第901話 がんばれ

魔族が集団で≪瘴気爆発≫を行う……

言ってみれば集団自殺である。


本来そんなことはまず起こり得ない。

なぜなら魔族は瘴気の外では殊更慎重になる。

瘴気地の外で死ねば復活の芽がほぼないからだ。


ゆえに軍隊として戦っていても形勢が不利になればすぐに撤退する。

恥も外聞もありはしない。

名誉の戦死などと言う概念は彼らには存在しないからだ。


けれど……とキャスは沈思する。

考えてみれば今回の襲撃はそこがまずおかしかった。


確かに魔族どもは知的に、そして戦略的に戦ってはいた。

組織的に戦いつつも負傷すれば仲間を、或いは下位の階級の者を盾にしながら高速の治癒能力で怪我を治していたし、空戦の利を存分に利用しこちらの重要戦力を分散させていたし、そもそも本来であれば大半が姿を消しているか人に化けた状態で開戦し不意打ちや情報戦で圧倒的に有利に立ち回ってこちらを蹂躙する予定だったはずだ。


そういう意味ではこの街でも彼らは賢く、そして存分に策を巡らせ戦っていた。

実に魔族らしい戦いぶりである。


けれどこの街の抵抗も十分に強かったはずだ。

実際少なくない魔族がこの街の新兵器やオーク族の攻撃力の前に倒れているのを見た。



キャスはそう考える。

退のが魔族流ではなかったか。



もし……仮に。

仮に彼らにはこの街でどうしても為さなければならぬことがあって、魔族でありながら撤退という選択肢が選べないのだとしたら。

選ぶ事ができないのだとしたら。


これまで人類が一度も見たことがない、が発生し得る、ということになる。


巡る。

巡る。

思考が巡る。


キャスはそこまでほぼ瞬時にで辿り着き、そこからさらにある剣呑な事実に気づく。


このままでは、まずい。

一刻も早く皆に伝えなければ。

時間がない。


街の拡声器を一斉稼働させる?

だがそのためには城に行かなければ。


ここからでは距離があり過ぎる。

絶対に間に合わない。


どうにかしたいなら魔術でなんとかするしかない。

けれど、今はもう魔力が……!



