第14話
「すごい……」
人、人、人、人。前後左右どこを見渡しても人で賑わっていた。
スピリドンに馴染みのある古式ゆかしい衣服に身を包んだ人々が鳴り物を携え行進していく。旗を掲げ、歓声を上げ、少年たちがその行列を追いかけていった。漂う芳しい匂いの先には串焼きを売る露店があり、そこにも人々が行列を作っている。
リカルダは初めて見る物や人に高揚して、あたりを見回す。スピリドンがしきりに懐かしがっていた。
「さすが、今話題になっているだけあるね」
「そうね~。来て良かったわね、あなた」
「そうだね。人が多いからはぐれないようにしよう」
「はい!」
穏やかに笑う父の腕にリカルダは自分の腕を絡ませた。
休日を利用してリカルダたちラスコン一家はテーマパークに遊びに来ていた。最近できたばかりのピヴァーノランドは古代をテーマにした遊園地だ。かつて世界が天界と魔界と人界にわかたれていた時代の服装や、街並みが再現されている。
マスコットキャラクターたちもそれに倣って魔王モチーフのふりっつくんだの、天帝モチーフのふぉーすちゃんだのがいて、頭でっかちな着ぐるみが、えっちらおっちら歩くさまはなかなか可愛らしい。
従業員の全員が古代衣装をモチーフにした制服で働いており、貸衣装屋も繁盛しているようで、古代衣装を着た人々があちこちを歩いていた。
「天界人の衣装なんてどうかしら、着てみない? リカルダちゃんに似合うと思うの」
「えぇー、可愛すぎますよぉ」
「こっちの衣装はどうだい? 猫耳の魔界人!」
「兄さまもお揃いにしてくれるなら着ますよ」
勇ましい衣装から可愛らしい衣装までを取り揃えた衣装屋の前でそうやって騒ぎながら、結局、家族揃って獣耳の魔界人カチューシャを購入して装着した。家族四人でなんちゃって魔界人に扮して、楽しそうな人たちの闊歩する園内を同じようにリカルダも歩く。
土産物屋を覗いたり、露店で買い食いをしたり、マスコットキャラクターに抱きついたり、一緒にポーズを決めたりとピヴァーノランドを満喫していた。
「この着ぐるみは見た目そっくりだけでなく、手触りもロミーそっくりだな!」
「ちょっと! 静かにしなさいよ!」
「そうすよ、気づかれちゃいます!」
リカルダは触り心地を確かめていたふりっつくんのぬいぐるみからそっと手を離した。それからだるまさんがころんだ! と声が聞こえてきそうなほど素晴らしい素早さで振り向いた。
しかし相手もさる者、残像しか見ることは叶わなかった。一人を除いて。
「こんにちは、アードリアン」
「偶然だね、リカルダちゃん……ハハハ……」
「偶然ねえ……」
土産物が置かれた棚に隠そうとしていた体が中途半端に出ていたアードリアンが頭を掻いた。
「女の子とデートをするまえに下見でもしておこうかなー、なんて……」
「そう」
白々しい言い訳にリカルダは頭が痛くなる。ついポロリと家族でピヴァーノランドへ行くと口を滑らせたばっかりに。だが遊びに行くと言ったからといって、そこに追い掛けてくるとは思わないではないか。
「それで……来てるんでしょう」
「いやぁ……うん、ハイ……」
すまなそうに頭を下げるアードリアンを責める気持ちはないが、休日くらい静かに過ごしたかった。
「リカルダ? 友達かな?」
「はい。アードリアンです。覚えてません?」
「ああ、アードリアン君……」
「この間の」
「この間の……」
一緒に反省文を書いた仲なのだが、マカリオは覚えていないようだった。良い思い出というわけではないので、忘却したのかもしれない。
「アードリアン、嫌なら嫌って断ってもいいと思うわ」
「や、あいつの親御さんに頼まれてるし、話題の遊園地にも来たかったし。嫌ってわけでもないんだ。なんだかんだいいやつだから」
「そう。あなたみたいな人が友達で良かったわね、あいつ」
笑いあって、それじゃこれで……と三人は解散しようとした。そこへあらあらまあまあ、と母がお土産片手、リカルダ手製のバッグをを片手にリカルダたちのほうへ歩いてきた。土産には『ピヴァーノランド印クッキーアワヒェ味』と表記されている。なんだ衝撃の味って。
「母さま、それ買うんですか?」
「実は迷ってて……。でも気にならない?」
「気にはなりますけど……」
アワヒェといえばスピリドンはよく食べる機会があった、非常食だ。栄養価が高く、
味気がないからと調味料を足すとなんとも微妙な味になり、油で炒ったり、他の具材と焼いたりしてみた者もいたが、ぼそぼそになったり固くなったり、と成果は出ていなかった。結局、お湯につけてすするのが一番ましな食べ方だった。それをクッキーにしたとして、いったいどのような味になっているのだろうか。
「せっかく来たんだし、記念に買ってみるわ。もし食べきれなかったら、またお願いね、リカルダちゃん」
「任せてください」
茶目っ気たっぷりに笑う母に笑みを返して、リカルダは胸を張って請け負った。
前世ではどれだけ不味かろうが有毒だろうが空腹を満たすために食べてきた記憶があるのだ、ちょっとくらい美味しくなかろうが、量が多かろうが食べきれる自信しかない。
「リカルダちゃんのお友達は一人なのかしら? よかったら私たちと一緒に回らない?」
「いえ、あの……」
「母さん、それは……」
アードリアンがしどろもどろに弁解するより、マカリオがやんわり止めようとするより先に隠れていた三人が挙手をした。
「「「是非!!!」」」
「お客様、店内での大声はご遠慮ください」
「あのお屋敷って素敵ね~」
「当時流行していた形式です。人界の東方地域の文化を真似て作られています。特に庭園内にある対になっている獣にそれが顕著に表れています。あの獣は門番の役目を担い、魔を払う、と言われていました」
「まあ、そうなの」
「リカルダの友達は物知りなんだなあ」
「お褒めに与り光栄です」
リカルダはもちろん、マカリオもノエルもヨンナも、ぽかん、と大口を開けてリカルダの両親に解説をするホラーツを見ていた。普段は教師にさえともすれば尊大と取れる態度であるホラーツが丁寧な物腰で、敬語を使っている……だと?!
「いやあ、さすがにホラーツもリカルダちゃんの親御さん相手には丁寧に接するって。あと、あいつ緊張すると妙にかしこまるなだよなあ……」
「なによ、リカルダのご両親に気に入られちゃって……!」
「知識を押しつけがましくなく披露するなんてやりますね……!」
ここでホラーツの邪魔をしに割り込むと心証を悪くする可能性があるので、いくら悔しくとも二人はおとなしくしているしかない。その気遣いをなぜ自分にはしてくれないのかと思うリカルダだった。
「考古学者を目指してるなら当然なのかもしれないけど……」
それにしても驚くしかない。どこでも誰にでも魔王然として振る舞うと思っていたから以外だった。
「リカルダ、いいのかい」
「なにがです、兄さま」
「外堀を埋められてないかい、あれ」
言ってマカリオが両親と仲良く笑っているホラーツを指す。
「うーん、母さまも父さまも楽しそうだし、いいんじゃないでしょうか」
「そうなのかい?」
リカルダの答えにマカリオが眼を丸くする。その顔がおかしくて、リカルダは少し吹き出してしまった。
「もうっ、兄さまったら。私はそこまでホラーツのことを敵視しているわけじゃありませんよ。……行動は突飛すぎるところもありますけど、根は善良ですし、ガイドを雇ったと思えばいいじゃないですか。それに埋める堀なんて私にはありませんよ」
笑いながら言うリカルダに、そうかい? とマカリオがわずかばかり困ったような微笑みを返した。その表情の理由が分からずリカルダは首をかしげた。
ピヴァーノランドにはふれあい広場がある。飼い馴らした小型の魔物獣と触れあえ、、子どもはもちろん中には希少な種類の魔物獣も展示されているのでマニアなどにも人気のあるスポットだ。
今日は初めて客の前にだす魔物がいた。見た目は猫によく似ているが歴とした魔物で種族名をゴルベダル、個体名をシロルといった。額に宝石に見える魔素収集機関があり、背に羽を生やしている。かつては従魔として戦場を駆け回り、空を征く種である総称の天馬とも呼ばれていた。
