第811話 敵前逃亡

「無理無理無理無理無理無理無理無理ムゥゥゥリィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!」


情けない叫びを上げながら、リーパグは裏路地を駆け抜ける。

その背後のアパートの角から、少し間を空けて小鬼インプどもが数匹小さな槍を構えながら現れ、逃げるリーパグの背中を槍で指し示しながら甲高い声で何かを叫んでいた。


その叫びに応じたのか、羽を広げた羽魔族コニフヴォムが二体やや遅れて角から姿を現し、羽をばさっと一打ちして方向を変えるとそのままリーパグの背中目掛けて地表12フース(約3.6m)ほどを滑空する。


互いに顔を見合わせ、頷き合う羽魔族コニフヴォムども。

言葉は交わさぬが打ち合わせは済んだようだ。

彼らは精神感応で前を飛ぶ小鬼インプに指示を出す。


「コウ……エット……トリャー!!」


全力疾走しながら背後に素早く振り返り、体をねじる勢いで隠し持っていた短剣を投擲するリーパグ。

それは狙い過たず羽魔族コニフヴォムの肩に突き刺さり青い血飛沫を上げた。


羽魔族コニフヴォムの物理障壁を貫通している。

魔法の武器だったのだ。


だが羽魔族コニフヴォムはそのまま肩に刺さった短剣を引き抜くと横に放り捨てる。

そしてその傷がみるみる塞がっていった。

魔族の有する自然治癒能力である。

傷が治る速度と同じくらいの速度で見る間に青ざめるリーパグ。


「早スギネエ?! ズルクネエ!? アノ短剣ダッテメッチャ高エノニ!! アト勿体ネエカラ捨ッテンナアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」


同じ素材なら短剣より大剣の方が高価である。

それは材料の使用量が違うのだからある意味当たりと言えば当たり前だ。


だが実は『魔法の短剣』と『魔法の大剣』の値段に大きな差はない。

無論魔法の大剣の方が若干高いのだが、それは単に高い品質の武器を用意せねばならぬという材料費の問題だ。


大剣を魔法の大剣とするのも、短剣を魔法の短剣にするのも、いわば魔術を用いて魔具化するというプロセスも手間もあまり変わらないからである。


ゆえに魔法の短剣はかなり割高だ。

それを雑に捨てられればリーパグならずとも目くじらを立てたくなるというものだろう。


だが彼にそんな事を怒る余裕があるのだろうか。


リーパグは先刻警報が鳴った時最速で城壁の上に登った。

だが敵を確認すると同時に青くなって慌てて階下へと駆け戻っていったのだ。

それもその場にいる兵士達にここを死守しろと厳命して。


これでは敵前逃亡と言われても仕方ない。


その上現在彼を追跡している魔族どもは彼が城壁での指揮を放棄した結果街に侵入を果たした魔族どもである。

まさに自業自得である。


ちなみに先刻の城壁の上にいた衛兵たちはエモニモ配下の兵士達であって、一方のリーパグはオーク遊撃隊の隊長である。

管轄が異なるため彼の命令を聞かねばならぬ理由はない。

逆にリーパグもまた彼らの生死に責任を取る立場ではない。


とはいえクラスク市はオークの街であり、大隊長ラオクィク、および兵隊長ワッフはその強さや人柄から人間族の衛兵達にも尊敬され、慕われていた。

なので彼らと同格の古馴染みであるリーパグもまた最低限の敬意は払われていた。

ただ彼は口が悪くカッコつけでその上先述のような行動を取ることが多いため、他二人と比べると正直あまり人気がなく、今回の件でその評判はますます悪くなったことだろう。


まあそんなことは当人が一番理解しているのだけれど。


「ヒィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!! ナンデ俺バッカリ狙ウンダヨオオオオオオオオオオオオ!!!」


半泣きで裏路地を縦横に走り魔族どもから逃げ回る。

だというのになぜかその魔族どもはリーパグ一人に狙いを定めているようだ。


「ナンダヨナンダヨ! ナンデ俺ナンダヨオ!!」


リーパグは必死にまくし立てるが魔族どもは無言。

そのままリーパグの背中を追い続ける。

時折リーパグがくらりとたたらを踏んでいるのは精神系の妖術でも喰らい必死に抵抗しているからなのだろうか。


「オー! オ前ラ! オマエラハ……ッ!」


ついにアパートの壁にゆく手を塞がれ、リーパグは逃げ場を失った。

ガタガタと震えながら、リーパグはか細い声を上げ…


「オ前ラ、知ッテルゾ。精神感応ッテ奴デ屋根ノ上ニイル奴ト声出サズニ通信シテウンダロ? 


突然口調を変えて、人差し指で上を指し示し、そんなことをのたまった。



……



ぎょっと目を剥いた魔族どもが一斉にリーパグに襲い掛かる。

元々このオークを殺害する予定だったのだが、任務以上に捨て置けぬ存在だと認識したらしい。


屋根の上に隠れ羽魔族コニフヴォムどもと示し合わせていた別の魔族が、もはや隠れ潜む必要もなしと地上にどずんと降り立ち、羽魔族コニフヴォムたちと共にリーパグに肉薄した。