「どうしたんですかキャスさん! しっかり! なにかしたいことがあるんですか?! 手伝えることはありますか!? まだ動けますか!? !?」

「…………………………ッ!!」


ぶわ、と疲労が消し飛んだ。

ミエの声と共に、足の震えが収まった。


いや、それどころか。

それどころかそのままあとひとっ走りできる程度には力が漲ってゆく。


動ける。

歩ける。

駆け出せる。


腕の力だけで跳ね上がって不安定な体勢のまま教会の外へと駆け出したキャスは……背後のミエに叫んだ。


「ミエ姉様! !!」

「ふぇっ!? え、えーっと、えっと、その、あの、剣さん剣さん! いっつもキャスさんのお手伝いお疲れ様です! 今後とも一緒に頑張ってくださいね!」



突然キャスの手にした愛剣から凄まじい風が溢れた。

手に持っているだけで風圧が頬にかかる。


「なんですかそれー!?」

「いや本当にすごいな!?」


応援した側もされた側も互いに驚愕しつつ、けれどキャスの足は止まらない。


やれるかクラブ ゥグ オウン イィット!?」


精霊語で語り掛ける。

ずっとそばにいて支え続けてくれたその風の精霊に。

専門の精霊使いだったなら、もっと早くに気づけたのだろうか。


彼女の手にした愛剣から巻き起こる風が一層強くなり、あまりの風圧に近づいただけで跳ね飛ばされそうだ。

キャスは教会を飛び出すと、未だ魔族どもと戦っているオーク達の前、教会に入る階段の中ほどで急停止すると剣を天に向け突き上げた。


街中にィゥク アプク サフゥ ッミ!!」


朗々と。

大音声で。


我が! 声をアチューフ ニギャー!!」


叫ぶが如く。

精霊語で。


ただそれは精霊語ではあっても精霊魔術の詠唱ではない。

精霊への呼びかけであり、語り掛けである。


自然の流れ以外の行為をする事を厭う精霊たちに頼んでも、本来であれば拒絶されるはずの指示。

そうならぬために精霊呪文の詠唱はあるのだ。

けれど今のキャスと彼女が手にした剣に宿った風の精霊は、共に同じことを考えていた。



……精霊魔術が、元来そうであったはずの姿である。



頭上に掲げた剣から風が巻き起こり、竜巻のように上に向かう。

その風の渦はキャスの直上では小さく、上に行くほどその半径が大きくなっていた。

またその広がりからも一定ではなく、上に行けば行くほどより広くなっているようだ。


そしてその一番上部から、さらに小さな風の渦が八方向に生え、街の各所に向けられる。


それは彼女の剣の力ではない。

どうも街の上空を待っていた風の精霊たちが集まって来て手伝ってくれているらしい。

移り気で好奇心旺盛な風の精霊ならではの所作と言えるだろう。


このあたりの不安定さと不確定さが魔導術に比して精霊魔術が厭われる理由であり、また逆に一部に好まれる理由でもある。


「ハハ、こんなこともあるのだな」


軽く微笑んだキャスは、だが次の瞬間キリとその表情を改めて大喝した。




「全員魔族から離れろッ!!! 全・速・力!!!!」




短く、だが確実に。

伝えるべきことをあらん限りの声で叫ぶ。

彼女の声は一瞬にして街中に広がっていった。


この街には拡声器が各所に備えられていて、居館からなら誰でも簡単に街中に声を届けることができる。

けれどかつてそれは精霊使い達の仕事であった。

きっとこれまでも、こうした伝令が使われてきたのだろう。



×        ×        ×



「ミエ様! ミエ様! ミエ様! え? なんだこれ!?」

「ミエ様! ミエ様! ミエ様! うおうっせえ!?」


ミエの名を連呼しながら魔族どもと戦っていた衛兵ライネスとレオナル。

手にしているのはリーパグが届けた赤竜素材の魔法の剣である。


少し前まで劣勢そして窮地へと立たされていた二人は、だがミエの名で魔族達が怯えると知ってからは有利に立ち回れるようになっていた。

まあ己の名を連呼されるミエにとってはたまったものではにだろうが。


そこに突然背後からとんでもない大声が響いてきた。

あまりの声の大きさにその場にいた者が全員びくりと身を竦ませたほどだ。


「隊長の声!?」

「ソウダナ」


城壁の上、衛兵隊長エモニモと大隊長ラオクィクが背中合わせで魔族どもと戦いながらその声を聞く。

二人は素早く周囲を見渡した。


現在魔族達はラオクィクとエモニモを囲うようにして戦っている。

この二人が一番手強いから数で押しているのだ。

オーク兵も衛兵達も皆魔族の囲いの外にいる。

ゆえに皆キャスからの指示に従えそうだ。



城壁の上。

周囲には魔族ども。

逃げ場がない。


だがキャスの叫びはあまりに力強かった、そして痛切だった。

それだけははっきりとわかる。


ラオは素早く背後を振り返る。

同じように振り向いたエモニモと目が合った。

その瞳には一切の迷いがない。


喩え死ぬような目に遭ったとしても、この場に留まってはいけない。

彼女の瞳はそう訴えていた。


ラオクィクも無論キャスを尊敬しているし信じてもいる。

けれどそれは彼女の指示がいつも的確で正しくまた戦果が挙げられるからであって、盲目的に信じているわけではない。


だがエモニモには確信がある。

隊長(隊長ではない)がこんな風に下す命令なら、喩え命がけでも従うべきだと。


そしてラオクィクは……エモニモなら間違いなく信頼できた。


「ワカッタ」

「きゃっ!?」


言うが早いかラオクィクは武器を放り捨てエモニモを抱きかかえると、そのまま城壁の外へと飛び降りる。

そしてやけに甲高く少女のような声を出した小柄な妻を強く抱きかかえたまま真っ逆さまに落ちてゆく。


直後、二人の頭上で爆発が起きた。

漆黒の破滅……≪瘴気爆発≫である。

そしてそれは他の魔族を巻き込み、次々に連鎖的に爆発してゆく。


キャスが恐れたのはこれだった。

通常であれば逃げ場がない単体の魔族が行う自爆攻撃だが、これまでこれほどの規模の魔族侵攻でそれが一斉に為された例はない。

その際発生する不測の大惨事こそ、彼女が最大限に警戒したものだった。


その凄まじい爆発の余波が頭上から、そして壁の向こうから響く。

魔族どもが次々に爆破し、破裂して、周囲の魔族を巻き込んで巨大な漆黒の渦を生み出していった。






街中に悲鳴が巻き起こる中……

ラオクィクとエモニモは、互いに強く抱き合いながら城壁の外の堀へと落ちていった。






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