第704話 今の自分にできること
今自分の目の前で、この街の今後の方針が決まった。
それも後継者問題という重大すぎる問題が、あっさりと。
エィレはこの街の在り方に改めて驚いた。
「それで…話が少し逸れちゃいましたけど、エィレちゃんとしては結局この街とアルザス王国との関係を友好的に着地させたいってことでいいんですよね?」
「はい。私の懸念材料もどうやらたった今払拭されたようですので」
ようやく本題に戻り、エィレは小さく息を吐いた。
「色々ありましたけど、私はこの街が好きです。そして自分の生まれたアルザス王国も好き。どちらも好きだから仲良くして欲しい。これが私の偽らざる想いです」
「ありがとうございます。この街を外交官である貴女にに気に入ってもらえりだなんて、嬉しい限りです」
ミエの言葉にエィレはほっと息をつく。
とりあえず自分の考えはこの街の方針と合致しているようだ、と。
「ただ……私たちが互いに手を取り合うためにはお互いが相手のことをよく知る必要があります。相互理解なくして互いの溝は埋まらないと思うんです」
「はい! 私もその通りだと思います! 流石エィレちゃん!」
ミエが両手を合わせてぱあああと顔を輝かせる。
その背後でイエタがうんうんと嬉しそうに頷いていた。
このあたり二人の意見はかなり近いようだ。
「ですが…正直それが王国側で進んでいるとは思えません」
ただ…ミエの言葉を受け、エィレは少し沈痛そうな面持ちでそう告げた。
「王国にはこの街と友好関係を築く事に懐疑的、或いは反対の立場を取る勢力があります。彼らがこの街の情報を矮小化し、過小評価、或いはそもそも耳に入らないように工作しているのです」
「アー、アノ秘書官カ」
クラスクの言葉にエィレは静かに頷いた。
「彼がその代表のようですね。彼だけではないようですが」
「結構いいもの作ってると思うんですけどね、うち。そちらの国内で流通してる商品とかも結構多いはずなんですけど…」
「はい。この地に赴任して私が王都で知った名品や良品が実はこの街産のものであると知ったことも少なくありません」
「ですよね! 都でも好評だったのならなによりですー」
嬉しそうにそう語るミエの前で、エィレはだが厳しい表情を崩さなかった。
「ですが…逆に言えばこの街を訪れるまで、私はそれらの品々の産地を知り得なかった、ということでもあります」
「!!」
ミエがハッとして目を大きく見開いた。
「それは…どういうことなのでしょう?」
「はい、司教様。王都で売られているこの街の品々は、その産地を明らかされていない、あるいはさせてもらえないのでしょう。おそらく反クラスク市派の手によるものかと」
「ああ…なるほど」
「なのでこの街がいくら質の良い品を作り輸出したとしても、それらは現状王国側でこの街の評価の向上には繋がっていないのです」
「うう~~ん、それは困りましたね」
ミエは腕を組んで考え込んだ。
確かにそれではいくら質のいい商品を輸出しようとあまりこの街のアピールにはなっていことになる。
だがなかなかにいい手だ。
ミエはそう感心もした。
良い品はしっかりと輸入しつつ、だが自分達に都合の悪い部分だけは誤魔化し、掻き消している。
さしずめ産地の逆偽装と言ったところだろうか。
「それで…その、私、考えたのですが…」
「何かいいアイデアがあるんですか!?」
エィレの言葉にミエが食いついた。
「いえ、いいアイデアとかそんなものでは全然なくって…ただですね、この街の北に本を売るお店…『書店』があるじゃないですか、ホンヤサン」
「アーハイハイ、アリマスネ」
「?」
ミエの返事はやけに硬かった。
未だにその店名に慣れぬのだ。
既に街で定着してしまった名称なのだからとっとと慣れた方がいいと思うのだけれど、突然彼女の母国語が湧いてくるところに違和感を感じるのだろうか。
「それで…そこの本を見てちょっと思ったんです。この街って本を安く作れるノウハウがあるみたいじゃないですか。それで…こう、この街について書かれた本とか作れないかなって…」
「ああ! なるほど! この街の色々が書かれたクラスク市史みたいなのを作ってそれを王都あたりで売れないか…的な?」
ミエは口に出した後少し考え込んだ。
悪くない。
だってクラスク市について色々調べ書き記した史料としての書物なら、確実に需要があるはずなのだ。
なにせオークの街である。
オークが作り上げたという、おそらくこの世界でも非常に稀有な都市である。
どんな実態なのか気になる人はたくさんいるだろう。
それに反クラスク市派のような存在がいたとしても、彼ら自身がこの本を購入してくれるはずだ。
なにせこちら側から提示された情報である。
