第824話 戦況

さて話はまた少しばかり遡る。

これまであえて語らなかった人物について語らなければならないからだ。


「万が一と思っていたがまさか最悪の危惧が当たるとはな……!!」


もっとも視界が通りやすい街の中央噴水近くで素早く東西南北に視線を走らせている女性がいた。

太守クラスクの親衛隊隊長にして元翡翠騎士団第七騎士隊隊長・キャスバスィである。


彼女はこの状況を最悪の想定として考えていた数少ない人物だった。


東西南北の城壁に襲撃を仕掛けた魔族飛行部隊。

その各所に隊長クラスがギリギリ間に合った(一部間に合ったものの一度逃走したが)のは彼女が今日の街の見回りの面子を調整していたからに他ならぬ。


もちろんそれは魔族の襲来を高い確度で予期していたからではない。

最悪そういう展開になってもいいように、という言わば『念のため』の策であった。

それが見事に的中してしまったのはキャス的にはかなり不本意でもある。

彼女自身も本命はあくまでドルムだと想定していたからだ。


確かにドルムを攻めると見せかけて本命がクラスク市と言うのは意外性がある。

こちらの虚を突くこともできる。

だがキャスからするとそれ以上のメリットが少ない気がするのだ。


なにせドルムへの包囲網を必要以上に薄くする事はできない。

ドルムの兵は精強で、あまりに手を抜きすぎると蹴散らされてしまうからだ。


さらに各地の通信妨害のために高位の魔族を使わざるを得ないし、王都ギャラグフから出立したであろう騎士団を迎え撃つのにも結構な戦力を割かざるを得ない。


そこまでして各所に戦力を分散した上で、わざわざクラスクを釣り出してドルムへ誘いその隙にクラスク市を狙う……



狙いはわかるがそこまでする必要があるのか?

というのが正直なキャスの感想である。



そこまで戦力を各地に分散すれば各個撃破のリスクが高くなってしまうだけではないか。

そうでなくとも瘴気地の外で死んだ魔族は死にっぱなしで復活できぬ。

瘴気地の中であればほぼ不死で戦えるという絶大な優位性を放り捨てててまでわざわざそんなことをするのが悪手に思えてならぬのである。


それならそもそも早馬をクラスク市に送らない方がいい。

人型生物フェインミューブの誰にもどの集団にも知られないままドルムを落とし、そこを瘴気地に変じてから各地へ襲撃をかければいいではないか。


それが彼女には解せないのである。


(もっと私程度では及びもつかぬ深謀遠慮があるのか、或いは……)


或いは喩え悪手でもがクラスク市にはあるのか。

それが何かまではわからないけれど。


ともあれキャスの先見と各所の踏ん張りでこの街はかろうじて魔族の初撃に耐えている。

魔族飛行部隊は街の新兵器のお陰で城壁を背に城内への突入に躊躇しているようだし、隊長格が皆城壁の上に誘い出されはしたけれどまあ次善程度の対応と言えるだろう。


「さて、となると私のとるべき選択は……」


キャスの役職は太守クラスクの親衛隊長である。

親衛隊を率いて彼を守護するのが役目だ。


とはいえ実際のところ彼女の本職としての彼女の仕事はあまりない。

クラスク自身の異様に勘が鋭くそして圧倒的に強いからだ。

正味のところ親衛隊長である彼女より完全に格上の戦士なのである。


魔術系の攻撃に対してのみはキャスの方が一日の長があるけれど、それでも姿を消した相手を「あそこガ怪シイ」とのたまいながら何もない空間を斧で切り裂き相手が透明なまま絶命させてしまうほどの戦士である。


しかも今の彼には聖剣『魔竜殺しドラゴン・トレウォール』がついている。

多少の不意打ちなど彼女(どうやら女性らしい。クラスクがそう語っていた)に通用するはずもない。

自由意思を持ち自ら飛行可能なあの剣がクラスクを新たな主人として選び、眠ることなく護り続けている時点でキャスの仕事はほぼなくなったと言っても良かった。


だがそれでも彼女にはまだ重要な仕事が残っている。

この街で唯一完全なる遊軍として行動できることだ。


なにせ彼女は親衛隊長以外にも剣術指南と軍事顧問を歴任している。

格の上ではクラスクの下、大隊長ラオクィクと同格である。

いわばクラスク市の軍隊におけるクラスクを除いたトップツーの一人、というわけだ。


それでいてオーク兵全てを指揮するラオクィクに比べ彼女の下は非常に少ない。

直接の配下は親衛隊の隊員のみである。


だがその立場上彼女はオーク兵だろうと人間の衛兵だろうと現場の判断で借り受け指揮することができるし、兵士達もそれに喜んで従う。

それだけの実力と実績と指揮能力を彼女が備えているからだ。


言わばクラスクが直接指揮できない緊急時、非常時に於けるこの街の切り札とも言える存在なのである。


(さて、どこに向かうべきだ……?)


