けたな」


「その通り。メフィルの若造は負傷し撤退。虎の子の艦隊も旗艦ドレッドノートは逃げ切ったものの何隻も撃沈される大敗だ。あとシェードランの姉妹があの聖女レグリアを退かせたぞ」


 それは驚きだ。

あの無敵の聖女をあの小娘たちが退かせるとは。


「あと、じゃ。面白い話も入った。姿を消していたクリス王子が蜂起しおったよ。それに合わせて中央もオースエン残党が息を吹き返し、そしてメフィル領でも反乱が起きたぞ」


「反乱だと? 誰がだ?」


 メフィル領であの女狐に逆らう気概のある貴族はいないはずだ。

そう考えているとコタロウはクツクツと笑う。


「ゼダ人や亜人共がだよ。奴ら、各地で一斉に蜂起し幾つかの砦は奇襲で陥落したそうだ。クリス王子の蜂起、オースエン残党の復活、メフィル領の反乱。随分とタイミングが良いのォ」


「……全部仕組まれたことか」


 恐らく首謀者はクリス王子だ。

王子は中央で敗北した後、姿を消していた。

奴はこの数か月間の間に反撃に出る準備をし、機会を窺っていたのだろう。

そしてシェードラン領でルナミア・シェードランという存在が本格的に戦に参加したことで表舞台に再び現れたのだ。


(人畜無害そうな顔をしていたが……警戒をすべきか?)


「さてサイゾウよ。儂は思うんじゃが儂らの首輪は随分と脆くなった。そろそろ替え時ではないか?」


「もしくは首輪を捨てて野を駆ける時か」


 コタロウはニヤリと笑う。

そして木箱から降りると手を差し伸べてきた。


「お主がまだ生きていて良かったわ。他の奴じゃあ日和見するであろうからな」


 差し伸べられた手を取り、立ち上がると落ちていた刀を拾う。

己の腕を断ち切った刃だ。

これを戒めとして持ち帰るとしよう。


「そういえば前々から気になっていたのだがの?」


 刀を鞘に納めるとコタロウは髭を摩りながらじっと此方を見つめる。


「あの時、どうしてユキノを拾った?」


「……それは」


 二十年以上も前のことだ。

メフィルの命を受け、彼女に反抗的な貴族を始末した帰り道。

道端に赤子が捨てられていた。

両親に捨てられたのか、または別の何か事情があったのかは分からない。

赤子が捨てられて朽ちていくなど良くあることだった。

故にその時も赤子を無視しようと思っていた。

だが━━。


(瞳……か)


 泣き疲れていたのか、それとも己の状況を理解していなかったのか。

赤子は道端に捨てられていても一声も上げていなかった。

ただじっと此方のことを見つめたあの瞳。

全てを失った空っぽの感情。

それが嘗ての自分と重なり合ったのかもしれない。


「もう忘れた」

.

「そうかい? まあこれ以上は詮索しないがね」


 足の先に何かが当たった。

小型の苦無だ。

ユキノが放った苦無を拾い、その刃を見つめると放り投げる。


「ユキノよ。死ねぬというのであれば生き続けて見せろ。俺もせいぜいしぶとく生き続けてやろう」


 そう言うとコタロウと共に倉庫を去る。

あとには二人の忍者が争った痕跡と、静寂だけが残されるのであった。


※※※


 港では以前として反大公軍と辺境伯軍のにらみ合いが続いていた。

騒ぎを知ったダニエル子爵らの軍が辺境伯軍に味方したためバードン伯爵派の軍勢は港に手出しをできず、盟主であるバードン伯爵の到着を待つことになった。

その間にシェードラン辺境伯家やクルギス伯爵家、そして民兵たちが負傷兵の救護を行っており、港には次々と重傷を追った人々が運び込まれてくる。


 ユキノも自分の師であるサイゾウと戦っていたらしく手酷い傷を負っていたため今はヴィクトリアとミリが傷の手当てをしてくれていた。


「連合軍が退いてくれて助かったわね」


 先ほどまで兵士たちに指示を出していたルナがそう言うと疲れた表情で笑みを浮かべる。


「でもどうして突然退いたんだろう?」


 連合軍の撤退は聖アルテミシア騎士団が退いてから少しして知った。

凄まじい速度で撤退したことにより大公軍は追撃することができず、敵は戦力の大半を保有したまま無事に撤退してしまったらしい。


「艦隊がやられたから……とは思えないわね」


 メフィルの艦隊は突如現れた所属不明の艦隊によって撃退された。

もう間もなく数隻の船が入港する予定だ。

メフィルを攻撃したため間違いなく味方だとは思うが……。


「う、ううむ……この近づいてくる気配。恐らく……うーむ」


 さっきからクレスが難しい顔をして唸っている。

あの艦隊について何か知っているのだろうか?


