第611話 竜宝外交

「フム……街ひとつと国ひとつ。それで対等に条約を締結することができればこの街が国家と同格であることを示す証左として王国に立ち向かえるかもしれんの」


シャミルが感心したようにぶつぶつと呟く。


「仮に国交を開くことができれば小魔印が得られるのは大きいな。その前にこちらで用意する必要があるが。国王陛下に送る手紙に押す小魔印を五つも用意できればこの街が領土や人口的に王国に劣っていても国際面ではそうでないことを示すことができるやもしれんな。ま、取らぬ魔猪の皮算用だが」


キャスは魔印の利用法について考えながら政治的な圧力について考えを巡らせる。

彼女のこの発案がのちにクラスクが王都へ出向く際の切り札となった。


「なるほどニャ……国宝をあえて手放す事でオーク側からの最大限の誠意を見せるって事かニャ。確かにそれは国宝を全部金に換えて山にして積み上げても買えないもんだニャー」


アーリが商売人としての己から出てこないであろう発想に素直に感嘆する。

しかもミエの場合果てしない善意とお人好しを下敷きにした上でしっかりこちらに利益をもたらすように計っている。

このバランス感覚はなかなかできるものではない、アーリは改めてその太守夫人に空恐ろしさを抱いた。


はじめて、会った時のように。


「私も賛成です。この街は現在急速に拡大していますがそのせいで現状の防衛力に不足があります。今攻められるのはよろしくありません。外交で外憂と外患を取り除いておくのはよい対策かと……竜の財宝をこう使うとは思っていなかったですが」


エモニモが衛兵隊長の立場から意見を述べる…まあ現在身重につき職務は休みがちだが。

ともあれ急速に拡大してゆく中衛兵を急募してはいるが新兵が一人前になるのは時間がかかる。

今攻められるのはとてもよろしくないというのが彼女の立場である。

なにせこの街は平城であり、街の拡大はしやすい一方守るには不向きなのだ。


「まーアタシも賛成かな。街一つで国一つ相手取ンの面白そーじゃねーか。アタシんとこの護衛隊も仕事あるみてーだし?」

「親書のセキュリティとこの街の魔印の作成はお任せくださいでふ!」

「おー…」


皆が高揚しながらいろいろ言い立てる中、サフィナが何やら感銘を受けたような表情でミエを見上げている。


「サフィナそのがいこーかんやりたい。西の神樹アールカシンクグシレム行く」

「ふぇ? 帰郷するんですか!?」

「そうー」


ミエの意外そうな声にサフィナが大きく頷く。


「大丈夫なんでしょうか。いえサフィナちゃんが無事な点は心配してないですけどそのまま連れ帰られちゃって戻ってこないとかになりません?」

「ソリャ大変ダベー! サフィナガイナクナッチマウダダー!?」


ミエの言葉にワッフが悲痛な声を上げた。


「おー…だいじょうぶ。うまくやる。たぶん」

「たぶんですか…でもまあ、う~ん…」


実のところこの村の娘を帰郷させるのは些かリスクが高い。

せっかくオークの村に馴染んできたのに妙な里心などを出されると色々と厄介だからだ。


けれど逆に言えば彼女たちの故国と条約を結べれば自由に故郷に返すことだって可能である。

それも今回の一件の成否にかかっていると言っても過言ではないのである。


「ミエ」

「旦那様? どうかなさいました?」


皆でわいわいと今後の展望について盛り上がっている中、クラスクが軽く片手を挙げた。


「今の案イイ。採用シタイ」

「はい! ありがとうございます!」

「タダ一つダけ手直シシテイイカ」

「ふぇ? なにかまずかったですかね」

「んー、マズイッテ言うカ……」


クラスクは少しだけ首を傾け、ぼそりつ呟く。


「全部俺の発案ジャナクテ、宝を返す理由ハ『太守クラスクハ慈愛に満ちタミエ夫人の懇願に従イ……』的な奴にシタイ」

「「「賛成ー!!」」」

「ふえええええええええええええええ!?」


つい先刻まで全然別の話題で盛り上がっていたはずなのにクラスクの呟きに皆一斉に賛同し、ミエを困惑させる。


「えええええええええ!? で、でもでも! こういう政治的なやつで女の私が出しゃばっちゃっていいんですかね…?」

「何をゆうとる。今更じゃろ」

「クラスク殿一人より人間族の娘がいた方が話としては通りやすくなるかもしれんしな」

「えええええええー……」


なおも困惑するミエの前に、しずしずとイエタがやって来てそっと彼女の手を取った。


「国々が、各種族たちの悲願であった国宝の返還、それを無償で行うなんてとてもとても素晴らしいことだと思います。きっとミエ様の真心は皆に伝わりますわ…!」

「そう言っていただけるのは嬉しいんですけどー!!」



ミエの悲鳴に近い叫びが、宝物庫の壁に反響した。



×        ×        ×



こうして急ピッチで進められた竜宝外交は、各地で目覚ましい成果を上げた。


なにせかの赤竜に無慈悲に不条理に奪われて以降数百年…種族によっては千年近くもの長きに渡り己が種の、国の秘宝を取り戻さんと幾度も幾度も討伐隊を組織しては全滅或いは壊滅の憂き目にあってきたのである。


