第613話 会食
「オオ……!」
食堂に案内されたクラスクは思わず声を上げた。
「大きイナー。ウチの円卓…会議すル場所より広イゾ」
クラスクの素直な感想と感嘆の声に背後から小さな苦笑が漏れる。
王宮は侍従も含めて殆どが貴族やその血筋、或いはその配下の者達で構成されており、全員が貴族の振舞い、或いは貴族に対する振舞いを心得ている。
そうした彼らにとってクラスクのある種粗野で素朴な反応は新鮮であり、それが笑いに繋がったのだ。
ただそれは侮蔑の笑みではない。
驚くべきことだが好意的な笑みだ。
他種族に忌み嫌われるオーク族という種族でありながら、クラスクはこの短時間の間に彼らの心を掴んでしまったらしい。
伊達に≪カリスマ≫のスキルをオーク族専用から全
食堂は縦に長く、テーブルが細長い『ロ』の字に並べられている。
一番奥の立派な椅子は国王のものだろう。
クラスクの席は入口から見て右側のテーブル、その奥よりだった。
通常こうした会食の席では招いた賓客を国王の隣に座らせ歓談させるのが常なのだが、秘書官トゥーヴがオーク族相手にそれは危険だからと頑として反対し妥協案としてその場所が選ばれたのである。
先ほどの謁見の間からほとんどすべての者がこの食堂に移動しており、それぞれが各々の席に着く。
クラスクが指示された己の席に向かうと背後の壁には槍を持った兵士たちが四人組で彼を待ち受けていた。
流石に槍をクラスクの方に向けてまではいないけれど、間違いなく彼に対する抑止力として用意されたものだろう。
なかなかに物騒なお出迎えである。
「申し訳ありませんクラスク殿、客人に対しこのような備えをするのは大変失礼とは存じますが」
「構わん。オークダからナ。ムシロ警戒シテ当然ダ。入念な準備御苦労」
「ハ……!」
兵士の一人…おそらく彼らの隊長だろう…がクラスクに謝罪するが、クラスクはむしろ彼らの労をねぎらい、己の大きな背中を彼らに見せつけながら鷹揚と席に着く。
兵士たちはクラスクの言葉に言いようのない高揚を感じ、その身を震わせた。
まるで監視対象であるクラスクに褒められて嬉しいかのよう…いや実際に嬉しいのだろう。
彼らは一層の身を引き締めて当のクラスクに対する警戒の任に就いた。
「では遠方より来たる賓客に…乾杯」
「「「乾杯!!」」」
一同が杯を打ち鳴らし、酒杯を煽る。
クラスクが視線を走らせた先に秘書官のトゥーヴがいた。
確か先ほどまで歩いていたあの長い(そして広い!)廊下にはいなかったはずだ。
おそらく別行動をしていたのだろう。
彼はちょうどクラスクの対岸、向こう岸のテーブルについてこちらを睨みつけているけれど、先刻の謁見の間のようにクラスクに食って掛かったりはしなかった。
「ところでクラスク殿、ひとつよろしいかな?」
「ム、ナンダ」
話しかけてきたのは財務大臣のニーモウだった。
クラスク市の東にあるアルザス王国最大の都市、商業都市ツォモーペを治める人物であり、クラスク市との交易も積極的に行っている。
彼の席は少し離れており、そこからわざわざ歩いて挨拶に来ていた。
貴族が位階の低い者を相手にする際には己の処まで呼びつけるのが普通であり、こうしてわざわざ足を運ぶのは珍しい。
それだけクラスクを買っている、ということだろうか。
文官たちの中には食事中隙あらばクラスクに話しかけよう話しかけようと待ち構えていた者が幾人もおり、そうした彼らは大臣に先を越されたと
「貴殿の街の周囲にある広大な耕地、あの見事なチェック柄の風景には我が町の隊商達もいつも感嘆しております」
「ソウカ」
「ですが個人的には少々気になることもあります。なぜあの街の麦はあれほどに育ちが良いのでしょうか」
ニーモウの問いにクラスクは食事へ伸ばした手を止めて彼の方に向き直った。
「追肥をシっかりシテル」
「追肥ですか」
「ソウ。食事中に話す事ジャナイガ、要は人畜の糞尿ダナ。
「あああの報告にあった肥料の原料はやはり…ですが試験的に採用してみたところむしろ作物の育成が阻害されてしまって」
「それハ根腐れ起こシテル。そのまま使うト悪い菌イッパイデ健康にもよくナイ。寄生虫もイルシナ」
「菌?」
「目に見えナイ小さナ小さナ生き物ノ事ダ。あちこちにイル。この食堂にもイッパイ漂っテルはずダ。見えナイが」
彼らが聞いたこともないような話をすらすらと語るクラスクにニーモウが食いついた。
「それらが肥料にならぬ原因だと?」
「ソウダ」
「ではクラスク市ではどのように対処を?」
「発酵させル」
「発酵…?」
