第32話 P子さんの頭の中の配線

 そして結局昨日いっぱい一緒に居たくせに、あのことを言い出せなかった。

 彼もまた、あえて聞こうとはして来なかった。彼がそういう人物であることは、彼女も良く判っていた。

 期待はしていない。自分が妊娠して、その子供の父親は彼に違いないのだけど、父親の役目をやってもらおう、とか考えたことはなかった。

 だいたいHISAKAに言われて、ようやく気付いたくらいなのだ。

 自分にできたなら、自分が育てるのだろうな、とぼんやりは考えていたし、ただそれが遠い未来ではなく、たまたま今この現在に起きただけなのだ、と考えてはいた。何故かその点については、性根が座っている自分に気付いていた。


 P子さんは何も「結婚」も「子供」も否定はしていない。

 PH7の他のメンバーと彼女がはっきり違うのはその点だった。

 職場カップルが見事に二組もできてしまっているこの女性ばかりのバンドは、彼女以外の皆、自分の未来図から「男」と「結婚」と「子供」を除外している。


 HISAKAは別段男を毛嫌いしている訳ではない。

 ただ、全ての物事を自分主導でやっていくことを望む傾向がある。

 そんな彼女を見ていいると、なまじな男では彼女の横に並ぶことすら難しいのではないか、とP子さんは思う。

 実際、昔には男とつきあっていたことがあるらしいが、想像がつかない。


 MAVOは。

 あまり良く判らない過去に原因があるのだろう。少女の武装を愛する彼女は、時々何かが引き金になって、「切れ」る。

 動揺し、混乱し、怒りが噴出し、言葉のつじつますら合わなくなる。

 胸を押さえ、呼吸困難に陥り、貧血すら起こしかねない彼女の様子に、パニック障害に近いのじゃないか、とマリコさんがぼそっと言ったことがあった。

 それがどういうことなのかP子さんには判らない。ただ、何かしらの強い傷跡がMAVOの中で、ほんの少しの衝撃でも血をだらだらと流すのだろう。


 TEARは男というものが基本的に嫌いだった。

 正確に言えば、「社会的な」男だ。

 「生物的な」それを彼女は特に嫌いな訳ではない。この日本で、今の社会で、現代において、確実に存在しているその形の無い何か、を彼女は反吐が出る程嫌いなのだ。

 そしてその「社会的な」男が支配するシステムが。

 その原因は、「生物的に」何処からどう見ても女性的なものそのものでしかない、彼女の身体にあった。

 システムに気付かなければ、ずいぶんと楽に生きていけるだろう、「ナイスバディ」というもの。それが「ナイス」だという価値観は何処から来るんだ、といきり立っていたこともある。

 そんな彼女である以上、恋愛の対象がそれ以外であるのは、どうしようもないことだった。

 恋愛の対象が女でしかないなら、「子供」は存在しない。

 無論この国のシステムの上では、「結婚」は無縁である。ただ、別に子供が嫌いと聞いたことはP子さんもなかった。


 FAVは――― 彼女は別に男が嫌いではない。

 おそらく、ある意味一番バンドの中で「真っ当な」指向をしているのかもしれない。

 ただ「子供」を自主的に無縁にしていた。

 自分の求める自分の姿、のために作り替えられた身体は、「子供」の可能性を否定する。

 それでいい、とFAVは言う。ただそれが本当の気持ちなのかどうなのか、P子さんには判らなかった。

 「だから」自分に好き好きと強烈にアピールするTEARを受け入れてしまったのか、それとも彼女自身を好きなのか、そのあたりもよく判らなかった。

 FAVは口が固い。それこそ生理で頭が飛んでいる時にふらふらと口走ってしまうことから予想することしかできない。


 そうやって考えてみると、自分が「結婚」だの「子供」だのを否定しないことがP子さんにはやや不思議にも感じられる。

 否定する理由が無いだけかもしれない。

 TEARのように、数え切れない程の理不尽な思いを味わったこともない。

 FAVのように、極端な身体を持っていた訳でもない。

 MAVOが一番近いのかもしれないが、結局自分で自分を守る方法、というのは人それぞれなのだ。


 MAVOのような傷跡も確かにある。ただP子さんは、それを乾いたかさぶたのまま、触らないように触らないようにしていた。

 MAVOのように、引き金になる言葉や物事を、入れないようにしているから、「切れ」ないだけなのだ、と。

 自分の「他人事」は自己防衛の一種だ、と彼女は気付いている。

 それが決して客観的には良いものではないことも、知ってはいる。

 だが、ずいぶんと長い間に作ってしまったその薄くて透明で強靱な壁は、そう簡単に壊せる訳ではない。そして彼女自身、積極的に壊そうとも思っていなかった。

 それで平和に過ごせるなら、それはそれでいい、と。それ以上が欲しくなったなら、自分の身体がその時には勝手に求めるだろう、と。

 自分の本当に考えていることなど判らない。そんな時彼女は自分の身体に聞くのだ。

 現実における物事は、身体が一番良く知っている。

 全てが「他人事」な彼女だったが、音楽――― ギターと、今隣で触れられる距離に居る彼は、彼女の数少ない現実だった。

 それだけは、ストレートに自分の中に入ってくるものだった。


 ああそう、そういうことが起こってるんですか。ああそうですか。


 口には出さなくても、そんな気持ちがいつも何処かにある。

 だから何を口にするのも怖くはない。

 それによって相手がどんな表情をしようが、どんなことが起ころうが、自分に降りかかろうが、それは大した問題ではないのだ。

 無論自分に降りかかったものごとが、何かしらの解決を求めるものだったとすれば、その対処はする。

 だからと言って、それが「自分にとって」どうであるか、ということはP子さんの中に響いてきたことは無かったのだ。


 他人事だったのだ。全てが。


 音楽は―――


 聞いているだけのうちは、やはり他人事だった。

 どんなに素晴らしいプレイをしていようが、浸みる歌詞のうたがあろうが、何処か遠くの街角で、ラジオのマイクロフォンを、電波を通して、DJの声やノイズ混じりに流れているもののように感じていた。

 ただ、ギターを弾くようになってから、それは自分と直接つながるようになった。今まで聞いてただけの曲を、自分で弾けるのだったら。


 その時、「何処かで聞こえてた」曲がようやく耳が頭にそのまま伝わるようになった気がした。


 それまで、そこで生きてるのかどうかすらはっきりしなかった世界が、「つながった」気がした。


 そして人も。


 たまたま、DBだったから。


 この何処か曖昧な存在以外だったら、その可能性はなかっただろう。

 いくら道ばたに倒れていたとしても、大の男だったら、近場の警察に届けておしまい、だったかもしれない。

 言ってしまえば、彼はきっと「父親」の役をするのではないか、という気もしていた。

 確信はない。何となくである。

 おそらく、言えば言ったで、この隣に眠る相手は、案外現実的にいい方向に回っていくような気がしなくはない。

 その「いい」がどういうものなのか、具体的には判らない。やはりそれは、「何となく」に過ぎない。

 どうしよう、とP子さんはずっと思っていた。


 それが迷いなんだ、ということを彼女は気付いていない。

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