第849話 せめぎ合い

どん! と地を蹴りさらにさらに加速する。

クラスクの右手には斧があり、その柄が赤黒く染まっている。


目の前の魔族、グライフの血を傷口から無理矢理奪い啜っているのだ。


グライフは高位魔族であり、上級魔族までが備えている基本特徴を全て備えている。

ゆえに彼にも高速の治癒能力があり、傷口はそれこそ斬り付けた目の前で見る間に、それこそ魔法のように消え失せてしまう。


だが今は違う。

彼の額には傷口ができ、そこからみるみる血があふれ出し宙を漂いながら急速にクラスクの持つ斧刃へと吸い込まれてゆく。

斧の呪いが治る傍から傷口を広げているのだ。


おそらくダメージは蓄積されていない。

受けたダメージはその瞬間に治癒されて、ダメージ自体は溜まっていない。



とはいえ現状それはグライフの致命傷までには至っていない。

クラスクが与えた傷は右手の斧によるもののみで、これは物理障壁を貫通できぬ。

あくまで強大な障壁の上から無理矢理ダメージを通したに過ぎないのだ。


一方でグライフは高位魔族であり、高速の自然治癒能力に加えて高速再生能力も獲得している。

≪再生≫は物理障壁を貫通する攻撃を与えない限り効果を発揮するため、クラスクの魔斧の攻撃では再生能力を阻害できぬ。


≪再生≫にはが含まれる。

そうでなくば腕を斬り落とし内臓を切り裂き首を落としてすら死なず、それどころかそれらを生やし繋ぎ直して再行動できる説明がつかぬ。


ゆえにクラスクの斧が次々と血を奪い啜っていても、それだけではグライフにとって即致命傷とはなり得ない。

本来であればほんの数秒から十数秒で出血多量でショック死してもおかしくない勢いで血を啜られていても、グライフにはまだ十分な余裕があった。


余裕はあったが、それは決して看過はできる状態ではない。


なにせ上級魔族どもすらしのぐ超高速の自然治癒能力に加え、上級以下であれば自然治癒といずれか一方しか有していない再生能力まで備えている彼が、それらをフル稼働させているにも関わらず少しずつ出血によるダメージを受け続けているのである。