「目に見えナイ小さナ小さナ微生物が自分たちが食うために他のものを分解シテ別のものに変えル。この過程又ハ結果デ俺達に有益な物を作っテくれタ時それを発酵ト呼ぶ。簡単に言えバ『イイ腐敗』ダナ。チーズもワインもヨーグルトも発酵ダ。うちの街発酵食品得意。糞尿も内部発酵デ有害な物分解させル。発酵する時ニ熱くなル…発酵熱ッテ言うガ…ソレデ雑菌や寄生虫を死滅させル」
「ではその発酵を起こすためにはどのように」
「放置シテおけば内部にイル微生物が勝手に始めル。自然発酵ッテ奴ダナ。タダ発酵ニハあル程度ノ温度が必要ダ。このあたりは気候が冷涼ダからなかなか自然発酵が始まらナイかもしれナイ。その場合こちらで発酵の契機に人工的に熱源を用意シテやル必要があル。うちは火輪草のエキス使っテルナ」
「ほほーう」
瞳を輝かせてクラスクの言葉に耳を傾けるニーモウ。
あとからあとから気になって仕方ない話が湧いてくるのだから当たり前と言えば当たり前だが。
今聞いた中には彼の…というかこの世界の常識からはにわかには信じがたい話もある。
だがクラスク市派実際それで成功しているのだ。
ならばとりあえず聞き入れて試してみなければ。
利潤を得るためにとりあえず成功者の模倣をする。
そしてその過程と結果を分析しいつかオリジナルを越える。
そうしたやり口はニーモウの得意とする分野であった。
「成程……足りなかったのは発酵過程ですか」
「見テナイガ上手く行っテナイナラそうナンダロうナ。察すルニ成果を急ぐ余り未発酵のママ施肥をシタんジャナイカ。それダト発酵進んデナイ。作物に悪イダケ」
「ほほーう……」
ニーモウだけでなく文官達が皆一様に耳を傾けている。
クラスク市については日頃秘書官トゥーヴがうるさい手前あまりここの宮廷では話題にはできないのだが、やたらと作物の収穫が多いらしいこととあの街から隊商が運んでくる食べものが非常に美味であることくらいは皆知っていた。
もしかしたらこの辺りでもそうした作物を作る手助けになるやもしれぬ。
為政に関わる者として聞き逃せる話ではないのである。
…実はあの街から流れてくる服飾や宝飾品、美術品、工芸品なども王国内で高値で流通しているのだけれど、秘書官トゥーヴの目がうるさいためにそれらは適当な地名を冠してよその地域の特産品として出回っていたりする。
つまり王都の民は、貴族は知らずクラスク市の商品を手に取っていてもおかしくはないのである。
「あの、わたしからもよろしいでしょうか。ええと、徴税長のカストナと申します」
どうしても我慢できぬと、横から割り込むように話しかけてきたのは三十代そこそこのやや線の細い男性である。
この年で長を名乗る役職に就いているなら相当に優秀な部類なのかもしれない。
「ナンダ」
「その、失礼を承知でお聞きしたい。貴方が建てた街の…」
一瞬『貴方が治める』と言いそうになって慌てて言いつくろうカストナ。
なにせアルザス王国は公的にはクラスク市の支配を認めていない。
役人がそんな言い回しをしたらトゥーヴに叱責どころかくびり殺されかねないのである。
「…街の周囲の畑は細かく区分けされて様々な物が植えられています。ですがどうにも夏麦と冬麦の間隔が狭いような気がするのです。あれでは土地が痩せてしまうのでは…と思ったのですがどうも収穫量が落ちていない。その理由が気になって…」
「それは私の方も興味がある」
「間に甜菜を植えテルからダロウナ」
「甜菜……あああの蕪のような」
「ソレダ」
「なぜその甜菜とやらを植えると麦の育成がよくなるのですか」
「土の中には栄養があっテ麦はそれ喰う。俺達がこうシテ飯食うノト一緒。麦が喰うもの幾つかあルガ、土中の窒素特に喰う」
「チッソ」
「チッソ」
聞いたこともない単語にニーモウとカストナが鸚鵡返しに呟き、クラスクがこくんと頷く。
「ダガこの窒素ハほっトくトすぐナくナル。麦が喰うシ他にも色々失われル。ダから
「「おおお~~~~~」」
クラスクの言葉に二人が感嘆の声を上げる。
彼は聞いたこともないような知識を、聞きかじりではなく明らかに中身を理解して語っていた。
オーク族が人間族に耕作についての知見を話す…
凡そあり得ぬ光景に、周囲の者達は何か信じられぬ者でも見るような眼でその光景を眺めていた。
そしてそんなクラスクを…
なぜか咎めるでもなく、対岸の席で秘書官トゥーヴは静かに睨みつけていた。
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