「あのぉ……。何時までアタシはこうやって縛られているのかにゃあ?」


 そう言ったのは鎖で縛られたメリナローズだ。

彼女は鉄の塊みたいな鎧を着た少女に拘束されており、さっきから体をもじもじとさせている。


「ルナミア様、そういうプレイがお好き? だったらもっとエッチな縛り方を知っているんだけれども……」


「クロエ、もっとキツくしていいわよ」


『分かりました!!』


「い、いたたた!? 食い込んでる!? 色々危ないところに食い込み始めている!?」


 エビのように跳ねているメリナローズにルナは呆れるとクロエと呼んだ少女に「もういいわ」と声を掛けた。

それによりメリナローズは絞め殺し寸前で解放され、ぜえぜえと肩で息をしている。


「ちょ、ちょっと……興奮したかも……」


「この人馬鹿ですの?」


 クロエの隣にいた長身のエルフ━━エル・エ・エレが頬を赤く染めてもじもじとしているメリナローズを思いっきり見下した。


「悪いけど当分そのままでいてもらうわよ。貴女にはいろいろと聞きたいことがあるけれども今はそれどころじゃないから」


「いやん! ルナミア様、ったら焦らし上手!!」


「クロエ」


『はい!!』


「い、いたああああ!?」


 なんというか……。

敵ではあるのだが何とも気が抜ける。

私とルナは顔を見合わせると苦笑し、それから船が一隻入港したのが見えた。


「さて、助っ人さんに会いましょうか。まあ、大体誰かは予想がついているけれども」


 ルナはそう言うと歩き出し、私もそれに続いて波止場に向かうのであった。


※※※


 波止場には先にロイとエドガーが待機していた。

二人は停泊した船を見上げており、此方に気が付くと「ルナミア様!」と一礼する。


 船には黒い海賊旗が掲げられている。

まさか本当に海賊ということは無いだろうがエドガーは念のために兵士たちを後方に控えさせる。

そして私たちがロイとエドガーの傍に着た瞬間、甲板から誰かが飛び降りてきた。


「とう!! 正義参上!! さあ、悪党どもよ!! 我が槍に打ち倒されるが良い!!」


 若き騎士であった。

騎士は槍をその場で振り回し、石突きで地面を力強く叩くと高らかに名乗りを上げる。


「我が名はフランツ・ランスロー!! 悪虐非道なるメフィル軍よ!! 掛かってこい!!」


 ランスロー……?

