第12話

「すまないな」

「いえ、これくらいならお安いご用です」

「そうか、助かる」


 図書館帰りの廊下で、常識人であるガードナー師から頼まれて、リカルダは二つ返事で引き受けた。実際、普通の生徒なら嫌がったり怖がったりする竜籠へのお使いなどお茶の子さいさいだ。

 竜籠とは学園内にある竜の飼育されている場所であり、現在緑鱗の竜が一頭飼われている。授業の一環で一度訪れ、二言三言会話をしたが、気さくなおじいちゃん、といった風情の竜だった。

 竜にしては珍しく人の作った甘味が大好物で、昔からの馴染みであるガードナー師が一週間に一度甘味を差し入れしているのだという。

 今日は用事があるため、通りすがりのリカルダにダメ元で頼んでみた、という訳だ。


「別に明日でもいいんだが、翁は長命種のくせに一日でも遅れるとうるさいからな」

「ああ、竜は約束事にうるさいですもんね」

「──そういえば、そうだったか。ラスコンはよく勉強しているな」

「うふふ、それほどでも~」


 それでは、と笑顔でガードナー師と分かれて竜籠に歩きだしたリカルダは、師の視線から外れた途端、どっと汗を吹き出した。


(あっっっっぶなっ……! 現代ふつういち生徒こどもが竜の習性に詳しい訳ないじゃない!)


 早鐘を打つ鼓動を服の上から押さえて、リカルダは足早に歩いて行く。

 勇者スピリドン時代、うっかり談笑してしまった竜といろいろ話したことがあったから、リカルダも当然竜には詳しかった。それがぽろりとこぼれてしまった。いけない、いけない。気を付けなくては。今回は前世と無関係の人間だったからよかったものを。

 ちなみに、会話をした竜は強さこそ全て! の脳筋竜であったから、人間でも構わない、強いから番になって! と求愛されて全力で逃げた。あれから数千年経っているし、もう会うこともないだろうが、万が一会ったら今回も全身全霊をかけて逃げる所存である。竜の花嫁とか一般人のなるものではない。リカルダの夢は平穏な人生なのだ。

 無事に緑鱗の竜に差し入れを渡したリカルダは、どうせなら、と散歩がてら森をふらつくことにした。森に来たら採取しなければ、という妙な使命感のためである。

 なにせ前世まえは旅に回される予算が少なかった。行軍と呼べるほどの集まりではなかったにしろ、すべて現地調達とか頭がおかしすぎる。やはり神父クソは百回殴る。

 時おり正拳突きの素振りを挟みながら森の恵みを採集し、こんなに取ってどうするの? と我に返った時だった。茂みから聞こえる物音にリカルダは耳を澄ませ迎撃体勢を取る。

 音の大きさと進み具合からして人間の様だが、と分析を進めていったリカルダは音の主が姿を表す前に構えを解いた。

 迎撃体勢を取るのではなく、移動すべきだったかなあ、と思いながら。


「おお、リカルダ! 森で会うとは嬉しい偶然だな!」


 案の定、茂みから出てきたのはホラーツだった。存在がうるさいのですぐ分かる。


「ハイハイ、すごく偶然ね。わたしは散歩していただけよ」

「我はシニャック師の課題で素材を集めている最中だ。旅をするなら自給自足が基本だからな!」


 そう言って大口を開けて笑うホラーツだが、何時代の旅人だ。


「現代では森に分け入ってまで旅なんてしないわよ。携帯食だって自分で作らなくたって今はあちこちに売ってるんだし」

「それはそうなのだが、いつも金があるとは限らんからなぁ」

「それは、そうね」


 お金は大事だ。とても大事だ。大事なことなので何回でも言うが、お金は大事だ。ないとひもじい思いをすることになる。着服ピンハネしていた神父は殴る。百回は殴る。


「何を探してるの?」

「食用に適したきのこ類だな。ウォーキングマッシュならば煮てよし、焼いてよし、味よし、で文句ナシなのだが、学園の森には自生していないから、他のきのこを探すのに難儀している」


 この通り、と見せられたマジックポーチ内のきのこは六割がた毒キノコだった。

 それらを容赦なく捨てて、リカルダは持て余していたきのこを詰めてやる。もちろん無毒のものだ。


「ばかね、毒キノコなんて食べたら死ぬわよ」

「なんの、我は魔族だ。これくらい前世いぜんは食べていてなんとも……」

「今の体は普通の魔界人でしょうに」

「ウム……」

「このきのこなんて半日は笑い転げて腹筋が死ぬわよ」

「詳しいな。……まさか食べたことが?」

「失礼ね、ないわよ」


 もちろんリカルダは食べたことなどない。もちろんスピリドンだって食べなかった。誰が紫色に黄緑の斑点があるいかにも毒キノコでござい、なきのこを食べるというのだ。食べたのはスピリドンの仲間のきのこ偏愛者だ。

「食べられないきのこなんてない! 二度目がないだけ!」などと宣っては、治療担当のインニェルを呆れさせていた。

 最終的には魔族との戦いではなく、食べたきのこの毒で命を落とした。きのこ偏愛者ならば本望であっただろう。最期の言葉は「このきのこ、めっちゃ美味しい」である。

 ちなみにそのきのこは美味だが食べると死ぬきのことして現在でも有名で、毎年中毒死者が出ているそうな。きのこ偏愛者多すぎないか?

