第847話 宿命の対決

真横に走る。

互いに真横に走る。


前に出れば打ち払われる。

後ろに下がれば飛び道具を喰らう。

だから隙を探りながら真横に走る。


一瞬目を細める『旧き死』、グライフ・クィフィキ……グライフ。

次の瞬間どっかと身を乗り出したクラスクが右肩を突き出し手にした斧で彼を切り裂かんとする。


こちらの斧は物理障壁を貫通できぬ……が僅かでもダメージが通れば血が啜り奪われる。

発動直前だった妖術を霧散させ素早くバックステップで下がるグライフ。


たったひと飛びで6ウィールブ(約5.7m)ほども後方に飛び退る。

とんでもない機動力と跳躍力である。


だが間合いを開ければ飛び道具が待っている。

妖術が使えるグライフだけではない。

クラスク側からもだ。


びゅん、と大気を切り裂いて白銀の剣が飛ぶ。

クラスクが投擲した魔竜殺しドラゴン・トレウォールだ。

こちらは殆どの魔族の物理理障壁を貫通する。


…が、個体ごとに固有の能力を有する個体固有種のグライフにそれがどこまで有効かわからない。

言うなれば年経た竜種と同等の物理障壁を有している可能性がある、ということだ。


グライフの目の前でがきんと剣が止まった。

魔竜殺しドラゴン・トレウォールはぶるぶるとその身を震わせ、きぃぃぃぃぃぃんと刀身を鳴らす。

だが空中で金縛りに逢ったかのように完全に動きが封じられている。


てくてくとその剣の目の前までやってきたグライフは……


「さて、じゃあ折っちゃおうか」


聖剣を前に、しれっとそんなことを呟いた。


「むうん!」


クラスクが一気に肉薄し、その左手を伸ばす。


「残念だけどいくら力自慢の君でもこれは……?」


そう言いかけたグライフの瞳がスッと細められ、そのまま後方に跳ね飛んだ。

クラスクが伸ばした左掌が金縛りにされている白銀の剣の近くまで伸ばされたその瞬間、『パキン』という乾いた音があたりに響き渡る。


何もない空間にヒビが入り、何もない空間が砕けた。

それと同時に彼が伸ばした左手のすぐ隣にあった魔竜殺しドラゴン・トレウォールは突然自由を取り戻し、慌てた様子で彼の左手の内に収まる。


びっくりしましたわ! びっくりしましたわ!


とでも言いたげにびよんと彼の手の中で跳ねたその剣を、クラスクはそのまま流れるような所作で突き出して己の間合いから外れんとするグライフに斬りかかった。

……が、すんでのところで彼は上体を逸らしそれをかわす。


結局魔竜殺しドラゴン・トレウォールの属性がグライフの物理障壁を貫通するかどうかは未だ未知数なままだ。


「へえ! 対策済みか。驚いたな」

「偉イ魔族相手ダゾ。対策シナくテドウスル」


ふんと胸を大きく張ってクラスクがそう宣言するが、グライフは涼しい顔で返した。


「それだいたい君の妻女のドワーフ魔導師…ネカターエルちゃんだっけ? の受け売りだろ?」

「ソウ」


そしてクラスクもあっさりとそれを認め、こくりと肯く。


グライフがしたこと。

そしてクラスクが対策したこと。


それは魔術の中でも最も高度な術法のひとつ、に関するものだ。



×        ×        ×



「クウカンとジカン?」

「はいでふ」


今回の一件よりもう少し前。

街に不穏が起きつつはあっても、未だドルムの危機が知らされるより以前。


クラスクは円卓会議の解散後、ネッカと円卓の間にてについて協議していた。

かつてこの街…当時は村だったが…にやってきてクラスクを挑発した魔族、旧き死グライフ・クィフィキの対策についてである。


「高位魔族と戦うなら高度な魔導術を使ってくることを警戒しないとならないでふ」

「すごイ呪文使うっテ事カ」

「はいでふ。特に魔導術でふと……対策必須なのが『即死』『空間』『時間』あたりに関わる呪文になりまふ」

「即死……死ヌ呪文ッテ事カ?」

「はいでふ。対象に死をもたらす呪文の総称でふね」

「喰らったら死ぬノカ。不味くナイカ」

「はいでふ。未対策で受けると戦士系は大体そのまま死ぬと思われまふ」

「ナニソレ怖イ」


あまりに無体な効果にクラスクが目を剥いた。

それでは戦士がどんなに体を鍛えてもどうしようもないではないか。


「ただ対策はありまふ。即死系の呪文は『即死効果』を与えるものなんでふ」

「ソクシコウカ」

「はいでふ。『睡眠効果』『毒効果』『麻痺効果』と同じような『即死効果』でふね。なので簡単に言えば即死効果を受け付けないような呪文なり魔具なりを身に受けていればそれで防げまふ」

「ソンナ事デイイノカ?」

「はいでふ。即死系呪文は単純にして強力な効果から古くから発達している呪文系統である反面対策呪文や魔具も多く作られてまふから…どちらにも高位術師がいるならまともに喰らう危険は少ないと思われまふ」

