第32節・浅河の会戦


 翌朝。

日が登り始めた頃にアルヴィリア軍は前進の為の準備を終え、隊列を組んでいた。


 周囲は朝霧に包まれており、静まりかえった平原に武具の当たる音や馬の嘶きが響く。

兵士たちは皆、これから始まる戦いに緊張し、手練れの兵士ですら身震いをする。


 そんなアルヴィリア軍の前に出る人物がいた。

鎧を身にまとい赤いマントを風に靡かせる男。

アルヴィリア国王ゲオルグ・アルヴィリアだ。


 彼は整列する兵士たちを見渡すとゆっくりと頷いた。


「ディヴァーンにはこれまでさんざん苦汁を嘗めされられてきた。奴らはいつも我らから大事なものを奪っていく。二十年ほど前は王都を奪われ我らは屈辱を受けた。そして今度は我から忠臣であり、友であるリョウマを奪った。もう良いだろう。強欲なる大帝にはそろそろ奪ったものを返してもらおう」


 王は剣を引き抜き、天に掲げる。


「今日! この地にて我らはディヴァーンに勝利する!! 奴らに奪われた尊厳を取り戻し、散っていった者たちのためにベールン川を奴らの血で悉く染め上げてやれ!! 大帝は思い知るであろう!! アルヴィリアは狩られる小鳥ではない!! 鋭き爪と大きな翼をもつ鷲であると!! その爪であの醜き男の喉を引き裂いてやるのだ!! リョウマの為に! アルヴィリアの為に総員、奮戦せよ!!」


「リョウマ様の為に!! アルヴィリアの為に!!」


 兵士たちがそれぞれの武器を掲げ、叫ぶ。

皆、もはや恐怖は無い。

この王のもと憎きディヴァーンを打ち破るのだと決意を込めて鬨の声を上げる。

その声は東ミスア平原中に轟き、ベールン川の向こうにも響き渡っているであろう。


 王は敵軍の方を向く。

そして王冠の付いた兜をかぶると高らかに号令を出すのであった。


「全軍!! 進軍せよ!!」


※※※


 アルヴィリア軍前進の報は直ぐにディヴァーン軍に伝わった。

ディヴァーン側も敵を迎え撃つべく前進準備を行っている。


 そんなディヴァーン軍の中心にガッハヴァーン大帝は居た。

彼は巨大な神輿の上に座り、川向こうのアルヴィリア軍を目を細めて見つめている。


「大帝陛下!! 進軍の準備が完了いたしました!!」


 配下の将軍がそう報告をすると大帝はゆっくりと立ち上がる。

それだけで周りの空気が重くなり、将兵たちは彼に跪いた。


「我は悲しい。我は常に戦を望まなかった。此度の戦も奴らには何度も降伏の機会を与えたが奴らは我が言葉に、我が理念に耳を貸さず自由などという平和を乱す蛮行を未だ望んでいる」


 大帝は天を見上げる。

まるでこの世の理不尽さを悲しむように、静かなる怒りを込めて天を睨みつける。


「やはり確信した。恐怖を知らぬものは争いを求める。人は獣。圧倒的な力に心の底から屈し、鎖を着けられてこそ愚かな殺し合いを止めるのだ。故に我は決めた。この戦を征し、アルヴィリアを滅ぼした後、この地から全てを奪うと!!」


 大帝は跪く部下たちを圧倒的な威圧感で見渡す。


「我がディヴァーンの同胞たちよ!! 敵から全てを奪え!! 女は悉く犯し、男は全て殺せ!! 老人は薪にくべ、赤子は球のように蹴り上げよ!! 今後百年はこの地を蹂躙することを許す!! 奴らから反抗心が消えるまで徹底的に人としての尊厳を奪うのだ!!」


「陛下! 陛下! 大帝陛下!! 我らに勝利を!!」


「全軍、進めい!! 敵を殲滅せよ! 根絶せよ!! 絶滅せよ!! ただ一人としてこの地より生かして帰すな!!」

 


 早朝。

大帝の号令と共にディヴァーン軍50万が進軍を開始した。

ベールン川を挟み、ベールン会戦と呼ばれる戦いの幕が切って落とされたのである。


※※※


 アルヴィリア軍はある程度前進すると停止し、すぐに運んでいた木の杭を地面に打ち込み始めた。

簡易的な柵ではあるが敵の騎兵の動きを少しでも止めるためである。


 アルヴィリア軍の布陣は最前列に縦と槍を構えた歩兵隊。

その後方に弓兵隊と魔術師隊を置き、その両翼に騎兵隊を配置している。

押し寄せる敵を弓兵隊の射撃と歩兵隊で止め、敵部隊の足が止まったところを魔術師隊の魔術と騎兵隊の突撃で一気に崩すというスタンダードな布陣だ。


 中央のエリウッド王子と聖アルテミシア騎士団が率いる部隊がやや突出し、両翼の軍は少し後方で敵が川を渡ってくるのを待っている。


 ヨシノが率いるキオウ軍も中央におり、ヨシノは決戦の時を静かに待っていた。


「……敵軍に動きあり!! 一部の部隊が前進してきます!!」


 その報告に全軍に緊張が走る。

川の向こうを見れば敵の騎兵たちが前進してきている。

まずは騎兵による威力偵察をするつもりであろうか?