これは非常に好ましくないことであった。


「流石にこのままの状態を維持されるのは面倒だね…」

「ッ!!」


グライフがそう呟いた瞬間、彼の右半身……クラスクから見てグライフの左側に大量の青い点が浮かんだ。

無論のことただの点ではない。


クラスクの目から見て点のように見えているだけで、それにはがある。

青白く、おおよそ6アングフ(約15cmほど)の細長い氷柱つらら、それがグライフの横に浮かんだ大量の点の正体だった。


だがそれ自体は別にいい。

呪文詠唱がなかったのでおそらくグライフの操る妖術のひとつなのだろう。


攻撃系の妖術はクラスクも何度も見てきた。

おそらくそうしたものの一つのはずだ。


だが……今の氷柱つららが出現した際、妖術を発動させる際に生まれるはずの隙がまるで無かった。


魔術が効果を発動させるためには呪文詠唱や身振り手振り、魔力を術効果へと変換させる際の精神集中などがあり、妖術発動には詠唱などは不要にせよ精神集中自体は必要だ。

それは少なくない隙を生み、熟練の戦士であればその隙を突き攻撃する事ができる。

そしてその痛みで精神集中を乱すことができれば呪文発動を阻止できる。

いわゆる呪文消散ワトナットである。


だから術師は戦士系の相手と白兵戦状態でまず呪文は使わない。

使うとしても隙を産まぬような動き…いわゆる≪戦闘時発動≫のようなスキルを併用するはずだ。


だが今の妖術行使にはそれがまるでなかった。

突然術効果が、それも瞬時に発生した。


「妖術も高速化デきるノカ! ズルくナイ?!」


つまりはそういうことになる。

魔術には呪文詠唱を省略できスキル≪詠唱補正(高速化)≫がある。

魔術に類似した効果を持つ妖術にも同様の効果があるのだ。

≪妖術高速化≫スキルである。


びゅん、びゅびゅんと飛んで来る。

本来偶発的な事故でもなくばそうそう人に落ちてこない氷柱つららが、明確な殺意を伴ってクラスク目掛けて飛んで来る。


それを打ち払ったクラスクの剣は見事な動きだった。

だが一方でその斧の軌道が少し低い。

これではクラスクの上半身を狙う氷柱を落とし切れぬ。


ぶん、とクラスクが上体を落とす。

最初から自分の身のこなしも込みで避けるつもりだったのだ。

だが……


我は唱え念じる 解凍展開クサイクゥブェシフ・ファイクブク・イベグ・フヴ・ルカソ 『死霊式・捌ルゴイエクシヴリ』」

「ナ……ッ!」


そこを、待ち構えていた。

グライフの左側……クラスクから見て右側に、真っ黒い球が数個浮かんでいる。

表現はおかしいが、それはまさしくであった。


氷柱つららに比べて数は遥かに少ないが、遠くからでも感じる剣呑な気配は先ほどの比ではない。

あれは決して触れてはいけないたぐいのものだ。

クラスクはそう直感する。

というか、そもそも氷柱自体もまだ全ての射出が終わっていない。


「ズルくナイ!?」


≪妖術高速化≫で射出された妖術は高速化されているがゆえにグライフの本来の行動を阻害しない。

つまり彼は高速化された妖術を発動させながらそれとは別に普通に魔導術や妖術を放つ事ができるのだ。


最初の高速化妖術でクラスクを守勢に回しその武器を迎撃に使わせて、反撃が来ないことを確定させたのち本命の威力の高い攻撃を繰り出す。

それも体勢の崩れた相手に。


まさに悪辣。

実に魔族らしい詰め将棋のような攻撃と言えるだろう。


クラスクから見て左からは氷柱の散弾。

正面からは不気味な黒い光弾。

上体を起こせばどちらも喰らう。

後ろに下がるには前傾しすぎている。


となるとクラスクはもはや右側に横っ飛びに跳んで転がりつつ攻撃を避けるしかない。


裂けるしかないはずなのだが…


なぜかクラスクは、己の右側の何もない空間に低い姿勢のまま右足で蹴りを放った。


「ッ!?」


そして次の瞬間、空中を弾丸が如き勢いでグライフへとかっ飛んでゆく。


これが地を蹴った攻撃であればグライフにも十分対処できた。

だがクラスクの軌道はそれとは違う。


まるで何もない空中を蹴ってそれを足場にグライフへ飛び込んできたかのようだった。


「く……〈肉体破滅クィノグキッド〉!」


彼の左手…クラスクから見て右側の黒球が放たれるが、僅かに襲い。

それはクラスクの右肩をギリギリ掠め、そのまま後方へと飛んでゆく。


クラスクはきりもみ状に回転しながら斧を振るい、それを避けたグライフの左腕に今度こそ聖剣の斬撃を浴びせかけた。


「ウオップ!」


空中で無理矢理体勢を変えたせいでバランスを崩し、ぼすんと地面に叩きつけられごろごろと転がるクラスク。

そのせいで追撃の手が止まり、今度こそグライフは大きく間合いを外す事ができた。


クラスクの呪われし斧の吸血領域の外に出て、たちまち額の血が止まり傷が塞がってゆく。

他の魔族とは比べ物にならぬほどの再生速度である。


だが……その左手につけられた傷は再生していない。

クラスクの手にした聖剣『魔竜殺しドラゴン・トレウォール』は、高位魔族であるグライフにすら再生を許さぬ聖剣だったわけだ。


つまりグライフの左腕についた傷はもはや≪再生≫できず、超高速の自然治癒も働かぬ。

そして治らぬ傷口がある以上クラスクの魔斧は接近さえすればそこから際限なく血を啜れるはずだ。

先刻までのグライフの過剰なまでの警戒もわかろうというものである。


「……どこで気づいた」


グライフが初めていまいましげな顔をした。

己の策が破られたことへの驚きと無念さが明らかに滲んでいる。


「ココさっきト同じ場所。肩アタりに『力場』あっタトコダ」

「………!!」


そう、グライフはクラスクの攻撃を避ける一方に見せかけて、彼を先ほどと同じ戦場に誘導していたのだ。

クラスクが氷柱つららを伏せるような低い体勢でかわそうとしたのも、右側に振るった斧の高さが足りず情報の氷柱つららを捌き切れなかったのも、全てそこに目に見えぬが存在しているはずの『力場』を警戒してのものだったのである。





だが……グライフも、クラスクも、そのさらに先まで警戒してた。

互いの激しい読み合いの果ての、今の攻防だったのだ。




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