「ネッカ対策デきルカ」

「はいでふ。イエタ様の援けがあればより効果的な対策が取れるとも言まふ」


ふむと頷いたクラスクは、とりあえずその不気味な効果に関してネッカに一任することにした。


「残ル奴ハドウイウ呪文ダ」

「そうでふね……」


ネッカは机の上に置いていた杖を手に取ると、さっと呪文を唱えた。


我が命に従い展じて開けファイク・ブセラ・フヴァウェス・ユゥーク・エドヴェス 『力場式・壱イヴイスケッドリ』 〈力場障壁イスケッド・デッカム〉」


ネッカが呪文を唱えたけれど、特に何も起こらない。

何か派手な光を放つでも炎が湧き出るでもなく、ただ呪文の詠唱が終わっただけだ。


「クラさま。このあたりを触って欲しいでふ」

「ム……?」


だがネッカが己の前方に杖を伸ばし、軽く空中を叩くとコンコン、と乾いた音が聞こえた。

まるで何もないその場所に固い何かがあって、それに杖が当たったかのような音だ。


「オ、何かあル。硬イゾ」

「はいでふ。ちょっと押してみて欲しいでふ」

「押す……こうカ……?」


ぐん、と怪力のオーク族の中でも一際強力なクラスクが力を入れてその目に見えぬ壁を押す。


「ム? ウオ? オオオオオオオオオオオオオオ!?」


だがどんなに力を込めても、その目に見えぬ壁はびくともしなかった。


「ナンダコレ! 凄イ固イゾ!?」

「これが『力場』の壁でふ。簡単に言えばでふ」

「クウカン」

「はいでふ。『この場所そのもの』を凝固させたと思ってくれればいいでふ。世界そのものを固めたようなものなので力で破壊することはできないでふ」

「マジカ」

「そして生み出された時点で呪文は完了しているため〈解呪ソヒュー・キブコフ〉の影響も受けないでふ」

「厄介ダナ!?」


力ではどうすることもできない、〈解呪〉もできない、それも不可視の壁。

そんなもので行く手を阻まれたり足元に置かれたりなどしたらそれだけで致命的な不利を受けかねない。


「……これ俺ノ足トカ挟まれタラもう詰みジャナイカ? トイウカこれデくルマれタらもうダメジャナイカ?」

「いえ。力場は生命に干渉するようには発生させられないでふ。なので足の前や後ろに発生させて転ばせたりはできまふが挟み込むことはできないでふし、周囲を取り囲むようにして相手の移動を阻害する事はできまふが相手自身を力場そのものに閉じ込める事はできないんでふ」

「ナルホド…?」


直接固められる危険がないならだいぶ対処の手が増える。

クラスクは少し腕を組んで考え込んだ。


「目に見えナイ。硬イ。前にモ似タ呪文知っテル。魔導師ガ呪文デ鎧トカ盾作ル奴」

「はいでふ! 〈魔盾フキォッグ〉や〈魔術師の鎧クィーク・イフゥ〉でふね! 〈魔盾フキォッグ〉は術師自身の、〈魔術師の鎧クィーク・イフゥ〉は触れた対象の『近くの空間』を特定の角度だけ固めて鎧や盾のようにする呪文でふ。『対象の近くの空間』を固めているため、対象が動けば力場も一緒に動いてくれるわけでふ」

「オオ。ソウイウ使イ方モデキルノカ」

「はいでふ。呪文によりまふが」


それらの呪文についてクラスクはあまり脅威に感じていない。

なぜなら常に対象の同じ部位を同じ角度でしか守らぬ呪文だからだ。

 〈魔盾フキォッグ〉は術師の正面しか守らないので背後に回って斬り付ければいいし、〈魔術師の鎧クィーク・イフゥ〉は術師でなくても付与する事ができるし背後にも張り巡らされているがその守りは首から胴体部分にしか存在していない。

脚を斬り払ったり頭をかち割る分にはなにも問題がないのだ。


また対象に合わせて動くという事は固定されていないということ。

先程ネッカが発生させた不可視の壁と異なり、力場を押すことでその背後の相手を押し倒せてしまうのだ。


魔導術の初歩の呪文だけあって、クラスクはそれらの呪文相手であれば幾らでも対策を考える事ができた。

だが一方、先ほどのネッカの用いた術は厄介である。

力押しではどうにもならぬのだから、ある意味戦士の天敵とも言える効果ではないか。


「対策ハ」

「持続時間でふね。長持ちしないでふ」

「持続時間あルノニ〈解呪〉効かナイノカ」

「説明するとちょっと面倒でふが……空間を固めた時点で呪文の効果は終了してまふ。残っているのは単に『固められた空間』でふ。呪文効果自体は切れてるので〈解呪ソヒュー・キブコフ〉は効かないでふ」

「それさっき聞イタ。『クウカン』が水ダトすルト俺達水の中は移動デキル。デモその水凍らセテテ氷の壁にシタらそこ通り抜けられナイ。さっきの呪文水を凍りにする呪文で、氷にシタ時点デモウ効果終わっテル。ただの氷の壁〈解呪〉デキナイ。そうイウ事ダナ?」

「はいでふ! さすいがクラさまご理解が早いでふ!」


ぱあああ…と顔を輝かせてネッカが幾度もこくこくと頷く。


「でふが『空間を固める』というのは不自然な行為でふ。普通勝手に何もない場所が固まったりしないでふよね?」

「シナイナ」

「なのでその『固めた空間』はいきまふ。これが『〈解呪〉が効かず持続時間が短い』の理由でふ」

「…さっきト同ジカ。『固めタ』ガ氷ナら放っテおけば溶けル理屈カ。タダ氷ナラ溶けル時間カカルガ『クウカン』ハ無理矢理固めタ物ダカラすぐ溶けル、ミタイナ?」

「そうでふ! さすがでふ!」





ふんすふんすと鼻息荒くネッカがぶんぶん頷く。

ネッカに閨で教わっているからか、どうやらクラスクもだいぶ魔術について詳しくなっているようだ。





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