親と子

 見せたいものがある。ラボラスはそう言ってアンドレアを呼び出した。

伝言メサジェで伝えてくれれば、そちらにますよ?」

「それじゃ会話が出来ないでしょうが」生体管理局の通路を歩きながら彼女は言った。

「ずっと考えてたんだ。魂のない天使から造った分化生命体クローンはどうなるのか、って。ほとんどは機能不全で生まれる前に死んじゃったけど、一つだけ」

 ラボラスは通路の最奥にある部屋の扉に腕輪つうこうしょうかざした。扉はゆるゆると開く。部屋の中央に四角い柵が見えた。よく見ればそれは寝台だった。

 寝台に近づいたアンドレアは知らず感嘆の溜め息を漏らした。

 小さなの赤ん坊が横たわっていた。天族セレスティアの翼もなければ、エルフの長い耳、獣人ルーガルーの尻尾、魔人ディアーブルの角さえなかった。ただ後背から目映い光を放ち、全体の印象に神々しさを添えていた。

 アンドレアは赤子をでも見据えた。「成程、を持っているのですね」

「そう。目には見えないし、触れもしないけど、光を反射して後光が射しているみたいになる。この子だけがそうなのかもしれないけど」

「まるで玻璃ヴェールですね」

「まあそうかもね」

「もっと造ってみては?」振り返るとラボラスは眉を顰めていた。

「簡単に言ってくれるね。その子一人が生まれるまでどれだけ失敗したと思ってんの。

 アンドレアは首を捻った。「可哀そう、とは? どうせ材料もとで無しただなのですから、興味が尽きるまでやってみれば良いではないですか」

「……ねえ、私の記憶が正しければ、あんたは先代の事を『親』と呼んだ事がないんじゃないかな」

「ありません。同一の存在が根底にあるのだから、皆自分わたしでしょう」

「そう思ってるなら、私の考えは絶対に理解出来ないね」

 彼はラボラスの方に目を遣った。彼には訳の分からない感情ばかりが詰まっていた。





 アンドレアの『業務』と『事業』は滞りなく進んだ。即ち、『業務』は監督官としての教育、人事、刑罰について、『事業』とは時々天使アポートルを襲ってプシュケーを回収し、残った肉を喰らう事である。仲間を直接増やすのはラボラスの役目だった。襲われた天使の分化生命体クローンを製造し、死の恐怖を植え付け、それを生きたいという願いにすり替える。彼は予め誰を狙うかラボラスに予告しておけば良い。

 何人もの地族エーアトロイテの子供達に教育を施し、軽微な罪を犯した者に適当な処罰を割り振る。時々、思い上がった革命志望の魔人ディアーブルがやって来たら同志のふりをして情報を吐かせ、搾れるものがなくなれば重罪人として告発する。魔人への処罰は『千翼貴族ミルエール』の恰好の娯楽であり、彼の権力が及ぶ余地はない。特に興味もない事だった。

 それなりに刺激のある日々を謳歌していた、その時だった。

 に出会ったのは。





 ある日、アンドレアは授業用の資料を求めて図書館ビブリオテクを訪れた。必要なものはほとんど全て自分の館にあるのだが、時には不足もある。司書はいつも居眠りをしているので本は自分で探さねばならない。

 子供向けの資料の棚の前に、はいた。

 二人は背部に二つ切れ込みスリットの入ったローブを纏い、フードを目深に被っていた。スリットからは一対の白い翼が覗く。しかしアンドレアはそれらが偽装であると即座に見抜いた。翼はまるで不随意的な動きを全くせずに硬直している。フードに覆われた側頭部は、まるで奇妙な盛り上がりが時折動く。特筆すべきはその身長だ。例外リアを除いて、使