全身に包帯のような布を巻き、それを自在に操って相手を絡めとる帯魔族ヴェリートと呼ばれる魔族である。


リーパグは帯魔族ヴェリートの身体から解き放たれた布を必死にかわすと突然どろんと姿を消した。

驚いてリーパグのいたあたりまで飛んできた羽魔族コニフヴォムは、左右を見回して彼が消えた理由を知った。


横の扉が僅かに開いている。

そしてその扉の向こうから風の流れを感じる。


つまりリーパグは素早く横の半開きの扉へと滑り込み、そのすぐ向こうの裏口からまた外に飛び出たわけだ。

いわばここはだったのである。


普段であればすぐに気づいたであろう魔族どもだったが、リーパグが魔族の言葉を話したことで動揺してしまい判断が遅れたようだ、


魔族どもは急ぎその扉をくぐり、我先にとその先の裏口に身をねじ込みその先へと飛び込んだ。


魔族語を話せる。

それもこちらの精神感応を覗き見れる能力者など、実在したら捨て置けるはずがないからだ。


だがあまりにリーパグを追う事ばかりに注力していた彼らは……それゆえ、その扉の向こうで待ち受けているものへの対処が一瞬遅れた。


「放テェェェェェェェ!!!!」


号令、一下。

オーク兵どもの放った強化弓の一斉射が魔族どもを貫いた。


「「「!!?」」」


刺さる。

刺さる。


これまでの無敵ぶりが嘘のようにその鏃は魔族どもに次々と突き刺さった。

小柄な小鬼インプなど全身矢ぶすまにされそのまま地面に転がる。


わけもわからず羽を射抜かれ、揚力を得られず地面に転がった羽魔族コニフヴォムの一体は、己の背後で何か地面を蹴った音と、直後にアパートの石壁に何かが跳ね返った音を聞いた。


そして次の瞬間……迸るような痛みが首筋に走った。


急所を切り裂かれ事切れた彼は……いまわの際にそれが魔法の短剣であることを知った。


先刻聞いた音は彼が投げ捨て地面に転がっていた短剣をリーパグが蹴り上げ、壁に跳ね返ったそれを片手で掴んだ音だったのだ。


そう、彼らは嵌められたのだ。

リーパグを追い詰めているつもりで、元いた場所に、彼の武器が転がっている地点に誘導されていたのである。


彼を捨て置けぬ脅威だと認識させられ、必死に追いかける事で視野が狭まり、他のものが目に入らなくなっていたのである。


「ヨクヤッタゼイェーヴフ。ヴォヴルグ村カラオ前ガ来テテホントニ助カッタゼー」


オークの少数部族をまとめたクラスク市衛星村のひとつ、ヴォヴルグ村。

かつてクラスクに憧れるオーク族の若者だったイェーヴフは、今やそこの村長となっていた。

今日は村で作った火輪草や野菜の納入にたまたま北原村を経由してクラスク市へと訪れていたのだ。


「ナンデモナイッスヨ先輩。トコロデサッキ話シテタノッテ……」

「魔族語ダヨ。マアカタコトダケドナー。魔導学院デ教ワッテタ。授業料払ッテナ!!」

「スゲー! 魔族ノ言葉喋レルンデスカ!」


イェーヴフが幹部リーパグの学習意欲の高さに驚き感嘆する。


「マーコイツラ全然喋ンネーカラ情報聞キ出スノニハ全然使エネーンダケド。マアハッタリニハ使エタゼ」


そう、ハッタリである。

リーパグが魔族どもの精神感応を読み取れるなんてことがあるはずない。

彼はなんの特殊能力持たぬ一介のオークに過ぎないのだから。


彼は単にその目ざとさで屋根の上の魔族に気づき、あたかも全ての精神感応でのやり取りが聞こえていたかのように振舞ったに過ぎない。


だが魔族どもは当たり前のように精神感応を用いて会話している。

彼らにとって精神感応は特殊能力でも何でもないありふれたものなのだ。


だからこそ、それゆえに、自分達以外の者がそれができると宣言した時、つい本当に聞こえるのではないか、と疑ってしまう。

そして隠れている意味がなくなったと全員が集合し、急ぎリーパグを追わねばと狭い裏口を一か所に固まったまま通り抜けたがゆえに……イェーヴフの一斉射が絶大な効果を発揮した。


すべてリーパグの策である。

まあ策と呼ぶにはいささか現場判断の多すぎる策ではあったけれど。


リーパグとイェーヴフが会話する背後で、オーク兵どもがリーパグの指示に従い魔族どもに次々ととどめを入れる。

彼らの持つ剣や斧はやすやすと魔族どもの皮膚を貫き、彼らを絶命させていった。


そう……武器だ。

魔法の武器である。


オーク兵どもが構えていたのは魔法の武器だった。

それも特別頑丈な、特別切れ味のいい魔法の武器だ。


それもそのはず、なにせ彼らが手にしているのは竜の鱗や牙で打たれた武器なのである。


かの赤竜の素材を求めこの街に根を下ろした小鍛冶集団・緋鉄団グランティム・ウリム

堅牢な赤竜の素材を鍛え生み出した武器は、けれど近隣の軍事バランスを崩壊させかねぬからと市が全て買い取り、ただ打ち鍛えただけで極上の品質と硬度を備えた武器となる竜素材の武器どもをさらに魔法の武器へと打ち直し、居館の宝物庫にしまわれていたのだ。


リーパグは外から攻めてくる魔族どもが普通の武器で傷つけられぬと見て取ると素早くその場を脱出、下で見かけたイェーヴフに手早く指示し己の配下のオーク兵どもをかき集め居館から魔族対策に魔法の武器を持ってこさせ、その上で自分のせいで街に侵入してきた魔族どもの一部を自身が囮となって引き寄せて一網打尽にしてのけたのである。


「ヨーシオ前ラ! ツイテ来ーイ!」

「ドコ行クンスカ」


イェーヴフの問いに、リーパグは鼻を鳴らしながらこう答えた。


「決マッテンダロ、城壁ノ上ダヨ。コノ武器ガアリャア衛兵達デモ魔族ドモノ相手ガデキルダロ?」


そして…実に彼らしく、いつもの調子で最後にこう付け加えた。





「アイツラガ頑張ッテ働ラキャア……ソノ分俺ガ楽デキルッテ寸法ダ!」





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