第895話 大皇妃
魔族達にはミエの思考が読み取れず、彼女の真意を測る事ができぬ。
確かにミエのアイデアには相手を驚嘆させ、畏怖せしめるものもあった。
けれど彼女は相手を傷つけるための意見を述べた事は一度もない。
かの赤竜イクスク・ヴェクヲクスを討伐すべく協議していた時ですらそうだった。
家族を守り、仲間を援け、街を救わんがための意見を出すことはあっても、赤竜をいかに倒すかの意見で彼女が役に立ったことはない。
竜宝外交などはまさにその典型である。
確かに彼女の提出した案にはオーク族との交渉を嫌う各国を呼び寄せる力がたったろう。
オーク族の負の遺産をクラスク市が返還せんとする、といった意味合いもあっただろう。
だがそれらは全て後付けた。
少しでも己の利得を求めるならば、竜の財宝をタダで相手に渡すなどという選択肢は決してあり得ない。
つまり彼女のアイデア、思考の根源には常に『善意』や『利他』『共存』といった感覚が根ざしている。
それらが街の施策として為された時、魔族どもの歪んだ、悪意と欲得に特化して発達した知性では理解できぬのだ。
けれどそれだけなら問題はなかった。
ミエが理解のできぬ、そういう存在であると切り捨てて、それ以外の部分で彼女を追い詰めればよかったのだ。
だが……魔族達の過ちは、彼らがミエを『欲望も野心もあるしたたかな人物である』と誤解してしまった事だ。
野望があるから前に進める。
野心があるから向上心を持てる。
前述した通り、欲望や願望は言ってみれば人の推進力だ。
それがない者は他者を蹴落としてまで上に立とうとは思わない。
仮に世襲制で親から与えられた地位にそうした性質の人物が収まったとしても、そうした者は今度は長くそれを維持する事ができぬ。
瞬く間に実権を奪われ傀儡とされ、或いは謀殺されてしまうだろう。
権力とは、そして権謀術数とはそういうものだ。
この地のオーク族は長らく襲撃や略奪や狩猟によって生活を営んできた。
それが急に森からのこのこ出てきてさあ村を作ろう! というのは明らかにおかしな話である。
彼等の知能を考えればなんらかの外からの入れ知恵があったと考えるのが自然だろう。
どうやらそのオーク族は最近族長が代替わりしたようだ。
強大で他の
とするとなんらかの策を弄したのではなかろうか。
そう考えると……自然と浮かび上がってくる。
新たなオーク族族長の愛人の座に収まった女の暗躍が。
彼女の知恵と献策でオークどもは森から出て村を作り、村を砦に作り替え、やがて街と為し、さらに肥大化させあれよあれよと大都市にまで発展させてのけた。
そしてその女自身が村長夫人から市長夫人、さらには太守夫人にまで上り詰めたのである。
こんな女が野望や野心を備えていないはずがないではないか。
その娘が単なるお飾りであるという考えは魔族には一切なかった。
なぜなら彼らはクラスク市の築城を目の当たりにしているからだ。
土を泥に替え、泥を石に替える魔術によって石を削り出す手間を省き短期間で大量に石材を生み出す智謀。
その石材を運び出した後の凹みに水を流し川にする合理性。
そしてそれを利用し用水として畑に水を通し、水路として船便に使い、堀として防衛に役立ててる応用力。
さらには水の流れを変えて沼地を干上がらせ肥沃な開拓地へと変え、地底へ流れる川の水を減らすことで地下を水不足に陥らせた貪欲さと苛烈さ。
あれがなければ地底軍はもっと長く地上に留まれたはずなのに。
広大な平地に地面の僅かな傾斜を利用して河川を作る。
それも土の運び出しから跡地の利用法まで一切の無駄なく。
これを魔導師でもない娘が思いつき実現させてしまったのはとんでもない知略に相違なく、結果
さらに街の発展速度もまた魔族達の想像を超えていた。
彼らが当初自分達で計画していた都市づくりよりさらに速い速度で大都市へと発展させてのけたのだ。