いや……あれは……。


「なんと……惨いことを!!」


 人だ。


 騎兵たちがもつ旗や槍には人が串刺しにされていた。

首を斬り落とされ、手足を捥がれた死体をまるで旗のように掲げ、振るっているではないか。

そして彼らの先頭にいる騎兵の旗にはヨシノにとって到底許せないものがあった。


「…………父上!!」


 父、リョウマ・キオウの首だ。

無残にも斬り落とされた父の首が血に染まったキオウ家の旗の先端に突き刺されているではないか。


 王のため最後まで戦い抜いた父に対する冒涜に心の底から怒りが湧き上がり、拳を強く握りしめる。


「ヨシノ様!! リョウマ様が!! なんとお労しい! このようなこと許せませぬ!! どうか、どうか……!!」


「ならぬ! 皆、抑えよ!! ここは耐え、時が来るまで待つのだ!!」


 本当なら今すぐ叫んで敵に突撃したい。

だがそれをしたら策は失敗してしまう。

激しい怒りを堪えるため唇を強く噛み、口から血が流れ出る。


 ああ、父上よ。もう少しお待ちください。

必ずや奴らを討ち取り、父上の首を持ち帰ります。


「よく我慢した。キオウ大公の無念共に晴らそう」


 隣に来たエリウッド王子にそう言われ頷く。

そして改めて前方を向くと川の向こうから何かが飛んでくるのが見えた。

敵の騎兵隊の頭上を超え飛来してくる黒い塊。

それを見ると兵士たちが「投石か!!」と盾を頭上に構える。


 黒い塊は兵士たちに向かって落下してくるがそれは岩ではなかった。

塊りが落下してくるたびに兵士たちがどす黒い赤で染まっていく。


「ひ、ひぃ!? 人だ!? 人が降ってきているぞ!?」


 それは人の死体だ。

先ほど敵が掲げていたモノと同じく四肢を斬り落とされた死体が空から降ってきているのだ。


 突然空から死体が降ってきたことにより全軍が動揺し始める。


「怯むな!! ただの脅しだ!! 隊列を崩すな!!」


 エリウッド王子や諸侯たちがすぐに混乱を鎮静させるべく指示を出す。

自分も兵士たちに指示を出すと敵軍を睨みつけた。


「どこまでも命を冒涜するか!!」


 敵の”脅し”が終わると角笛の音が遠くから聞こえてきた。

それと共に敵の騎兵たちが後退し、代わりにある部隊が前進してくる。

その部隊は武具を持っていなかった。

手足に鎖を着けられ、ゆっくりと進軍してくる。


 あれは……まさか……。


「キオウの民たちか!?」


※※※


 ベールン川に向かってキオウ領の民たちは前進させられていた。


 ディヴァーンは古来より占領した土地の民を奴隷兵として徴用し、正規軍のための肉壁として利用する。


 だが彼らは従来の奴隷兵とは違った。

奴隷兵は最低限の武具を持たされ、戦いが終わるか死ぬまで前線にいなければいけないが、彼らには身を守る鎧も戦うための武器も無かった。


 代わりに手には黒く光るクリスタルが握られている。


 皆、これから起きることに絶望し怯えている。


「い、いやだ!? やっぱり嫌だ! 俺は死にたくない!!」


 民の内の何人かがその声で逃げ出し始める。

だがすぐに後方から次々と矢が降り注ぎ始め民を射殺し始めた。


「ひぃ!! た、助けてくれ!!」


 民たちは降り注ぐ矢から逃げようと平原を駆け回る。

だが鎖を着けられた彼らが矢から逃げることができるはずもなく、次々とその体に矢が刺さっていく。


 ある男の背中に矢が深々と突き刺さった。

口から血を吐き、地面に崩れ落ちると涙を流す。


 ああ、どうしてこんな目に。

自分はただの農民だった。

妻と娘がいて、静かに暮らしていただけなのに……。


 だが奴らが来て妻と娘は目の前で犯されて殺された。

生き残った自分は他の人たちと一緒にここに連れて来られ、死にたくなかったらこの石に願えと言われた。


「ああ……いやだ……死にたくない……。憎い……憎い、憎い、憎い!! 奴らが憎い!! 女神様……どうか! 奴らを殺す力を……!!」


 彼は願う。

妻と娘を奪われた恨みを、己の不条理を憎み、ただただ激しい憎悪を抱く。

そしてそれに応えるかのように黒いクリスタルは紅く光り、光が男を包むのであった。


 次の瞬間、男はこの世界から消滅した。

いや、転成したのだ。

男だったったものは首の無い狼のような姿になり、遠吠えをする。


 平原中に紅い光が生じ、次々と魔獣が生まれた。

そして魔獣たちは一斉にアルヴィリア軍に向けて突撃を開始するのであった。


※※※


 奴隷兵たちが魔獣に変化し、敵軍に突撃するのを一部始終をザイードたちは見ていた。

彼らは戦場中央に布陣しており、悪夢のような光景に思わず息を呑む。


「……大帝め。これが貴様のやり方か!」


 あれは明らかにこの世の理を超越した外法だ。

そのような力を用いるなど……。


「戦いのやり方に綺麗も汚いもないってのは分かっているけど、ありゃ見ていて気分のいいものじゃないねぇ」


 隣にいたヴァネッサの言葉に頷く。

あまりにも危険すぎる力だ。

制御できない力は破壊しか生まない。

自分の理想のため大帝があの力を使い続けるというのであればやはり……。


「あ、あれこっちに来ないのでしょうか?」


 部下がそう不安げに聞いてきたので首を横に振る。


「知らん。来ないことを祈れ。そして来たら問答無用で殺せ」


 そう言うと今度はヴァネッサの方を見る。


「アレの突撃が終わった後、我らも出るぞ。敵はあの聖アルテミシア騎士団。やれるな?」


「アタシを誰だと思っているんだい? 坊ちゃんは自分のことだけ心配してな! この戦いのあと、ついに創るんだろう? アンタの国を。こんなところでくたばるんじゃないよ?」


「当然だ。この戦いに勝利し、俺は再びヴェルガを! いや、ヴェルガ以上の帝国を築き上げる!! そのためにも……」


 ザイードはアルヴィリア軍を睨みつける

強い情念を込めた瞳で川を挟んで布陣している敵軍を睨みつけるのだ。


「大帝も、王国も踏み台になってもらうぞ……!」


※※※


「なんと……! ディヴァーンめ、あのようなものまで使役するか!!」


 魔獣たちが川を渡り、此方に突撃してくるのを見るとランスローは眉を顰めた。

そしてすぐに兵士たちに指示を出す。


「弓兵隊、構え!!」


 その号令と共に弓兵たちが一斉に弓を上方に構える。

そして敵を引きつけた後、ランスローの「放て!!」と言う言葉と共に矢を放った。


 一斉に放たれた矢は雨のように魔獣たちに降り注ぐ。

魔獣の体に次々と矢が突き刺さるが獣たちはそれを気にした様子もなく突撃を続ける。


「痛みを感じぬのか!! ならば魔術師隊!! 攻撃開始!! 敵の動きを止めよ!!」


 次に魔術師たちが魔術を放ち始めた。

敵に向かって火球が叩き込まれ、水柱が上がり、突風が吹く。

それにより魔獣たちは次々と吹き飛ばされるが一向に突撃の速度を緩めなかった。

中には手足が捥がれた魔獣もいたが暫くすると再生し再び突撃をしてくる。


 その様子にランスローは舌打ちすると剣を鞘から引き抜いた。


「歩兵隊! 構え!! 来るぞ!!」


 盾を構え、槍を突き出す歩兵隊と魔獣たちが激突する。

その勢いで魔獣に槍が突き刺さり、兵士たちは吹き飛ばされる。


 魔獣は倒れた兵士の喉を爪で引き裂き、その魔獣に兵士たちが斬りかかる。

凄まじい再生力を持ち死を恐れぬ魔獣によって瞬く間に最前列は混戦状態となった。


 兵士たちを突破し、一匹の魔獣がランスローに飛びかかった。

彼は直ぐに体を逸らし魔獣の攻撃を避けると剣で敵の体を横に引き裂く。


 体を引き裂かれた魔獣は悲鳴のような咆哮を上げ地面を転がるが直ぐに傷口が再生し始めていた。

傷を治し立ち上がろうとする魔獣を兵士たちが囲み、一斉に槍で突き刺すと一本の槍が敵の体の中心にあったクリスタルのようなものを砕いた。


 クリスタルを砕かれた魔獣は断末魔の咆哮を上げ、そのまま霧散して消えていく。


(……そこが弱点か!!)


「全軍に伝えよ!! 敵の体中央にあるクリスタルを破壊せよと!!」


 敵の弱点が分かれば戦いようがある。

どうにか魔獣たちを撃破できれば……。


「ランスロー卿!! 敵軍が動き始めました!!」


「……来たか!!」


 遠くを見れば敵の大軍がベールン川を渡り始めている。

魔獣による攻撃は渡河中の主力が攻撃されないようにするためか!!


「総員! 敵の主力が来るぞ!! ここからが本番だと思え!!」


 再び飛びかかってきた魔獣を斬り捨てそう指示を出すと兵士たちは「応!」と大声を出して答えるのであった。


※※※


 川を渡り切ったディヴァーン軍の先鋒は真っすぐにアルヴィリア軍中央に突撃を敢行していた。


 中央にアルヴィリアの王子が布陣していることは既に知らされている。

敵国の王族を討ったとなれば大戦果だ。

大帝から褒美を思う存分貰えるであろう。


 ディヴァーン軍の先鋒を率いるのはハッサンという将軍だ。

彼はディヴァーンの少数部族の生まれであり始めは傭兵としてディヴァーン軍に参加していた。

常に戦場では先陣を切り、数多くの戦いで戦果を挙げた。

そしてついに大帝の目に留まり、一軍を預けられる身になったのだ。


 彼はこの戦でも当然先陣を切った。

最も危険とされる先鋒で活躍し更に上へ、将軍たちを束ねる大将軍となるのだ。


「敵は魔獣により動揺している!! 一気に叩いて崩せえ!!」


 槍を突き上げ、指示を出すと兵士たちが喊声をあげながら突撃する。


 魔獣は大分倒されてしまったようだが敵の陣形が大きく崩れている。

これならばあっという間に敵の戦列を崩壊させられるであろう。


(奴らよりも先に大将首を獲らねばな!!)


 自分たちの後方にはゼダ人の部隊が続いている。

奴らもこの戦で手柄を立て続けている部隊だ。

奴らよりも先にアルヴィリアの王子を討たなければ。


「将軍!! 敵から何か飛び出してきました!!」


 部下の言葉に前を見てみればアルヴィリア軍の戦列から一人の女が飛び出してきた。


 右手にハルバードを持ち、左手にはアルヴィリアの旗を持っている。

彼女はただ一人此方の進路を遮るように立ち、旗を大地に突き立てた。


「あれは、アルヴィリアの聖女か!! 一人で前に出るとは気でも狂ったか!!」


「いかがいたします!?」


「構わん! ひき殺せ!! たった一人で止められるものかよ!!」


 兵士たちが槍を構え、聖女に向かって突撃する。

何を考えているのかは知らんがこの数を一人で相手にしようなどと”聖女”というのは気狂いに違いない。


 ”聖女”がゆっくりとハルバードを構え、此方の兵士たちが彼女と激突しようとする。

そして”聖女”と騎兵が激突し、彼女が跳ね飛ばされたかのように思えたが……。


「…………は?」


 宙に馬が舞っていた。


 ”聖女”と激突した騎兵が空を舞い、地面に叩きつけられる。

直後、前方にいた兵士たちが馬ごと千切れた。

兵士は腕を、首を、胴を断たれ、馬の断末魔と共に赤く染まって地に伏していく。


 その光景に皆、驚き突撃を止めてしまう。


 斃れた兵士たちの中心には無傷の”聖女”が居た。

彼女はハルバードの刃に着いた血を振り払うと祈るように目を閉じる。

その光景は神々しくあり、まるで裁きを与えに来た女神のようであった。


「ディヴァーン語には疎いため、簡潔に言いましょう。悪逆の徒よ、今すぐ退くならば見逃しましょう」


 ”聖女”は片言のディヴァーン語でこちらに語り掛ける。

そしてハルバードを振るい、己の前に線を引いた。


「これより先は死地。女神の裁きを恐れないというのであらば……来なさい」


 兵士たちはその言葉に動揺する。

馬鹿な! たった一人の敵、それも女を恐れてどうする!!

そもそも先鋒を引き受けておいて退けば敵ではなく大帝に殺される!!


「ええい! 突撃せよ!! あの女を殺せ!!」


「は、はい!!」


 騎兵たちが再び前進を開始する。

その姿を見た”聖女”は悲しそうに眉を顰め、そして静かに目を開いた。


「そうですか。では━━━━参ります」


 直後、前進を再開した兵士たちが再び吹き飛んだ。

”聖女”は目にも止まらぬ速度で騎兵たちを薙ぎ倒し、此方目掛けて突き進んでくる。


「ば、馬鹿な!?」


 慌てて槍を構えるがもう遅かった。

”聖女”は跳躍し、此方の馬の頭に着地した。

至近距離で彼女と目が合い、体が固まる。


「失礼」


 直後、一閃が放たれた。


 首が飛び、首を断たれた己の体が見える。

痛みは無い。

ただ驚愕のあまり、言葉が出ない。

ああ、何ということだ……あれは……化け物だ。

意識が途切れる前、部下を蹂躙する”聖女”の後ろ姿が見えたのであった。


※※※


「おいおいおい! なんだい、あれは!!」


 前方を行くハッサン将軍の部隊が一瞬で崩壊したのをヴァネッサは見た。

敵はただ一人。

ハルバードを振るった女がまるで嵐のように将軍の部隊を駆け巡る。


 その光景は地獄のようでありながら同時に美しかった。

女の刃が光る度に青い空に赤き血が飛び散る。

女は返り血を浴びることもなくただひたすらに殺戮を行っていた。

あんな化け物がアルヴィリアにいるとは……!


(昂るってもんじゃないかい!!)


「ザイード!! アンタは迂回しな!! あれは正面からぶつかっちゃいけない手合いだよ!!」


「ああ、分かっているさ!」


 ザイードは既にハッサン将軍の部隊を避けるように兵を動かしている。

ならば自分は……。


「坊や!! あれはアタシが貰うよ!!」


「……勝てるのだろうな!?」


「アタシを誰だと思っているんだい!!」


 そう力強く返すとザイードは「分かった」と頷く。

さて、敵は既にこちらに気が付いている。

ならばやることはただ一つ。


「さあ、行くさね!!」


 馬を駆り突撃をする。


 女は此方を見るとハルバードを構えた。

そして次の瞬間━━━━。


(消えた!!)


 いや、違う。

既に踏み込んできているのだ。

女はハルバードを振るい、此方の馬の足を全て断つ。


 悲鳴を上げ、倒れる馬の体を蹴り着地すると既に眼前にハルバードの刃が迫っていた。

それを右手のメイスで弾くと直ぐに左手のメイスを横に薙ぎ払う。

女はメイスの一撃をハルバードの柄で受けると此方の力を利用して距離を離した。


(なんてこったい……!!)


