第559話 緋鉄団
竜の素材を加工できると豪語する鍛冶集団・緋鉄団。
彼らはこの地方の主たる赤竜イクスク・ヴェクヲクスが討伐されたとの噂を聞きその素材を求めてクラスク市へとやって来た。
だがミエ達には彼らに素直に素材を渡すことはできぬ事情があった。
竜の素材は鋼より硬く、非常に強靭である。
打ち鍛えた武器はそのままで魔法金属と同等かそれ以上の硬度を備え、さらに魔力を親和性が高く魔法の武器の素材としての価値も高い。
また竜の鱗で造られた鎧は殆どの矢弾を通さず、大斧の一撃ですら傷一つつかぬとされる。
つまり竜の素材から造られた武器は大いなる『武力』になり得るわけだ。
この街は現在地底軍撃退の絡みもあってアルザス王国との小康状態を保ってはいるが、その関係は恒久的なものではない。
いつこの状況が破綻し戦争状態に突入してもおかしくないのだ。
そうした街に於いて、フリーの鍛冶師に素材を渡す、或いは売るという行為は大きなリスクとなりかねない。
この街が手にした素材で作った強力な武器が敵対勢力に買われてそのままこの街を攻める武器になどされたらたまったものではなかろう。
つまりクラスク市としては彼らの協力は取り付けたい一方、彼らに好き勝手に竜麟の武具を販売して欲しくはないわけだ。
そこでミエは彼らと賭けをすることにした。
竜の鱗を一枚渡し、実力を見たいので斧を一振り打って欲しいと依頼したのだ。
もし見事な斧ができればクラスク市がそのまま高値で買い取る。
もし失敗すれば竜の鱗の代金分彼らが負債を被ることになる。
彼らはその賭けを飲んで……そして失敗した。
確かに彼ら緋鉄団はかつて竜の鱗を打ち鍛え、武具を製作したことがあった。
それは決して彼らの法螺でもなければ大言壮語でもなく、紛れもない事実であった。
ただしそこには大切な要素が欠けていた、
竜の加齢である。
竜は年経れば経るほど強力な存在となる。
物理障壁しかり、魔術結界然り、その身に宿す魔導の御業にしてもそうだ。
そして…彼らの鱗もまた、加齢とともに少しずつ大きくなり、また硬くなってゆくのである。
とはいっても鱗自体がゆっくりと大きくなっていくわけではない。
一枚一枚の鱗の大きさは基本的に変わらないのだ。
ただ彼らの鱗は非常にゆっくりとした速度でその身から生え、ゆっくりとせり出して最後にはその身から落ちてゆく。
目に見えぬほどの遅さで……数十年、数百年の時を経て生え変わっているのだ。
そして竜の身体が大きくなればなるほど、次に生えてくる鱗はより大きく、硬くなってゆくのである。
そう、彼らは赤竜の『年輪』を甘く見ていた。
かつて緋鉄団が打ち鍛えた竜鱗は他の地方の白竜のそれで、年齢も三百年ほどの壮年の竜のものだった。
それを打ち鍛えてのけた彼らの力量は本物なのだろう。
だがそれでも尚、かの伝説の赤竜の鱗を鍛えるには彼らの実力は未だ足りていなかったのである。
彼らは賭けに負け、その鱗を実費で買い取る事となった。
一般に(というほどに出回ってはいないのだが)竜の鱗は硬ければ硬い程、そして一枚一枚が大きければ大きいほどその値段は加速度的に上がってゆく。
赤竜の鱗程の硬さや大きさを有する竜麟は他に類がなく、となればそれが安かろうはずがない。
賭けに勝ってタダで竜の鱗を手に入れるつもりだった彼らにその莫大な金額が払えるはずもなく、彼らはクラスク市に…もといミエ個人に対し莫大な負債を負うに至った。
…と、そこで途方に暮れる彼らにミエ自らが助け舟を出した。
この街に竜鱗を鍛える鍛冶がいないのは事実である。
街の北の区画を安く用意するから、そこで赤竜の鱗を鍛える方法を一緒に模索してくれないだろうか。
材料を提供する代わりにそちらは自由にそれを鍛えてもらって構わない。
