第363話 小舟と動力

街の外に出たミエ達の前には、チェック柄の畑が広がっていた。


丈の異なる麦畑は冬麦と夏麦の畑で、いずれも収穫が近い。

冬麦と夏麦は種蒔の時期が異なっていても収穫期は秋口から秋頃に重なるためである。


さらに甜菜の畑と牧草地がその間を埋めるように広がっており、今となってはもはや視界の果てまでひたすらに耕地が広がっていた。


耕作者も一気に増えた。

下町に人が住みつき人口が増えたと言っても、新たな商機を嗅ぎつけた商売人や需要を求めてやって来た職人ばかりではない。

他の街で生活が苦しくなった食い詰め者なども少なからず流れてきたのである。


ただことこの街に関しては新たに流れついたそうした連中が仕事にあぶれる、ということは現状あり得なかった。

なにせ耕作するための荒地は街の外一面に広がっている。

人が増えれば必要な食料も増える。

そのためには荒地を開墾し畑を耕し麦と商品作物を植え家畜の世話をする賃金労働者が幾らいても足りないくらいなのだ。


またこの街独特の制度である農作業の賃金労働化と輪作は、こと下町に於いて大きな…それでいてミエの意図とは少し異なる意味を持つようになっていた。

生活すべてが農作業に忙殺される農民とは異なり、ただ作業によって賃金を得られる立場と言う事は、逆に言えばということだ。


この街に流れ着き、賃金労働者として畑仕事に従じるようになった者たちの中には特に家族がいるでもない身軽な連中が多く、結果金がある間は仕事せず、金がなくなれば仕事をする、といった生活をする者達が出てきた。

特に輪作のお陰で一年を通して仕事の需要があるというのが大きく、そうした彼らにとって金銭は生活費を越えとなった。


なくなればまた稼げばいいのだ、という余裕が彼らの財布の紐を緩め、購買意欲が高まり、その結果商品の流通が活発となって経済が潤うようになったのである。

そして所得税が増えることによって街の税収も増えた。


享楽に耽る貴族でもないミエと、元々貨幣経済に毒されていないオーク族のクラスクは、そうして集めた税金を街を己の私腹を肥やすためではなく街をよりよくするために投じてゆく。

