第908話 破滅の奇跡

「ではあの時のサフィナの正体は女神イリミ……?」

「おそらくは」


女神イリミもまた代替わりした女神である。

森の神ヴサークと森の女神イリミ。

これらは同一神の二側面と語られているけれど、かつての森の神に女神の側面はなかったという。

つまり当代の神になってから女神の側面が発生したと推察できるのだ。


当代の女神イリミはかつて人型生物フェインミューブであり、そしてほぼ確実にエルフ族の誰かだったと考えられる。

太陽神エミュアと異なりかつてエルフ族だった頃の伝説などは今に残っていないけれど、イエタの話の内容からすると太陽神がかつてまだ人間族ファネムだった頃の知己である可能性が高い。


などと色々考えた末、キャスはイエタにその質問をぶつけることにした。


「では女神が憑依した…もといサフィナは一体何者だ。イエタにはわかっているのだろう?」

「確証はないですが…」

「構わん、行ってくれ」


姉嫁に己の考えが読まれたと知ったイエタは、観念して口を開く。


「これは聖職者の間の秘密のようなお話ですので、あまり他言しないでいただきたいのですが…」


小声で、周囲に聞こえぬようにイエタが静かにそう告げて、キャスが無言で頷いた。


「神々が代替わりするのはご存じですよね」

「当然だ」

「そして次代の神は大抵の場合初代の神が自ら生み出した人型生物フェインミューブが担います」

「そうだろうな。そのための似姿なのだろうし」


人型生物フェインミューブは神の似姿として生み出された存在である。

見た目だけは人の姿に似ている巨人族ズームスなどとはそこが決定的に異なる。


神の似姿ゆえにただ活力を伴ってその場に留まるだけで瘴気を浄化できるのだし、瘴気を浴びせて魔物…いや魔人にするためには冒涜的な手順を用いてその神の加護を剥がしてやらねばならぬ、

神の聖なる属性を一部受け継いでいるためだ。


神々は信仰を糧にその力を得るため自らを信仰する存在を生み出した。

神聖魔術の説明の際に触れたと思うが神を信仰するということは神の性質に近づくということとほぼ同義である。

つまり神の信者は神聖魔術に目覚めより高位の奇跡を唱えられるようになる程、その精神性が信仰している神聖に近づいてゆくのだ。


これをより効果的に推し進めたのが教会による資質のある者の囲い込みと彼らの教導である。

教会の中で信仰と修行をする事でより信仰心を高め、より神へと近づくよう教え導くわけだ。


「ただ……神はわたくしたちに比べ遥かに高次の存在ではあっても決して絶対ではありません。同格の他の神々と争ったり、一般に邪神と呼ばれる者達によって呪われたり、傷ついたり、権能を奪われたり……そして滅ぼされたりすることも決してないことではないのです」

「……それは、神話でも記されている事だな」

「はい」


神話に於いて戦の神が他の神に敗れその相手がのちに勝利の神として信仰されるようになるとか、太陽神が閉じ込められてしばらく世界が闇に染まったとか、そういう伝承が語られることがある。