そこで造られた竜麟の武具は全て市が引き取るから、と。
それなら彼らはその硬すぎる赤竜の竜麟の鍛え方について研究し、経験を積むことができる。
鱗は街から借り受けるため彼らにとって大きな儲けにはならないが、代わりに納入先も決まっており売りはぐれることもない。
その際の稼ぎで借金の返済もできる。
彼らとしてはだいぶ悪くない話だった。
これまで放浪の根無し草だった彼らは、仲間内で相談した結果結局この街の北部に住み着くこととなった。
客観的に見てミエの提案は悪くないものだったし、何より自分たちが手こずるほどの硬度を誇る竜麟をいかに打ち鍛えるか、それを極めるのは小鍛冶たる彼らにとって大いなる興味だったからだ。
団員の高齢化が進み需要を確実に見込めるとは限らない旅生活を続けることが段々難しくなってきたことや、どこかで腰を落ち着けて若い団員の確保が必要だったこともある。
彼らにとっても渡りに船だったわけだ。
クラスク市にとってもこの結末は大変有難いものであった。
硬すぎて持て余す竜鱗を鍛える者が街に住み着いてくれた。
まあ竜鱗は魔導の触媒として用いることもできるのだが、その場合欠片や粉で十分であり、鱗まるごとは必要ない。
そしてそうした触媒目的の端材は彼ら緋鉄団が竜鱗を鍛える過程で幾らでも手に入れる事ができる。
さらに街にとっての大きな成果が彼らが鍛えた竜麟の武具の流通先を限定できたことである。
彼らに竜麟をそのまま売らせてしまえば、鍛えた武器がどこへ売られるかはクラスク市の制御を外れてしまう。
最悪この街を攻める戦士たちの手に渡るやもしれぬ。
それはとても困るのだ。
結果としてクラスク市は降って湧いた竜の鱗を加工できる、高い技術力を有した小鍛冶を手に入れる事ができたわけだ。
ミエは改めて己の夫の運の良さに感心する。
ただ……彼らが定住するに至る経緯には、ミエの入念な準備があった。
彼ら相手にどう有利に交渉できるか、イエタとネッカに占術で確認させていたのである。
結果として『彼らの得意分野にこそ勝機がある』こととと『彼らのプライドの高さこそがつけ入る隙となるであろう』という助言を得て、そこから彼らとの賭け事へと話をもっていったわけだ。
つまり賭けと称しながらミエが持ちかけたのはだいぶ分のいい『交渉』だったわけである。
このあたり当人は無自覚ながらなかなかにしたたかな立ち回りと言えるだろう。
そうして……クラスク市の新たな下町に大きな小鍛冶街が造られた。
そこにオルドゥスから来たドワーフ達がやってきて、大通りを挟んで対岸に大鍛冶街を形成する。
クラスク市に一大鍛冶屋街が誕生したわけだ。
さらにそこに街の北部の大用水路に水車を設置して大いに利用したい製紙工場、その紙を利用したいノームたちの印刷・製本工場と郵便局本部などが次々に建てられた。
クラスク市北部工業地帯の誕生である。
観光客や旅行者が街の北部に集まるわけである。
これほど物珍しい街並みはこの地方では他にお目にかかれまい。
観光客だけではない。
冒険者や近在の街の軍人もよく出没するようになった。
最初は竜鱗の武具が目当てで訪れることが殆どで、それが簡単に入手できないとなって落胆するけれど、それでも噂に聞く緋鉄団がこの街に定住することになったという事実に驚き、やがて彼らの良質な武具をこぞって購うようになる。
そして伝説の赤竜の鱗を用いた武具は全て街が買い取り保管していると聞いた各街の兵士どもは……この街と恒久的に友好を結ぶことでそれらをどうにか入手できぬかと算段し己の街に報告することとなったのだ。
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