第366話 川底と祝福と

この地方に新たに生まれた川…オーク川。


その幅を広げ底を深くし船便を活性化させる…

それは商人アーリにとって非常に意義の大きなものであり、出資を幾らでもいとわぬという入れ込みようであった。


だがそれにクラスクとキャスが待ったをかける。

商業面の話ではない。

軍事面の問題である。


ミエが生み出した新たな川は意図的に引かれた人工河川であり、その中途でクラスク市の周囲を巡る堀として利用されている。

それを活用できれば下流の蛇舌ブレズィム・シムツァオ川からの船便で大量の荷物を運搬できるようになる。


……が、それは同時に兵士を乗せた水軍を大量に運べるようになるということでもある。

クラスクは舟を一度利用しただけですぐにそこに思い至った。

そして舟に乗るまでもなく、キャスは初めからその結論に至っていた。


街を守る市長としては、そしてそれを補佐する者としては、迂闊に許可できるものではないという事だろう。


ただし有事の時以外であれば当然船便は有効だ。

クラスクはそれにもすぐに気がついた。

この辺り、為政者としても軍略家としてもクラスクは相当に成長しているといえるだろう。



そこで…彼から妥協案として提示されたのが調である。



広汎な畑に水を渡すための用水路。

その大きな分枝のある場所に船着き場を幾つか造り、その部分だけ川の深さをとしたのだ。

このあたりの調整が呪文で全て指定できるこの世界ならではの工夫と言えるだろう。


川の流れが緩やかなため底の浅い部分を作っても簡単に削れたりはしない。

そして一定間隔で川底が浅いため大きな船は途中途中で川底に引っかかり先に進めなくなってしまう。

無理矢理抜けるためには全員で船を降りて陸の上で船を運びその先の水路まで運ばなければならない。

視界の開けた場所に鎮座しているクラスク市は、さらに≪暗視≫を持つオーク兵を有しており、そうしたタイムロスがあれば昼夜を問わず敵の接近に気づきやすくなり、十分城の防衛が間に合うと考えたのだ。


一方商業目的で大型の船を利用する場合、船着き場にある別の船に荷物を移し替えることでそのまま先に進む頃ができる。

こちにらは魔術的な錠が施されており、城攻めの際に敵が無許可で出航させることは難しい。

無論敵にも魔導師がおり、その魔術的錠前を外す事だってできるのかもしれないが、それはそれで十分な遅延行為であり、その分城の護りを固めることができるなら十分有効であると言えた。