生後四か月の小さな命は大好きな飼育員に抱かれ、チィチィとかわいらしく鳴いていた。子育てに不慣れな母親に代わって今日まで飼育してきた飼育員は目に涙をためてその小さな命を見つめていた。
「立派になって……。今日はシロル、記念すべきおまえの広場デビューだ。がんばって愛想を振りまいてこい、と言いたいけど無理はするな。おまえの体調が第一だからな」
飼育員の言葉が分かっているのかいないのか、シロルは機嫌良くチィチィと鳴いている。
「あ゛ぁ~~~~~、嫁にやりたくないぃ……」
「センパーイ、シロルは雄ですし、お見合いはまだ何年も先ですよー」
飼育員の後輩が呆れたように言って、チィチィ鳴いている、成猫より大きめのシロルを飼育員から取り上げた。
「あ゛ああシロルゥ~~~~!」
「子離れしてくださいよ、もう。過保護なお父さんはほうっておいて、新しいお友達に会いに行こうね~」
首に抱っこ禁止を示す赤色のリボンを結んでやって、魔物獣の可愛さを堪能できるまどろみエリアにシロルを放してやる。
「シロルゥ~~!」
「はいはい、先輩もさっさとお仕事に戻りましょうね」
「シロルゥ~~~~!」
まどろみエリアではその名の通り小さな魔物獣が思い思いの場所でまどろんでいる。寝床の設えられたタワーで寝るもの、部屋の隅で寝るもの、箱型のベッドで寝るもの、とさまざまだ。
シロルは母がいなくなってしまったことに少しばかり不安を覚え、しばらくチィチィと母を呼んでいたが、同輩に「おやつの時間が終われば迎えに来てもらえるよ」と諭され、しかたなく昼寝をすることにした。寝心地の良いクッションを探し当て、くあ、と欠伸をしてからシロルはくるりと丸まった。起きたらおやつの時間になってるといいなあ、と思いながら。
そんな可愛らしいシロルに近付く人の影があった。
「ゴルベダルの幼体……初めて見る……かわいいなあ」
面白がってあれはこれはと聞く両親にひとつひとつ丁寧に受け答えをするホラーツと、両親が楽しんでいるから、とリカルダに言い含められて邪魔をできず歯嚙みするノエルとヨンナ、兄妹で楽しむリカルダとマカリオ、行く先々で女性と仲良く喋るアードリアンで園内を回っていたときだった。ピヴァーノランドを楽しむだけではない客のざわめきが聞こえてきたかと思えば、人混みの中から叫び声が上がる。
「ふれあい広場のほうだ」
友達とピヴァーノランドを訪れていたという女性二人組と和気あいあいと話し、今しがたにこやかな別れを迎えたばかりのアードリアンが周囲の人間よりもわずかに長い耳を澄ませる。
「何があったのかしら」
「魔物獣が脱走でもしましたかね」
後衛タイプの二人はすぐリカルダの後方に移動する。静かに、密やかに、詠唱を開始した。
リカルダは自然に臨戦態勢を取り、一歩前に出る。さりげなく父母を庇える位置に移動し、隣に来たホラーツと目配せをした。
「大した手合いではないが、人質がいるようだな」
「ゴルベダルの子どもみたいだ」
ホラーツが気配を探り、アードリアンが周囲に聞き耳を立ててさらに状況を探る。
「ゴルベダルの子どもといえば、今日初めてふれあい広場にデビューだったかな」
「そうですよ。俺、楽しみにしてたから覚えてます。この騒ぎじゃ公開中止だな……」
「残念だったね」
肩を落としたアードリアンをマカリオが慰めた。その間にも騒ぎの中心はリカルダたちに近づいてくる。人垣が割れてゴルベダルの子どもを抱えた男が血走った眼をして駆けていた。
園内は無用の争いや事故を防ぐためにもちろん魔術禁止術が敷かれているため、職員以外は身体強化術でさえ使えない。それゆえにゴルベダルの子どもを連れ去ろうとしている男は荒く息を吐き、汗だくになっていた。
「人質がいると面倒よね」
「そうだな」
「二人ともー。職員さんたちに任せるっていうのはどうだろう」
兄が提案したが、リカルダはきっぱりと首を横に振った。
「母さまたちに何かあってはたまりませんから」
「リカルダちゃん……」