こき下ろすにせよ参考にするにせよ確実に参照し、参考にしたいと思うはずだからだ。
「いいですね。是非作りましょう。となると作者ですが…う~んやっぱりシャミルさんですかねえ。でも本一冊となると結構拘束時間とられそうですし…仕上がるまで時間もかかりそうですねえ。その間他の仕事が疎かになっても困りますし…」
何せシャミルは街の魔術を除くほぼあらゆることに関わっている(一部魔術的なものにも関わっている)。
彼女がいなくば廻らない案件がそれこそ両手両足の指では足りないほどにあるのだ。
そこにさらに時間のかかりそうな書籍執筆を任せるのは些か荷が重い気がする。
だがそれ以外に本の書き手となると、なかなかに浮かばぬミエであった。
「あ、違うんです違うんです! いえ違わないって言うかそういうのもいいと思うんですが…」
ただ…エィレが考えていたことは、どうやらミエが思いついたそれとは少し違っていたようだ。
「…あれ? 違うんですか?」
「いえ違うって言うか…ミエさんのアイデアでも全然悪くないって言うか、そもそも自分でもよく考えたまとまってなくって申し訳ないんですけど…」
わたわたと両手を振るエィレにミエはふむと首を傾げた。
「落ち着いて、言葉を選んで、口にしましょう。声に出して言う事でまとまる考えもありますから」
「はい…」
ミエにそう言われたエィレは、小さく息を吐くと言葉を選ぶように語り始めた。
「その、私も最初書籍を執筆して王都で売るのはどうかって考えたんですけど…それだと読んで欲しい人にあまり伝わらないかなって」
「読んで欲しい人?」
「『市井の人たち』です。街に住むごく普通の住人ですね。この街と王国との融和の為にはこう…国の感情というか…世論が大事だと思うんです。情報を封鎖されている彼らはこの街についてほとんど知りません。多くの人たちがオークが作った胡散臭い村…集落に毛の生えた程度のものとしか考えてないのです」
「ふむふむ、なるほど」
ここまで頑張って街を大きくしたのにとても残念な話ではあるが、オーク族の一般的な印象を考えると確かにそういた偏見を持たれても仕方ない気はする。
なにせここに村を作るまでの生活はかなり原始的だったし、しかも当時のあの暮らしでさえ滅んだ人間族の村を利用している分他部族よりまだマシだったのだから。
「この街で売られている本はこれまでより遥かに安くなってますけど、それでもやっぱり庶民には高すぎるんです。買うのはおそらく富裕層や貴族たちで、そして彼らから庶民には話が届きません」
「確かに。ならどうしたらいいと思います?」
「ですから…その、もっともっと安くできないかなーって、ええっと、装丁をもっと簡単にするとか、ページ数をもっと減らすとか、そんな感じで少しでも安くして、庶民がちょっとでも買い求めやすくならないかなー…って。駄目でしょうか…」
結局最後まで上手く言葉にできず、ついには下を向いて悔しそうに歯噛みするエィレ。
もう少し。
もう少し何とかならなかったのだろうか。
こんな曖昧な物言いでは単なる夢物語と変わらないではないか。
エィレは己の浅慮浅薄を責めた。
「あのすいません! 全然考えがまとまってないのにこんなお時間を取らせちゃって…」
エィレが慌ててそう言い繕ったその視線の先で……ミエが真剣そのものの顔つきで何やらぶつぶつと呟いていた。
「あの…ミエ、さん?」
「ホントだ…なんで気づかなかったんでしょう。全部条件揃ってるじゃあないですか。これならできる…ホントだ…これやれますよね…?」
「……ミエさん?」
ミエの様子がおかしいことに気づいて、おずおずと声をかけるエィレ。
ミエはハッと我に返るとエィレをじっと見つめ、そのままがばしと彼女の肩を掴み顔にみるみる生気をみなぎらせた。
「それです! さすがです! すごいです! 是非やりましょう!」
「はい?」
ミエの興奮の意味がわからずエィレは首を傾ける。
ミエの背後で座っているクラスクの方に目を向けるが、彼にもよく理解できていないようで隣に立っているイエタと首を捻っていた。
「それって…何を?」
「今エィレちゃんが言ったやつですよ! テォフィルさんテオフィルさん! 緊急招集! 円卓の皆さんを集めてください! 特にアーリさんとシャミルさん必須で!!」
「ハッ!」
控えていた衛兵に向かいそう叫びつつ、ミエは再びエィレの方に向き合った。
「さっそく! すぐに! 作りましょう! というかすぐには無理ですから作るための計画を立てましょう!」
「あの、ですから何を?」
ミエは小さく息を吸ってこう宣言した。
「新聞と! 雑誌です!!」
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