これもまた魔族どもの瞠目に値するものだった。
……まあこの点に関しては魔族達が街づくりをした場合ゴブリンの襲撃やら魔物の襲来やらを自ら演出し村の者を追い詰め苦しめて、負の感情を絞り出しながらの街造りとなっていたはずなので発展の速度はそこまで重視していなかったのだけれど、だとしてもである。
これらを為してのけたがミエである。
魔族どもから高い知性を有する個体だと認識されるのに十分な実績を備えていたのだ。
そう、困ったことにミエはお人よしで根っからの善人ではあったけれど、同時に頭
が廻って現代知識も備えていた。
ろくに外出できず、ベッドの上で本ばかり読んでいた彼女は無駄に知識だけは蓄えていたからである。
それがゆえに魔族どもはますます誤解する。
野心と野望を備えた知恵の回る策士が力のあるオークに取り入ったに相違ないと。
そうして……竜宝外交が始まった。
それを知った時、魔族どもは仰天した。
なにせ国宝を無償で返却しようという外交施策である。
彼等からすれば信じられない行為であった。
金貨を汚水に捨てるようなものではないか。
なによりミエという女の人物像(※誤解)に合致せぬ。
つまり……この計画には裏がある。
無償で国宝を渡すと油断させておいて、それ以上の利益を彼女は得るつもりに相違ない。
魔族達はそう判断した。
そう判断せざるを得なかったのだ。
彼等は考える。
考えに考える。
だがすぐに行き詰ってしまう。
そんな計画が上手くゆくはずがない。
破綻していると。
…当たり前である。
実際そんな計画は欠片も存在していないのだから。
だが魔族達は諦めない。
その高い知性の限りを尽くしてミエの策謀を予測し、構築してゆく。
人類が選択し得る限りの邪悪さと。
人類が
人類が後代に語り継ぐほどの過酷さと苛烈さと。
ミエが高い知性に加えてそれらのものを全て合わせ持っていると仮定する事で、どうにかこうにか彼女の計画の全貌が明らかにする事ができた。
魔族達の予測するその計画が実現した場合……
十年後、この地方は統一されていた。
あらゆる国がその国にひれ伏して、一大帝国が誕生していた。
そして……そこに皇女として君臨していたのがミエである。
なにを馬鹿な、と思うかもしれない。
けれど魔族どもの価値観で逆算すればこの答えには比較的簡単にたどり着くことができるはずだ。
ミエには野心があって非常に知能が高い。
その大前提で考えた場合、彼女の行動と計画は必ずより大きな利益を手にするために為されるもの、ということになる。
赤竜討伐までの彼女のあらゆる行為と成果がそれを裏付けているからだ。
そんな彼女が竜宝外交に於いて各国に無償で国宝を返却した。
前述の前提を元に考えるのであれば、その行為は必ず等価以上の利益を彼女にもたさすものでなければならない。
国宝の価値は莫大で、それこそ国がひとつ買えるほどのものまである。
彼女はそれを無償で返却した。
つまりその差額は国一つに等しい。
となれば、タダで返すという好餌で吊って、最終的に相手の国を手に入れる以上の利益を彼女は得ようとしている事になる。
これが魔族達の結論だった。
多くの国に国宝を返却しようとしているのだから、それ以上の利益とは即ちそれらすべての国の併合である。
結果としてこの地方に大帝国が誕生するのも当然の帰結なのだ。
ただ……この結末に至るためには、皇女ミエはその征途に於いて三度の大虐殺を為さねばならぬ。
いがみ合う国同士、統治の後にも必ず問題と軋轢を残すであろう種族同士の片方を殲滅して、それ以外の国へ圧倒的な強さと示威を示さねばならぬ。
その国の住民を誰一人逃すことなく。
それこそ子供から赤子、妊娠中の若き女性に至るまで、全て、すべて。
彼女の号令の下、国一つがまるごと消え失せる。
それを三度。