「川底を突いて先に進む『棹』は一定の深さを保っている方が安定して操船しやすいんです。でもこの川は時々川底が極端に浅くなるので…」

「あー、それで最終的に『ロ』って奴を採用したんですか」

「はい」


そんなことを会話しながら、小舟は本流から支流に向きを変え淀みなく進む。


「あ、見えてきましたよ」

「まあ…!」


ミエが指差した方向を見てイエタが手を合わせ感嘆の声を上げる。


そこには草原が広がっていた。

混合農業用のチェック柄の畑はその手前で終わっており、綺麗な緑の絨毯がその先を覆っている。


そして…その草原の先に、森があった。


小さな森である。

まだ生まれたばかりの、森になりかけ、といった青々とした木々の群れだ。


そしてその森の周りに花畑が広がっている。

森のクラスク村ほどに整然とした、大規模なものではないが、こじんまりと、清楚に、だが色とりどりの美しい花が咲き誇っている。


「うわっ!」

「蜜蜂か!」

「しー! 静かに! 脅かしちゃダメです」


ワイアントとゲオルグが思わず抜刀しかけ、ミエに止められた。

その花畑には巨大な…直径15cmはありそうな巨大な蜜蜂がせわしなく飛び回り、花の蜜を集めていたのだ。


「あら、これだけいるってことは…巣はちゃんと定着したのかしら」

「巣…ってことはここはもしかして…」

「はいワイアントさん。植林して作った新しい森です!」


そう、そこは以前から計画されていた植林による森作りの実験場だったのだ。


「ショクリン…ですか?」

「はい。森を一から造ろうと思いまして」

「まあ、森を…? まるで神様のようなことを仰るのですね」

「あはははは…そんな大したものじゃないんですけどねー」


森の女神が実在するからだろうか、どうにもこの世界の住人にとって森の育成というのは神の管轄だと思われているようだ。


「ミエ様は森を育ててどうなさるおつもりなのですか」

「あー…話すと長くなるんですけど…」


ミエはクラスク市の事情を簡単に説明する。


蜜蜂が凶悪なためこの世界の蜂蜜がとても貴重な事。

他種族にとって致死毒になりかねない蜂蜜の毒もオーク族なら耐えられること。

だがオーク族にはその蜂蜜を自分達だけで消費してしまい外に売り出すノウハウがないこと。


そしてオーク族の女性出生率の低さによる種の存亡の危機を防ぎつつ、同時に彼らの生業なりわいである襲撃や略奪を禁じた時、その蜂蜜こそが平和裏にオーク族の滅亡を回避する逆転の一打となり得ること。


「それで…うちの街の看板商品である蜂蜜とその関連商品が大人気になってくれたのは嬉しいんですけど…今度は品不足になるようになっちゃって…」

「なるほど…それで新しく蜂の巣を作るために新しい森を作ろうと…」

「はい。あ、船頭さんいったんこちらで」


舟を止め、草原に降り立つ。


心地よい風が吹き抜け、草むらを揺らした。

その先の小さな森がの木と枝が、風に揺られてざわざわと音を立てている。

そしてその前に広がる花々が、少し強い風に首をめぐらせ蜜蜂たちを困らせていた。


「ミエ様がここまで来られたのはわたくしにこれをお見せするために?」

「はい。あとはまあさっきの学校の先生についてのお願いと、それと…」

「まだあるんすか」

「まあミエ様らしいと言えばらしいですが…」

「ちょ、余計なことは言わないでくださーい!」


ワイアントとゲオルグに突っ込みを入れつつミエは改めてイエタの方に向き直る。


「それで…その、教会に寄付をさせていただくので、あの森が良く育つように〈祝福〉していただけますか?」

「ああ、なるほど。はい。わかりました。喜んで」


イエタはすっと前に進み、花畑の中へと足を踏み入れる。

巨大な蜜蜂どもが飛び回る中まるで気にせずに。


ワイアントが慌てて彼女を止めようとするが、ミエが無言のまま片手でそれを制した。

この世界では危険視されている蜜蜂だが、巣の近くならともかく花畑で敵意もない相手に攻撃的になる事は滅多にない。

案の定イエタの周りに蜜蜂が飛び交うが、彼女を襲おうとする蜂は一匹もいなかった。


天の神より賜りしことほぎをここにアイウリー・ツマットード・ウィズ


囁くような、祈るような、それでいて鈴が転がるような音色が響く。

それが彼女の詠唱であった。


「〈祝福ットード〉」


彼女の差し出した掌からふわりとした空気が周囲に広がった気がした。


それは爽やかな、心地よく、それでいて暖かな風。

それが吹き抜けた後、昼間だというのにまるで朝焼けに煌めく夜露のような輝きが森から、そして花畑から立ち上ってくるように見えた。


「うお…?!」

「〈祝福ットード〉はよく見る呪文なのだがな…」


ワイアントとゲオルグが少し驚いた顔をする。


「どうかなさいました?」

「あ、いえ…その、上手く言えねーんすけど…」

「イエタ様は相当高位な聖職者のような気がします。私は魔術の専門家ではありませんので詳しくは言えませんが…」

「…ええ、なんとなくわかります」


どうということのない所作。

当たり前のような詠唱。

それがいちいち実に自然なのだ。


ミエも魔術についてはネッカに聞いた以上の事は知らぬ素人ではあるが、彼女が只者でないことは肌で感じた。


心なしか森や花畑が輝いているようだ。

というか一瞬、物理的に目に見えて育ったように見えたのは気のせいだろうか。



イエタはそのまま風に髪をなびかせながら振り返り…



「さ、ミエ様。次の御用件を仰ってくださいな」





にこやかに、そう告げたのだ。





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