私たちは顔を見合わせるとエドガーが一歩前に出た。


「俺はシェードラン辺境伯家のエドガー・バードウィンだ。町を襲撃した連合軍ならば既に撤退済みだ」


「む? むむ? そうなのか! 正義が勝ったのだな!!」


 や、やかましい……。

声は大きいし暑苦しいしで私はとりあえず義姉の背中に隠れることにした。

エドガーが困ったように振り返るとルナは肩を竦め、次に船から降りてきた人物たちに視線を移す。


 一人はミカヅチ人の老人だ。

そしてもう一人は氷竜王フェリアセンシアだ。

フェリアセンシアは此方を見ると「お久しぶりですー」と相変わらず気の抜けた声で一礼し、老人と共に私たちの前まで来る。

老人は私たちをじっと見つめると深く頭を下げ、それから「お初にお目にかかります」と言う。


「某の名はトウゴウ。然るお方の命を受け、ルナミア様の軍に加わりに参りました」


「援軍、感謝します。”彼女”は息災ですか?」


 皆、この援軍がどこから来たのかはトウゴウを見てすぐに分かった。

そしてなぜ彼らが海賊旗を掲げているのかも。

故にルナはどこから来たのかは訊ねないのだ。


「ええとても元気でいらっしゃいます。家を建て直すのだと意気込んでおりました」


 キオウ家はディヴァーンから領土を奪還した後、領地の再興と東への備えに励んでいる。

そのためこの内戦にも中立を宣言し、干渉していなかったのだ。

だがそれは表向きの話であって裏ではキオウ家は敵対するメフィルを抑え込むために動いている。

この援軍もヨシノ・キオウの対メフィル作戦の一環だろう。


「ん?」


 背後から視線を感じた。

振り返ると後方で待機していた兵士たちに隠れるようにクレスが居た。

彼女は何やら気まずそうに此方と、そしてフェリの方を見ており、フェリもクレスの視線に気が付く。


「…………おや」


 フェリがクレスの方に歩き始めるとクレスはビクリと小さく体を震わせ、それから視線を泳がせた後にフェリの方へと歩き始める。

そして二人の魔女が再会を果たすとクレスが気まずそうに「その……。ひ、久しぶりじゃな!」と言う。


「そうですねえ。この一年半、まったく連絡を寄越しませんでしたからねえ」


「……う。も、もしかして怒っておるのか?」


 クレスが恐る恐る訊ねるとフェリは笑顔で首を横に振った。

それに安堵するクレスだが私には分かった。

ルナと同じだ。

親しい人が本当に怒っているときはだいたいあんな笑みになる。


 フェリが手を差し出すとクレスは少し訝しんだ後に彼女と握手を交わした。


「怒ってはいませんが……。人がどれだけ心配したと思っているのかとかもう色々言いたいことがあり過ぎましてでねー」


「あ、あの。フェリさん? 手が、手が冷たいのじゃが……」


「あー。やっぱりよくよく考えたら怒ってますねー」


「凍る!? 手が、手が凍る!?」


 クレスの手が少し凍るとフェリが手を放し、哀れな雷竜王は「ぎゃー!?」とのたうち回った。

フェリはそんなクレスを見下ろしながら「それで?」と首を傾げた。


「お二人の繋がり。どういうことになったのか教えてくださいますかー?」


 フェリが私の方を向いてそう訊ねてきたため私は頷き、これまでの出来事をルナなども交えて話すのであった。


※※※


「古から存在する敵……。”蛇”とは異なる存在、か」


 私はリーシェの話を訊いて眉を顰めた。

既に手紙である程度の話を訊いていたが彼女から直接訊くとことの重大さをひしひしと感じた。


 エルフラント神聖国の霊廟に存在した”原初のヒト”。

創世の時代の話。

太古より存在する”蛇”とは異なる敵。

それはいずれこのエスニアにとって深刻な脅威になるであろうということ。


「既に儂らは”神の子”を名乗る敵と遭遇したが奴らの強さは桁違いじゃ。今はまだ大人しくしているが奴らが表舞台に現れたら大変なことになるのは容易に想像がつく」


 雷竜王ですら桁違いという敵だ。

そんなのが複数存在し、暴れ始めたら手が付けられないだろう。


「ザド=ゼダルガを目指す理由はこれかしら?」


 リーシェの方を見ると彼女は頷く。


「理由の一つではある。行って何が出来るのか、起こるのかは分からない。でもレプリカがザド=ゼダルガに向かえと言ったのには必ず意味があると思う」


 リーシェの瞳には強い意志が宿っている。

本当は引き止めたいが彼女の目を見たらそれは無理なことだとすぐに察した。


「私も行く、と言いたいところだけれども私にもやらなければいけないことが。守りたいものがあるわ」


「うん。だからお互いに前を向いて進もう。そしてまたこうやって必ず会おう」


 変わった。

少し見ない間に彼女は心身共に成長したと思う。

前までは自分が絶対に守ってあげなければと思っていたが今では自分の道を見つけて進もうとしている。

義妹が私の後ろを追ってついてこなくなったことに少し寂しさを感じるが、それと当時に共に肩を並べて歩むようになったことに喜びを感じている。


「そうね。でも無理は禁物。辛くなったら私を呼ぶこと。貴女がどこにいようとも飛んで行くわ」


 リーシェの頭を撫でると彼女はやや恥ずかしそうに目を逸らした。

大切な義妹を信じて送り出し、そして自分は……。


「リーシェたちが遭遇した敵については十分警戒をしないと。それから”蛇”にもね」


 メリナローズがどうしてこのタイミングで接触してきたのかが気になる。

奴らがこの内戦に関わっているのならば見過ごすわけにはいかない。

”神の子”に”蛇”に大公軍。

全ての脅威から私は仲間たちや民を守り切らなければいけない。

そう思っていると辺境伯の兵士が一人駆け寄ってきた。


「ルナミア様!! バードン伯爵がいらっしゃいました!!」


「……来たわね」


 バードン伯爵。

あの男もある意味では脅威だ。

いずれあの男とは決別する。

そんな予感がするのだ。


「行きましょう」


 私はリーシェたちと頷き合うと歩き出す。

バードン伯爵との交渉次第では一戦交える可能性もある。

私はそうならないことを祈りつつも覚悟を決めてバードン伯爵の許へ向かうのであった。

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