これは実際には神々の『権能ポートフォリオ』と呼ばれる力の奪い合いを表している。


権能ポートフォリオ』とは神々がこの世界を支えるため司っているこの世界そのものを構成する『要素』である。

『太陽』『月』といった天体。

『火』『雷』『氷』といった元素。

『森』『砂漠』『海』といった地形。

『愛』『憎悪』『悲嘆』といった感情。

『栄光』『死』『戦争』『勝利』といった概念。


などなど、神々はそれらのものをひとつ、或いは複数保有し、司ることでこの世界を維持管理しているのだ、


戦の神に勝利した神は、彼から『勝利』の権能を奪い取って己のものとしたのだろう。

太陽神がその光を失った時は、その神が保有していた『太陽』や『光』といった権能が奪われたり封じられたりしていたのではないかと推測できる。

これが地上世界に於いては日食と呼ばれる現象になるわけだ。


つまり神は力を奪われることもあるし、端的に言えば権能を総て奪われてしまえば神たる資格を失ってしまう。

権能によっては他の神を傷つけたり滅ぼしたりすることだって可能だ。


多神教に於いて神は複数いるのが当たり前だし、そのうちの一柱二柱が滅んだところで大した問題にはならぬ。


だがこの世界に於いては些か事情が異なる。

なぜなら人型生物フェインミューブは基本己を生み出した神を信仰するものだからだ。

その親とも太祖とも言える己の種の主神を、どうあっても失うわけにはゆかないのである。


「ですから……わたくしたち聖職者は、そんな不測の事態が起きた時の為に、

「!!」


そう、神は絶対ではない。

神の似姿として生み出された人型生物フェインミューブたちは己の生みの親を決して失いたくない。

そして……極限までその信仰と精神性を神に寄せた者は、神の後継となり得る。


となると、定命の者…そのうちでも神々のそうしたを知っている聖職者などがこう考えてもなんらおかしくはない。



『己の神に不測の事態が起きた時に備えて、神の後継者をあらかじめ育てておけばよいのでは?』と。



「おそらくですが…エルフ族は各地の世界樹ンクグシレムごとにそうした後継を代々育成してきたのでしょう。サフィナちゃんはその一人かと」

「『深緑の巫女ギスク・キャスィパスリィ』とはつまりそういうことか……なるほどな。それは確かにサフィナの故郷のエルフ達が激高するわけだ」


なにせ神の後継として育てられてきた秘蔵の娘が誘拐されて、やっと帰って来たと思ったらオーク族の嫁になっていたのである。

国宝と引き換えでなくば敵認定され戦争を仕掛けられてもおかしくはなかった。

まさに竜宝外交がこの街の命脈を繋いだと言っていいだろう。


「では先ほどの術は女神を己の内に招来する呪文、ということか?」

「おそらくは。ただだとすると少々が」

「問題……?」


イエタがそういう言い方をするのは珍しく、キャスが目を細める。


「どんな問題だ」

はおそらく神に危機が陥った時に己の内に呼び込むことでお救いする聖跡呪文テグロゥ・トゥヴォールです」

聖跡呪文テグロゥ・トゥヴォール? 聖杯もなしに唱えられるものなのか」

「はい。

「!!」


魔力が膨大過ぎて唱えるために聖杯とそこに注ぐ大量の魔力が必要な聖跡呪文テグロゥ・トゥヴォール

もし必要な魔力が足りなければ術者の魔力を根こそぎ、それでも足りなくば術者の余命を奪い魔力の代わりとする。

イエタ自身が魔族どもとの戦の際に行ったことだ。


逆に言えば喩え聖杯がなかろうと、己の余命全てを犠牲すれば唱えられる聖跡呪文テグロゥ・トゥヴォールも存在する、ということになる。


「サフィナはそんな破滅的な事をしていたのか?!」

「はい。というかのです」

「何が問題ないだ。問題しかないではないか!」


キャスの言葉に、イエタは静かにかぶりを振って応えた。


「繰り返しますが問題ないのです。なぜなら神が如き高次存在を己の内に宿して無事な者などおりません。次元の異なる精神と思考に耐えられず、また魂の格が違い過ぎてこれも耐え切れず、術者を構成している肉体以外の内なる全てが破壊されます。唱えた時点で本人の破滅は決まっているのです」

「…………………………ッ!!」

「ですから……



ぞわり。

キャスの背筋が総毛だった。



それは後継でも何でもない。

単に先代の神の器ではないか。


「それは……ッ!」


それは、なんという残酷だろう。

なんという惨い仕打ちだろうか。


「…キャス姉様が仰りたいことはわかります。本来であれば神の後継となる資質を十分備えた上で、神が代替わりの意向を示した際に唱えることで神からその権能を授かるための呪文のはずなのですが、大抵の場合そこまで至ることはなく、唱えれば一時的に神の御力を借りることができる代わりに術者が死ぬ、そうした呪文として扱われます」


キャスは憮然として黙り込み、腕組みをして眉根をひそめた。

なんとも嫌な、けれど恐らく正しいであろうある事実に思い至ったからだ。







「……なるほど。少しわかってきた。五十年前にあった魔族との十年戦争サム・ウォルツェルでも使われたのだな、その呪文が」







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