配下の国々が彼女に決して抗う気を起こさぬ程に絶対的な殲滅戦を、三度。
それを迷うことなく断行してこそ、彼女は望んだ地位に就く事がきるのだ。
なんと恐ろしく、なんと残酷な娘だろうか。
けれどそれを為さねば彼女が手放した損失以上の利益は得られない。
ならば彼女はそれをするだろう。
当たり前のように実行するだろう。
魔族どもはその判断の正しさと決断の強さに戦慄した。
だが彼女の計画は暴かれた。
なんとも綿密で完璧で慄然とするような計画ではあるけれど、わかってしまえば対処のしようはある。
魔族どもは各地に散って、ミエの壮大で堅牢な計画を阻止すべく暗躍した。
……実のところ、ミエの竜宝外交には単純にして致命的な欠陥があった。
各国を招き、国宝を返却して、オーク兵達に護衛させながら彼らを送り届ける。
大概の敵はオーク達が駆逐して、相手国にクラスク市の武力を示す。
……という算段だったのだけれど、この襲撃には『魔族に襲われる』という視点が完全に抜け落ちている。
魔族相手ではオーク兵とは言え不利である。
何せ彼らの使用する妖術の中には精神に影響を与える[精神効果]が少なくない。
そしてオーク族はそうした呪文が大の苦手なのだから。
なのでもしこの護送中に魔族どもに襲われ、壊滅させられ、国宝を奪われたら彼女の竜宝外交は簡単に破綻してしまう。
その時魔族達がオークの姿に化けていたらさらにマズい。
その上で目撃者一人をわざわざ残して全滅させられたらもっとよろしくない。
相手の国は我が国の要人を謀殺するための策だったかと怒り狂い、奪った国宝を返せと迫って来る。
けれどその国宝は魔族の手に渡っていてクラスク市側は全く身に覚えのないことなのだ。
たちまち緊張が高まり最悪戦争へと発展しかねない。
魔族にその手を打たれていたらミエの作戦は簡単に潰されていたはずなのだ。
……が、当の魔族どもはその最善手を打たなかった。
そんな偽情報に踊らされている暇はなかったからだ。
仮にも魔族が感嘆する程の計画を立ててのける策略家である。
そんなあからさまな、これみよがしの、それも魔導師すらつけぬ護衛などブラフに決まっていると彼らは即断した。
本物はとっくにもっと確実な方法で届けているに違いないと。
そうして……彼らは天嶮山脈のふもとに陣取り、その先に西の国々に網を張り巡らせ、
ミエの計画を阻止せんがために。
そうしてあらゆる手を尽くし、方々を駆けずり回った結果……
ミエはまんまと各国と小魔印をかわし、国交を樹立してしまったのだ。
魔族どもは驚愕した。
なにせ彼らは未だにミエの評価を改められていない。
彼女が野心も野望もある、高い知性と……それに加えて比類なき残虐さと酷薄さをを有する恐るべき
謙虚と慈愛と。
利他と共栄と。
お人よしに加えて限りない善意と。
そんなものを併せ持った、欲も得もない存在が権力の座に就くことも、そこに長く居座ることも決してあり得ない。
あってはならない。
なぜならそれを認めるということは、魔族のそれまでの進化それ自体を否定することになってしまうからだ。
ゆえに彼らの種族特性上、ミエは邪悪で欲にまみれた、超絶的な智謀を持つ存在でなければならぬ。
……ということは、つまり魔族どもの結論としてはこうならざるを得ない。
その女は、魔族が己の建てた計画を予期し、予測し、遂には解析し終えて対策せんとしている事すらその神域の智謀により察し、計算し、導出して、そしてもっとも効果的かつ手間とコストのかからぬ方法を以て魔族の建てた計画を全て水泡に帰せしめたのだ。
すなわち己が書き記した計画書をそっと閉じる、ただそれだけの、指先だけの行為によって、竜宝を用いた外交の表向きの利益のみを得て、魔族ども労苦を全てを徒労に終わらせたのだ、と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます