第3話 憂鬱なるマンスリーデイ。
三ヶ月前のことだ。
「ねえねえP子さん今日ひま?」
ぽんぽんぽんぽん、とFAVがボンゴボンゴの要領で肩を両手ではたいた。何ですかアナタ、と振り向くと、大きな目が何かたくらんでいる様な色をたたえていた。
「ヒマはヒマですがね」
「じゃあ呑みに行こうよ。今日はさあ、LUXURY《ラクシャリ》の連中とかも来るとか言ったし、ついでにLUCKYSTAR《ラッキイスタア》の連中にも声掛けたらさあ、行く行くって言ってたし」
と言うことは、そいつら後輩バンドにその周辺を加えて…… P子さんは無意識に計算する。また大所帯である。
「アナタねえ、そんな大所帯だったら、別にワタシを誘うこたないでしょうに」
「何よ、あたしの酒は飲めないって訳?」
「そんなことは言ってないじゃないですか」
「だったら決まり。行こう行こう」
ひょい、と顔を上げると、向こう側のテーブルの方でTEARがぱさぱさとファンレターを眺めていた。何やらずいぶん長そうな手紙に目を通している。
だがそのスピードが妙に早い。はあん、とP子さんは内心うなづく。またかいな。
この二人には時々そんなことがある。一緒に暮らしているせいもあるのかもしれない、とP子さんは思う。普段は見ていられない程に仲が良かったりするのに、それでも時々こんなことが起こるのだ。
大概はFAVの方が一方的に怒って、それを後でTEARがなだめに行く、という構図で終わる。TEARはFAVより二つ三つ年下のはずなのだが、こういったことが起きた時には、落ち着いているのはいつも彼女の方だった。
何かしらあったのだろう。ただそれが犬も食わない類のものだったら、自分の口を出すべき領域ではない。
ただ、苛立っているFAVを余計に苛立たせるのはやはりメンバーとしてはよろしくない。
はいはい、とP子さんはほとんど自分を引きずりかねない細い手に、はいはい、と付いていった。
*
途中の道で後輩バンドのLUXURYやLUCKYSTARの連中が合流していく。行き先は安上がりに呑めて食える居酒屋だった。まだ皆大した収入がある訳ではない。
それでも一応「事務所」に所属していて、メジャーデビュー間近で、「月給」が出るFAVやP子さんはいい。後輩バンドなぞ、バイトバイトでしのいでいる状況だ。できるだけ出費は控えたい、というのは誰の中にもあるだろう。
だがそれでもやってきてしまうあたりが、このギタリストの人望ということか。
ステージの上のFAVは「魔女」と呼ばれることが多い。
プラチナブロンドの長い髪を、毎度毎度好きな様に立てたり編んだり結ったりする。
その上そこに、これでもかとばかりに布を巻き、ビーズを散らす。きらきらきらきらとそれは彼女が跳ねるたび回るたびにステージライトを反射してきらめいた。
顔には大きな目を強調するようなメイク。実際写真など撮られる時にも、カメラを見据える彼女の視線は強烈だった。
カラフルでエスニックな衣装を何の法則も無しに着こなしてステージを飛び跳ねる彼女は、他の誰にも真似できない様な雰囲気が漂っていた。
だけどこーやって見てると、ただのロックねーちゃんかもなあ。
ワインカラーの色の髪の、LUXURYのカヤと肩を組んで歩いている相方ギタリストの背中を見ながら、P子さんは内心つぶやいた。
プラチナブロンドは大人しく後ろで一つに編まれているし、その上にはちょこんと帽子が乗っかっている。メイクもほとんどしていないから、言われなければ「PH7《ペーハーセブン》」のFAVだ、なんてそうそう気付かれないだろう。
もっとも、強烈なファン、という奴は別だ、と彼女も判っている。
「追っかけ」を自称するようなファンは、「オフ版」のFAVの姿もリサーチ済みだったりするのだ。
実際、大柄で、そんな格好の女が十人以上集団で闊歩していれば、結局は目立つのだ。
そしてその目立つ集団は居酒屋でしばらく呑んでいたのだが。
「はれ、FAVさんどうしました?」
彼女を敬愛するLUXURYのKT《ケーティ》が不意にその低い声で問いかけた。何だろ、と思ってLUCKYSTARのヴォーカルの
「どうしたんですかアナタ」
同僚ギタリストは、KTの膝にごろん、と横になっていた。
「ど、どうしたものでしょうかP子さん~」
TEARと同じくらいの大柄なKTは、明らかにこの事態に動揺していた。
はあん、とP子さんはFAVの様子を観察する。右手で額と目を押さえ、左手で下腹部を押さえている。
そう言えば何で今日はTEARとぶつかってたんだっけ?
一つ一つの物事がようやくそこで結びつく。
「KTアナタ、鎮痛剤持ってますか?」
「鎮痛剤? や、あたしは」
「あ、あたし持ってますよー」
LUXURYのKAYA《カヤ》がひょい、と手を挙げる。やっぱり、とP子さんは苦笑いをする。持っていそうな奴は持っているし、持ってなさそうな奴はやっぱり持っていないのだ。
「ってことは」
「ですね」
露骨な言葉は使わない。ローディの中には男も居るのだ。別にそのくらい気心知れてるしいいじゃないか、と言う者もあるかもしれないが、それはP子さんの口には出さないポリシイだった。
だいたいFAVという人は、生理に何かと体調も気分も左右されるほうだった。それはもう気の毒としか言いようが無いものである。
予定はくるくる狂うし、月によっては無い時もあるし、なのにある時には、やって来る気配があると神経がとんがるし、来てしまうと、動けなくなるほどのダメージがあるのだ。
周囲に居るだけのP子さんがこれだけ把握できるくらいなのだから、一緒に住んでるTEARなぞ、ずいぶんとその弊害は被っているはずである。慣れている、と言えばそれまでだが。
「噂には聞いてましたけど、ほんっとうにひどいんですねえ」
FAVに負けず劣らずの大きな目と、何処か外国の血が混じってるんじゃないか、と思わせる程の派手な顔立ちをしたKAYAは感心したように言う。
「アナタは見たことなかったんだ」
「そりゃあまあ。あたしはただの後輩ですので」
「ワタシだってただの同僚ですよ。でもアナタも鎮痛剤持ってるってことは、ひどいほうですかね?」
「まあ結構。ただ『前』のイライラとかは無いですけど…そっちはどっちかというと、あれですね。うちのIMAちゃんのほうがひどいですかね。ああもう、そういう時になるとウチは大変で」
「へえ」
「で、嫌んなることに、ウチの残りの三人はそういうのが丸っきり無いんですよ!! 腹立つと思いませんー?」
どん。ジョッキの中身が大きく揺れて跳ねた。
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