「リカルダ……」
「リカルダに何かあってもイヤなんだけどなー」
「大丈夫です。私けっこう強いですから!」
「我が必ず守りますのでご安心を!」
「そういうことじゃないんだけどなー」
「どけえ!」
そうこうしている間に誘拐犯が間近に迫っていた。抱えられているゴルベダルの子どもは周囲の喧騒に構わずぷうぷう寝ていた。
珍しく怒気を孕んだ声でアードリアンが叫ぶ。
「あー! あんなところにイシデハーバルの幼体が!!」
イシデハーバルとはゴルベダルと同じく天馬と呼ばれる魔物で、こちらは虎によく似ていた。どの個体も長い尾をしならせ羽根も無いのに空を征くので有名である。現在では個体数が減少しているため、展示している動物園はわずか三園だけであった。そのうちのひとつがここピヴァーノランドであり、繁殖に成功すればふれあい広場に展示されるのでは、という噂がマニアの間でまことしやかに囁かれていた。
つまり犯人は、アードリアンの嘘に見事に引っ掛かった。
「イシデハーバルの幼体?! どこ?!」
誘拐犯が前方──リカルダたちから眼を離す一瞬前、ノエルとヨンナが魔術を発動した。ノエルは魔術禁止術を範囲限定で無効化し、ヨンナはリカルダとホラーツに素早さを上げる術をかける。だから、リカルダとホラーツは身体強化術以外の魔術に集中することができた。
リカルダはゴルベダルに回っている犯人の手から上──肩までを氷漬けにし、ホラーツは暗闇を発現させて犯人の視界を奪った。
「うわあ?! み、見えない、イシデハーバルが見えない!」
慌てふためく犯人とわずかに空いていた距離を一気に走り詰め、リカルダは猫を掴んでいる手に手刀を落としその手を開かせた。その拍子にようやく起きたゴルベダルが驚きの声を上げる。寝起きにごめんね、と小さく謝りながらその柔らかい体を誘拐犯から素早く、けれどやさしく奪い取り、飛び退った。それを視界の隅で見届けたホラーツはだいぶ手加減をして犯人を殴り飛ばした。
それらはすべて一瞬のことで、ノエルの範囲限定魔術もヨンナの支援魔術もすぐに消え失せたし、リカルダが凍らせた犯人の腕を凍らせた氷もすぐ霧散した。そうすればあとに残ったのは気絶した犯人と、チィチィと母を呼ぶゴルベダルの鳴き声だけだった。
「うわ……かわいい……」
「そうだろうそうだろう! シロルはオレ自慢のかわいい子だからな!」
誘拐犯捕縛に貢献したとして、リカルダたちは園長にたいそう感謝されたし、子どもなんだからあまり危険なことはしないように、と注意もされた。
アードリアンは飼育員と意気投合し、ゴルベダルの子どもを抱かせてもらい、お礼に貰った年パスでこれからも通いつめる約束をしていた。
「いろいろあったけど、楽しかったわね」
「そうね」
「そうですね」
「それじゃ、また学校で」
昔みたいだったと騒動を懐かしむノエルとヨンナの二人にはわざと言及せず、リカルダは父母と共に帰る。またすぐ学園で会うのに大げさなほど大きく手を振るホラーツにリカルダは苦笑した。
「リカルダちゃんのお友達は頼りになる子ばっかりなのね」
「学園生活が充実しているようでなによりだ」
「はい」
父母の勘違いは正さずにおいた。学園で特に付き合いのある四人のうちの三人が前世関係の人間で、普段はそれなりに迷惑を被っています、とは言えるはずもない。
「特にホラーツ君。博識だったね」
「ええ、私たちついつい質問責めにしてしまったけれど、嫌な顔ひとつせずに答えてくれて」
「やさしい、いい子だったね」
「ええ、本当に」
「そうだねー……」
「……ソウデスネ」
普段のホラーツを知っている兄妹は空に輝く一番星を遠い眼で眺めながらそう返事するしかなかった。
「今度はおうちに来てもらいたわね、リカルダちゃん」
「そうだね、ぜひ」
「……エエ、ソウデスネ」
今後は両親に会わせないように気をつけよう、と夜に輝く星を見ながらリカルダ思った。
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