第3話 憂鬱なるマンスリーデイ。

 三ヶ月前のことだ。


「ねえねえP子さん今日ひま?」


 ぽんぽんぽんぽん、とFAVがボンゴボンゴの要領で肩を両手ではたいた。何ですかアナタ、と振り向くと、大きな目が何かたくらんでいる様な色をたたえていた。


「ヒマはヒマですがね」

「じゃあ呑みに行こうよ。今日はさあ、LUXURY《ラクシャリ》の連中とかも来るとか言ったし、ついでにLUCKYSTAR《ラッキイスタア》の連中にも声掛けたらさあ、行く行くって言ってたし」


 と言うことは、そいつら後輩バンドにその周辺を加えて…… P子さんは無意識に計算する。また大所帯である。


「アナタねえ、そんな大所帯だったら、別にワタシを誘うこたないでしょうに」

「何よ、あたしの酒は飲めないって訳?」

「そんなことは言ってないじゃないですか」

「だったら決まり。行こう行こう」


 ひょい、と顔を上げると、向こう側のテーブルの方でTEARがぱさぱさとファンレターを眺めていた。何やらずいぶん長そうな手紙に目を通している。

 だがそのスピードが妙に早い。はあん、とP子さんは内心うなづく。またかいな。

 この二人には時々そんなことがある。一緒に暮らしているせいもあるのかもしれない、とP子さんは思う。普段は見ていられない程に仲が良かったりするのに、それでも時々こんなことが起こるのだ。

 大概はFAVの方が一方的に怒って、それを後でTEARがなだめに行く、という構図で終わる。TEARはFAVより二つ三つ年下のはずなのだが、こういったことが起きた時には、落ち着いているのはいつも彼女の方だった。

 何かしらあったのだろう。ただそれが犬も食わない類のものだったら、自分の口を出すべき領域ではない。

 ただ、苛立っているFAVを余計に苛立たせるのはやはりメンバーとしてはよろしくない。

 はいはい、とP子さんはほとんど自分を引きずりかねない細い手に、はいはい、と付いていった。



 途中の道で後輩バンドのLUXURYやLUCKYSTARの連中が合流していく。行き先は安上がりに呑めて食える居酒屋だった。まだ皆大した収入がある訳ではない。

 それでも一応「事務所」に所属していて、メジャーデビュー間近で、「月給」が出るFAVやP子さんはいい。後輩バンドなぞ、バイトバイトでしのいでいる状況だ。できるだけ出費は控えたい、というのは誰の中にもあるだろう。

 だがそれでもやってきてしまうあたりが、このギタリストの人望ということか。


 ステージの上のFAVは「魔女」と呼ばれることが多い。

 プラチナブロンドの長い髪を、毎度毎度好きな様に立てたり編んだり結ったりする。

 その上そこに、これでもかとばかりに布を巻き、ビーズを散らす。きらきらきらきらとそれは彼女が跳ねるたび回るたびにステージライトを反射してきらめいた。

 顔には大きな目を強調するようなメイク。実際写真など撮られる時にも、カメラを見据える彼女の視線は強烈だった。

 カラフルでエスニックな衣装を何の法則も無しに着こなしてステージを飛び跳ねる彼女は、他の誰にも真似できない様な雰囲気が漂っていた。


 だけどこーやって見てると、ただのロックねーちゃんかもなあ。


 ワインカラーの色の髪の、LUXURYのカヤと肩を組んで歩いている相方ギタリストの背中を見ながら、P子さんは内心つぶやいた。

 プラチナブロンドは大人しく後ろで一つに編まれているし、その上にはちょこんと帽子が乗っかっている。メイクもほとんどしていないから、言われなければ「PH7《ペーハーセブン》」のFAVだ、なんてそうそう気付かれないだろう。

 もっとも、強烈なファン、という奴は別だ、と彼女も判っている。

 「追っかけ」を自称するようなファンは、「オフ版」のFAVの姿もリサーチ済みだったりするのだ。

 実際、大柄で、そんな格好の女が十人以上集団で闊歩していれば、結局は目立つのだ。


 そしてその目立つ集団は居酒屋でしばらく呑んでいたのだが。


「はれ、FAVさんどうしました?」


 彼女を敬愛するLUXURYのKT《ケーティ》が不意にその低い声で問いかけた。何だろ、と思ってLUCKYSTARのヴォーカルの桜野サクラノとP子さんは同時に振り向いた。おんや、と声が出た。


「どうしたんですかアナタ」


 同僚ギタリストは、KTの膝にごろん、と横になっていた。


「ど、どうしたものでしょうかP子さん~」


 TEARと同じくらいの大柄なKTは、明らかにこの事態に動揺していた。

 はあん、とP子さんはFAVの様子を観察する。右手で額と目を押さえ、左手で下腹部を押さえている。


 そう言えば何で今日はTEARとぶつかってたんだっけ?


 一つ一つの物事がようやくそこで結びつく。


「KTアナタ、鎮痛剤持ってますか?」

「鎮痛剤? や、あたしは」

「あ、あたし持ってますよー」


 LUXURYのKAYA《カヤ》がひょい、と手を挙げる。やっぱり、とP子さんは苦笑いをする。持っていそうな奴は持っているし、持ってなさそうな奴はやっぱり持っていないのだ。


「ってことは」

「ですね」


 露骨な言葉は使わない。ローディの中には男も居るのだ。別にそのくらい気心知れてるしいいじゃないか、と言う者もあるかもしれないが、それはP子さんの口には出さないポリシイだった。

 だいたいFAVという人は、生理に何かと体調も気分も左右されるほうだった。それはもう気の毒としか言いようが無いものである。

 予定はくるくる狂うし、月によっては無い時もあるし、なのにある時には、やって来る気配があると神経がとんがるし、来てしまうと、動けなくなるほどのダメージがあるのだ。

 周囲に居るだけのP子さんがこれだけ把握できるくらいなのだから、一緒に住んでるTEARなぞ、ずいぶんとその弊害は被っているはずである。慣れている、と言えばそれまでだが。


「噂には聞いてましたけど、ほんっとうにひどいんですねえ」


 FAVに負けず劣らずの大きな目と、何処か外国の血が混じってるんじゃないか、と思わせる程の派手な顔立ちをしたKAYAは感心したように言う。


「アナタは見たことなかったんだ」

「そりゃあまあ。あたしはただの後輩ですので」

「ワタシだってただの同僚ですよ。でもアナタも鎮痛剤持ってるってことは、ひどいほうですかね?」

「まあ結構。ただ『前』のイライラとかは無いですけど…そっちはどっちかというと、あれですね。うちのIMAちゃんのほうがひどいですかね。ああもう、そういう時になるとウチは大変で」

「へえ」

「で、嫌んなることに、ウチの残りの三人はそういうのが丸っきり無いんですよ!! 腹立つと思いませんー?」


 どん。ジョッキの中身が大きく揺れて跳ねた。

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