彼女が場所はない。

どこにも最低限の戦力が割かれている事を確認したからだ。


ならばどこに行けばいい?


城壁の上に登り飛行部隊の相手をするべきか?

いやそれでは魔族の時間稼ぎに自ら手を貸してしまう。

あれはこの街の有力な指揮者たちを城壁の上に誘い出して足止めするのが目的である公算が高い。


放っておけばそのまま街の中に大量の侵入を許してしまいそれはそれで悪手となってしまうがゆえ放置はできないが、だからといって必要以上の人事を裂く必要はないはずだ。


ならば今後来るであろう地上部隊の為に元翡翠騎士団の連中を呼召して外に出るべきか?

いや街の中の状況がわからぬ場所に出るのは不味い。

いざという時に間に合わなくなる恐れがある。


ならば居館か?

居館はこの街の中心。

そこを守護するべく居館に籠もるべきか?

いや太守クラスクがいない今居館を護る意味はそこまでない。



……ないはずだ。

何故だかそこで、キャスの思考が一瞬止まった。




(……………?)


だがそれを熟考するより早く、彼女はとある動きに気づいた。


「む、なんだ…魔族どもの動きが……?」


街の中に突如発生した魔族ども。

クラスク市のセキュリティを突破し人間の姿に化け既に街中に潜伏していた連中だ。

キャスも正体を現した魔族を既に二体ほど退治している。


その魔族どもが空を飛び地を走り、へ向かっている。


個々の動きはバラバラで、誰かが統率を取ってのものではない。

だが間違いなくどこかある方向……いやある地点へと向かっている。

集合しようとしている。


(なんだ……?)


我知らず、キャスは歩調を早め小走りで駆けだした。

その魔族の動きを放っておいてはいけない。

そんな勘が働いたからだ。


「おぶおぶおぶ……」

「っと、サフィナ!?」


そしていざ走り出さんとしたその瞬間……突如裏路地から何者かが飛び出しキャスの前を横切らんとした。

街の南、大使館街に向かったはずのサフィナである、


直後、彼女の後ろ、路地裏の向こうから何者かがサフィナに手を伸ばしたように見えた。

反射的に愛剣を抜き放ち、その腕を斬り落とすキャス。

だが次の瞬間それがぐにゃりと垂れて、腕かと思っていたものがただの布切れだったことに気づく。


帯魔族ヴェリートか!」


身構えるよりも早く左足を大きく踏み込んで、そのままサフィナとすれ違うように一気に路地裏に飛び込んでゆくキャス。


帯魔族ヴェリートは身体に巻き付いた帯を魔法の鎧のようにして身を護ったり、その布を生き物のように操って相手を捕縛/無力化したりする強敵だが、その能力の大半は己が巻き付けている帯が如き布にある。

つまりサフィナ目掛けて伸ばした帯が引き戻されるより早く一気に肉薄したキャスに対し、帯魔族ヴェリートは咄嗟の護りを敷くことができなかった。


身体に巻き付いた別の布をほどき放たんとするより早く、キャスは帯魔族ヴェリートの足元ギリギリを転がるようにすり抜けてゆく。


その時点で勝負は決まっていた。

彼女が抜く手も見せず放った逆手からの細剣が帯魔族ヴェリートの胸を切り裂き、懐から利き手で抜き放った銀の短剣が……その傷口から、包帯の隙間を抜いて、帯魔族ヴェリートの物理障壁を貫通し彼の心臓を刺し貫いていたからだ。


千切れた手足すら生やし、巨人族に干物のように叩き潰されながらも復帰する事ができる帯魔族ヴェリートの強力な再生能力。

だがそれはあくまで己の物理障壁を貫けぬ攻撃に対してのみにしか働かぬ。



「一応元騎士隊の隊長としてはな」



そう呟き立ち上がったキャスと時を同じくして……帯魔族ヴェリートがゆっくりと崩れ落ちた。





「対魔族の対策を怠るわけにはいかんだろうさ」





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