「何をしているのですか? ここは天使アポートル以外は立ち入り禁止ですよ」笑いがこみ上げるのを抑えながら、彼は努めて穏やかに、本を物色する二人組に声を掛けた。

「わたし達は天使です」二人組はそれぞれ髪の長さが大きく違っていた。言い返したのは髪の短い方、少女の声色を持っていた。

「そんな誤魔化しは通用しませんよ。少なくとも私には。、さて、何処から用意したのですか?」

「――先生? アンドレア先生ですか?」長い髪がフードから溢れて胸の辺りまで伸びている方は少年の声で訊き返した。

「テレジア、失敗だ。先生に見つかるなんて運がない」

「でも」少女の方は尚も抵抗する素振りを見せたが、少年は言葉を待たずにフードを下ろして顔を出した。

「貴方達でしたか、アーヴィッド、テレジア」自分の教え子に向かってアンドレアはにっこり笑ってみせた。

「せっかく、括り付ける方法を考えたのに」テレジアはむくれた。

「おやおや、生き物は大切にしなくてはいけませんよ。正体が分かったついでにもう一つ教えて欲しいのですが、通行証はどうやって調達したのですか?」

 二人は顔を見合わせて、話しても良いかお互いに確認した。

「テレジアです。誰かの落とし物を拾って、届け出る前に、そっくり同じものを作ったんです」

 アンドレアは破顔した。驚異的な才能と豪胆さを併せ持つ子供達。



 アーヴィッドとテレジアは――テレジアの妹ヨーゼファを差し置いて――まるで本当の兄妹であるかのようだった。彼らは優秀な成績を隠れ蓑に禁忌の研究に勤しんでいた。術式で編まれた道具を手に入れれば、器用に分解してその文法グランマールを分析する。天族語ラングドセレストの知識は同級生より頭一つ抜けていた。アンドレアは彼らに地族語エーアトシュプラッヒェによる術式もこっそり教授した。遠い昔に精霊から簒奪した知識である。二人はそれにのめり込んだ。

 二人の研究意欲はいっそ病的な程で、教育課程を修了した後もそれが衰える事はなかった。初めの内は中央セントラルの技術職であったが、何度となくセキュリティクリアランス違反を繰り返し、最終的には郊外バンリューより更に離れた集落での農業従事を命令された。監視役として、テレジアの妹であるヨーゼファも派遣された。アーヴィッドにはきょうだいゲシュヴィスターがおらず、両親はとうに死亡していた。

 彼らが双子をもうけたのは中央を去ってからの事であった。追放処分が決定しても、アンドレアはのんびり構えていた。と確信していた。ラボラスの分化生命体の持つ『玻璃の翼』という言葉を仄めかし、彼らがそれを餌に食いついてくるのは分かっていた。

 果たしてその通りになった。




 そちらはさぞお忙しいでしょう。こちらは手が空いていますから、どうぞ処罰はお任せください。三十二区の監督官は渡りに船と喜んで罪人を引き渡した。その中には勿論アーヴィッドとテレジア夫妻の名があった。

 執務室にて、アンドレアは椅子に座り、机を挟んだ向こうに二人が並んで立っていた。

「お久しぶりです、先生。お変わりないようで何より」アーヴィッドは罰を受ける罪人とは思えない程落ち着き払って一揖した。テレジアもそれに倣った。

「また会えると信じていましたよ、禁術の探求エクスプロールに憑りつかれた呪いの子。何か言い残す事はありますか?」

 二人は互いの手を握った。「いいえ」「何も」

「そうですか。心配は無用です、一撃で終わりますから」アンドレアの手にシュヴァリエの術式が組み上がる。元は無色であったそれは夥しい血が染みついて葡萄色に変色していた。術式は実際の刃物と違って、砥いだり磨いたりといった事が出来ないのである。

 アーヴィッドを先に狙った事に特に理由はない。ただ振り抜く上でそちらが狙い易かった、それだけ。




 長年の経験から、アンドレアは『反抗的な者程、その肉は滋味に富んだ味わいになる』という事を知っていた。それは長耳エルフにも当て嵌まる事も。故に彼は大いにかつての教え子を堪能した。

 一方をあらかた食べ終えて、彼は二人の手が繋がったままである事に気付いた。引き剥がそうと引っ張っても離れない。何となくそれを掲げてみて、夫婦の最後の願いを理解した。

「成程、これはなのですね!」組み合わさった手は大きさや皮膚の質感こそ違えど、リアの祈るような姿、その手元と同じだった。アンドレアは笑い声を上げながら二人の指をいっぺんに噛み砕いた。

「自分達はどうなっても構わない、と! やはり貴方達をこちらへ導いたのは正解だった! 実に興味深い! 私にはないものだ! いいでしょう、願いを聞き届けてあげましょう、『子供達への追跡聴取は不要』と連絡しておきましょう! 私にはそれが可能なのですから、貴方達の最期の願いを私だけが知っているのですから!」






 予定していた通りに口述筆機ディクテに吹き込み終わると、言葉の集積が塊となって完成していた。アンドレアはそれを満足気に眺めた。使った装置ディクテは机の端に押し遣った。

「さて、そろそろ良い頃合いでしょうかね」翼の揚力で机を飛び越え、そのまま部屋を出る。

「――収穫の時だ」薄い唇を舌で舐めた。

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