 閑話休題。


「ありがとう、リカルダ! この礼は必ず! しかし、こんなにたくさんもらってもいいのか?」

「散歩中に取りすぎちゃって、どうしようかと思ってたからちょうどよかったわ。

 世界を旅するなら毒のあるものくらい覚えておいたほうがいいわよ」

「──! そうだな!」


 なにが琴線に触れたのか、にこにこと上機嫌に笑みを浮かべるホラーツは、まるで太陽の如き眩しさだった。昔も今も魔族を自称しているのに太陽とはこれ如何に。

 魔族向いてないんじゃないの、と思ったが、リカルダは口には出さず、そのまま胸の奥にしまっておいた。


「リカルダのような秀逸な助手がいれば覚えずとも済むかと思うのだが、どうだろう」

「人を出汁にして覚える努力を放棄するのはどうかと思うわ。それじゃわたしはここで」


 しらーっと言い返して、リカルダは踵を返した。散策したら汗かいちゃった、帰ったらシャワー浴びようっと。


「待ってくれっ! 決して暗記が嫌だった訳では!」

「ハイハイ」

「ああああ! そうだ! リカルダに見せたいものがあるのだ! 近くだからついて来てくれないか?!」

「……いいけど」


 あんまりに必死の形相だったので、リカルダはさっさと折れてやった。それからずっとホラーツの頭に引っ付いていた葉っぱを取ってやる。どれだけ森の中を這いずり回っていたのやら。


「何を見せたいの?」

「……ッ、えっ、あっ、つ、着いてからのお楽しみだっ!」


 耳まで顔を赤くしたホラーツに、熱でもあるのかしら、とリカルダは小首を傾げた。

 ホラーツの案内でたどり着いたのはおそらく森の中心に近い場所で、粉雪のように光が舞う泉だった。碧色に輝く水はどこまでも透明で、泉の底が見えるほどだ。


「……きれいね」

「そうだろう。きのこ集めの最中に見つけたのだが、ぜひリカルダにも見せたいと思ったのだ」


 リカルダは泉の水を掬ってみる。魔素が満ちているので、魔術の触媒用に学園が管理しているのだろう。水はゆらゆらと揺らめいて、瞬きの間に輝きを変えていく。


「きれいだけど、飲むのはやめておいたほうがよさそう。水浴びくらいなら平気かしら」

「みっ、水浴び?!」

「? 何をそんなに驚いて……!」

 脳内のスピリドンと一緒に目を瞬いたリカルダは、魔物の気配に素早く泉から距離を取る。リカルダに続いてホラーツも臨戦体勢に入った。跳びすさった二人が着地する瞬間を狙ったかのように大量の水飛沫が二人を襲う。眼は痛んだが、それに構わずリカルダは魔物の気配がする方を睨み続けた。

 濡れて重くなった上着を脱ぎ捨て、隣のホラーツが腰の剣を抜くのと同時に、リカルダも魔力で氷の剣を作る。二人の剣の切っ先が向かう先には、巨大なスライムがぶよぶよと水風船のようなその体を上下させていた。


「わたしが動きを止めるわ」

「トドメは任せろ」


 リカルダは一足跳びで巨大スライムと周辺の水を切りつけ、泉ごと氷付けにしていく。動きの取れなくなったスライムの核をホラーツが過たず両断した。


「スライムって魔石を壊さないといけないからもったいないのよねー」

「まったくだ」


 水風船そっくりに破裂したスライムによって二人揃って再び水を頭からかぶり、その上泉に落ちて全身ずぶ濡れてしまった。濡れ鼠とはこのことだ。

 リカルダ自身がやったとはいえ、氷水に浸かり続けていれば体調を崩すのは目に見えている。


「ちょうど等分できてるし、魔石は二人で分けましょ」

「ああ、そうだな」


 魔石をホラーツに差し出したリカルダは気付いた。重いからと上着を脱ぎ捨てたせいで、水に濡れたシャツが素肌に張り付き、しっかりと透けている。毎日巻いているさらしが激しい動きのせいでずれていた。


「?! ッギャア!!」


 ざぶん、と水柱を立てて、リカルダは泉に沈んだ。胸の傷が! バレる!!

 水中で慌てて方向転換して、ホラーツに背を向ける。水の冷たさだけでなく、青くなった顔でリカルダは恐る恐る背後のホラーツを窺った。


「み、見た……?」

「み、見てない! 見てないぞ!! 我は何も見ていない!!」


 首から上を見事な真紅に染めたホラーツが片手で顔を覆いつつ弁明していきた。


「ほ、本当に……? 本当に見てない……?」

「見てない! 大丈夫だ、我は決してささやかな胸のふくらみなど見ていない!!」

「そ、そっかぁ……」


 本当に胸の傷は見られずに済んだようで、リカルダは安堵した。


(ん?  ささやかな胸のふくらみ?)


 リカルダは自分の胸元に視線を落とした。透けたシャツの下にゆるんださらしが、そのさらに下にはリカルダのささやかな胸が見えていた。それはもうくっきりはっきり、形がわかるほどに。


「しっかり見てるじゃない!!!!!!!!!!!」


 リカルダの怒声は森中に響き渡り、拳は見事ホラーツの顔面を捉え、めり込んだ。

 森の木々をなぎ倒して吹き飛んだホラーツの顔はそれでも幸せそうに緩んでいたという。

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