その宝を竜殺しとなった英雄が無償で返却してくれるというのだ。

そんな話に飛びつかないはずがない。


ただ問題はその勇者があろうことか薄汚いオーク族であることだ。

最初ははったりや罠を疑ったが占術で調べた結果は全てシロ。

どうやら本気で国宝を返す気があるらしい。

ただオークがなぜそんなことをするのか真意がわからない。

なにせ親書には国交の樹立と魔印の交換を望むと記されているけれど、彼らはのである。


つまり国宝を取り戻すだけ取り戻し、その後で受け取った親書を火にくべても全く問題ないというのだ。

占術で裏も取れている事だし、それならば受け取りに行く程度の手間はどうということはない。

その後はオーク族の言い分など歯牙にもかけなければいいだけなのだから。


彼らは手紙の主たるオーク族に妙な違和感を覚えながらも、だが一刻も早く悲願たる国宝を取り戻したいと自国の外交官を秘密裏にクラスク市に派遣した。

そして彼らは…いざ街の中に入って仰天する事になる。


広大で計画的な耕地、整然とした街並、進んだ技術、豊富な食糧、多様な調味料と香辛料、絶品の料理、優れた立地、そして溢れる活気。

さらには街には魔導学院が建てられており、街中には魔導師や魔導師見習いがうろついている。

そして街のいたるところに教会が建てられ、皆熱心に神への祈りを捧げているではないか。

ほんの少し前に忽然と誕生し、あっという間に発展したその街の常識外の様相に、彼らはただただ圧倒された。


なにより驚きなのはその先進的な街の中に当たり前のようにオーク達が闊歩していて、普通に共通語ギンニムを語り、人間族や他の種族たちと同様街の風景に溶け込んでいたことだ。

そして夜になれば彼ら外交官たちは居館に招かれ、クラスク自らに歓待されその魅力に触れることとなる。


さらに翌日太守夫人に案内され森の中へと進めば果樹園と美しい花畑に囲まれたひなびた村があり、彼らがそうした自然の美しさにも通じている事を教えられ、そしてその先の村に手実にあっさりと己が種族の悲願たる国宝を返却された。


その後オークの護衛隊によって安全に街を送り出され、隣町まで随行してもらう。

隣町に着けば彼らは当たり前のように現地の兵士などと言葉を交わし、オーク達が近在の村や街にも信頼を以て受け入れられている事を示した。


そうして自国へ帰った外交官は…大慌てで国王に向かい進言する。

かの親書にて彼らが申し出ている事を是非前向きに検討すべきである、と。


結果として多くの国が外交官の報告に耳を傾け、熟慮と幾度かの外交官の往復の末にクラスク市と国交を結ぶに至った。


…各国がクラスク市と国交を結ぶ決断を下した理由はいくつかある。


クラスク市の素晴らしい発展ぶりとオーク達の文化的な様を目撃したこと。

他の国も交渉状態にあると知らされ、自分達だけ置いてゆかれるわけにはゆかぬという焦燥感を煽られた事。

周囲のオーク族をまとめ上げた大オーク相手に不可侵条約を結ぶことができること…

など様々だ。


だがやはり大きかったのは次の二点である。

第一に国交樹立の申し出を国宝の返却と一切結びつけなかったこと。

赤竜に殺され、脅され、無理矢理奪われた宝なのだから無償で返すのが当たり前と言い放つ太守の第一夫人の言葉に彼らは大いなる感銘を受けたのだ。

経済的、或いは社会的見返りを一切求めなかったことで、クラスク市は逆に大いなる信用を勝ち得る事ができたのである。


そして第二に…太守夫人の申し出をクラスクが受け入れた、という親書の内容である。

多くの国ではオーク族と言えば他種族の娘を奴隷同然に扱い、同じオークの娘すら女性蔑視の対象にする酷い種族、という凝り固まったイメージがあった。

だがそれが夫人の申し出で希少極まりない財宝を手放したというのである。


これはすなわちこの街のオーク族が女性を大切にしているということであり、奴隷でなく夫婦関係を築けている事であり、そして女性とそんな関係を築けるオーク族なら…と言った態度の軟化が起きたのである。

言ってみれば『あの街のオークは違う』という強い印書を与える事に成功したのだ。


こうして各国は他国には負けじと雪崩を打つようにクラスク市へと親書の返事をしたためて…

そうして、クラスク市は多くの国や種族と国交を樹立するに至ったのである。






クラスク市北部の鍛冶屋街、あの近辺にやたらと多かった異種族たちは……そうした経緯でこの街に訪れた他国の者達がそのままクラスク市を気に入って移住を希望し、定住した者達だったのだ。







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