 女の一撃を受け止めた右腕を見る。

先ほどの一発で凄まじい衝撃を受け、手が少し痺れているのだ。

力には自信があったがこの女、下手したら自分よりも馬鹿力かもしれない。


「……名立たる将とお見受けします。名を聞いても?」


「ディヴァーン語は使わなくていいよ。アタシはヴァネッサ。そっちは━━━━」


「聖アルテミシア騎士団団長、レグリアと申します」


 やはりそうか……。

この女、アルヴィリア最強と名高い聖女レグリアだ。

常勝無敗。無敵の聖女。

実際に会うまでは眉唾物だと思っていたがなるほど、噂は本当だったか。


「ヴァネッサ殿、命を無駄にする必要はありません。同胞と共に今すぐ退きなさい」


「悪いがそれはできないねぇ。この戦はウチの大将が夢を掴むための第一歩なのさ」


「夢……ですか」


 レグリアは少し首を傾げる。


「アタシらはゼダ人。虐げられる人種さ。大昔に悪いことをしてこうなったそうだが何時までも虐げられ続けることに嫌気がさしている連中もいる。ウチの大将はそういった連中の為にでっかい国を創るそうなのさ」


「……成程。ヴェルガの再建を夢見ているのですね」


「そういうことさ。ゼダ人がまた胸を張って堂々と生きられる時代をアイツは創ろうとしていてねぇ。途方もない野望だけれども、ちょっと協力してやろうかと思っているさね」


 そう言うとレグリアはハルバードの石突を地面に突き刺した。


「ゼダ人に対する迫害は私も思うところはあります。女神は人を等しく愛する。彼らはアルヴィリア人と対等に生きる権利がある。ですが━━━━」


 ”聖女”が此方を睨んだ。

それだけで息が止まりそうになるほどの威圧感だ。


「あなた方がアルヴィリアに害を成すことは見過ごせません。この国を亡ぼすと言うのであれば私は王の刃としてあなた方を討ちましょう」


「そうかい。なら始めようじゃないかい! アタシはどちらかと言うと強い奴と戦えればいいからねぇ!! アンタはアタシを楽しませてくれそうじゃないかい!!」


「戦を楽しむ獣でしたか。では最早遠慮はいりませんね」


 メイスを構え、”聖女”と対峙する。

そして両者の間に風が吹いた瞬間、互いの刃が激突するのであった。


※※※


 戦場から離れた丘。

そこに生えている木の上にメリナローズは立っていた。

彼女は遠くで戦っているアルヴィリア軍とディヴァーン軍を見ると眉を顰めた。


「……まったく、”大祭司”は何を考えているのかしらね」


 いずれアルヴィリアとディヴァーンは激突すると思っていたがこんなに早く戦争になるとは思わなかった。

両国の戦争が早まった理由としては”大祭司”と”戦車”が裏で暗躍していたからであるが、本来の計画では二年後の千年祭に両軍を激突させるはずだったのだ。


 ”大祭司”は致し方無しと計画を早め、この戦いで多くの魂を回収する予定だ。

そして二年後に”器”を手に入れ”門を開く”つもりだ。

だが……。


「どーにもきな臭いのよねぇ。あいつ、本当にあたしたちと同じこと考えているんでしょうね?」


 ここ最近、”大祭司”の独断専行が多い。

嘗ては使徒たちによる合議の上で物事を決めていたがこの数年はアイツは勝手に計画を進めようとしている。


 ”殉教者”から聞いた話だが”狩人”の専行も裏には”大祭司”が居たという。


「少し警戒しておくか……」


 もし”大祭司”が盟約を破ろうとしているのであれば処罰しなければいけない。

いざという時はこの戦いに”殉教者”と共に介入するつもりだ。


「はてさて、何事も起きないことを祈りつつ……」


 アルヴィリア軍の右翼側を見る。

あそこには辺境伯の軍もいるはずだ。


「誰一人欠けずに帰ってこれるかにゃあ?」


 そう言うとメリナローズは蛇の面を被り、木から飛び降りるのであった。


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