結果この街はますます暮らしやすくなり、それは旅人と吟遊詩人の口から噂となって各地へと広まり、ますます移住希望者が増えてゆく。



まさにこの街は今この瞬間も発展しているさなかと言っていいだろう。



ともあれミエはそんな一面の畑を一瞥しながらイエタの方へと振り向いた。


「さて…と。イエタさんは空を飛べるんですよね」

「はい」

「なら私達を運んだりとかは…」

「人間族の重さを運ぶのは難しいですね」

「ですよね」


推測できたことではあったけれど一応確認をしたミエは、そのまま堀に沿って街の周囲を歩き出した。


「なら申し訳ないですけど空は飛ばずに一緒に来ていただけますか?」

「はい。でもどちらに?」

「ええっと…森、かな?」

「森…?」


イエタがこの街に来る途中、街の南に大きな森があった。

森というのはあの場所の事を指しているのだろうか。


ただ…ミエが足を向けている先は街の北であり、くだんの森とは正反対の方向である。


「こちらです」

「まあ…!」


ミエが案内した先は街の外側、西門を抜けて少し北に行った辺り。

そこでは街の周囲を流れている堀が分流し、北へと伸びる川となっていた。


そしてその落合おちあい(川の合流点)に、小さな石造りの建物と船が用意してある。

いわゆる船着き場である。


「すいませーん。大人四人なんですけど」

「へーい…ってミエ様ァ!?」

「ここまでお願いしたいんですが…」


ミエが建物内の周辺の地図が記された羊皮紙を指し示す。


「いえ村長夫人からお代を戴くわけには…」

「何言ってるんですかお客なんですからちゃんとお金は取らないと!」


腰に手を当てふんすと鼻息荒くそう主張したミエは、遠慮する船頭に無理矢理お金を握らせて小舟に乗り込む。

川幅の問題か舟はだいぶ小柄で、乗れる人数はせいぜい五、六人といったところだろうか。


「お舟ですね」

「あらイエタさんもしかして乗るのは初めてですか?」

「そうですね。有翼族ユームズの村ではあまり必要のないものですので」

「それは確かに」


羽で飛べる者がわざわざ船に乗る必要は少ないだろう。

使うとしたらせいぜい川で漁などをするときくらいだろうか。


「こわかったりします?」

「大丈夫です。ふふ、少し楽しみですね」


どうやらイエタは割と好奇心旺盛なタイプのようで、少したどたどしい足元ながら舟に乗り込んでくる。


「というわけで申し訳ありませんがゲオルグさんとワイアントさんもよろしいです?」

「護衛である以上同道する事に異論はありませぬ」

「やー門の前で目を光らせてるよか観光できる方がそりゃ嬉しいですよ」

「それはよかったです!」


ぽんと手を叩き喜ぶミエと微笑むイエタ。

二人を前に照れて頭を掻く衛兵ワイアント。


「ワイアント。油断はするな。何が起こるかわからぬから我らが護衛するのだぞ」

「そりゃわかってるけども…なんかあるとは思えないけどねえ」


確かに舟に揺られながら見える景観はのどかそのものだった。

延々と広がるチェック柄の畑とそこで働く労働者たち。


のんびりと草を食む牛や羊。

移動用の鶏舎の下で土をほじくり返す鶏ども。

広がる光景は実にのんびりとしたものだ。



「…驚くべきことですね」



ただ…その光景を眺めながらイエタが漏らした言葉は、少々この街の住人達とは異なっていたようだ。


「ひょっとしてオークさんですか?」

「はい」


そう、この街の住人にとって当然の事であり、だが同時に村に来たばかりのイエタにとっては異質なこと…それはその平穏な光景のところどころにオーク族が混じっている事だった。


人間族の娘の前でいいところを見せようと畑を鍬で掘り返すオーク。

女性には少し重い移動用の鶏舎を目の前で軽々と持ち運び喝采を受けるオーク。

他の娘がしんどそうに運んでいる荷物を代わりに担いで己の甲斐性をアピールするオーク。

…少々シチュエーションが偏っている気がしないでもないが、少なくとも仕事量も作業量も他の種族以上で、実に真面目に、そして懸命に働いている。



動機はともかくだ。



なにせこの街を訪れる者がまず最初に驚くのは、街の周囲に広がるこの広大な畑とそこで真面目に働くオークどもだと言われるほどである。


「まさかオーク族と他の種族がこれほどの平和裏に共存している場所があるだなんて思いもしませんでした」

「ああ…言われて見りゃあ俺も最初は驚いたもんだったな」


イエタの言葉を受けてワイアントが己の記憶を掘り返す。

今ではすっかり慣れてしまったけれど、確かに最初は口をあんぐりと開けて驚嘆したものだった。


「軋轢などはなかったのですか?」

「軋轢も何も…まあ俺達はどうこう言える立場じゃなかったしなあ」

「うむ」

「というと…」

「我らは飢え死にしそうなところを彼らに手を差し伸べられ助けられたのだ」

「その後村を襲って来るゴブリンどもを迎え撃つために協力を要請されて…あとはまあ成り行きでね」


ゲオルグとワイアントが揃ってミエの方に視線を向ける。


「ミエ様とクラスク市長…当時は村長…じゃなくて族長か。の存在がとにかく大きかったなあ」

「ああ。ミエ様のお陰でオークに対する不安感が減りクラスク市長がしっかり統率してくれていたお陰で危機感が消えた」

「まあ…!」


きらきらと瞳を輝かせてミエを見つめるイエタ。


「あー…そういうのはあまり得意じゃないんですけど…」


尊敬と敬愛の視線に面映ゆさを感じたミエは少し恥ずかし気に頭を掻く。

そんなミエの様子を眺めていたゲオルグが、雰囲気をかえようとさりげなく話題を逸らす。


「そういえばこの舟の動力、俺はこの街で初めて見たな」

「そうだなー。ここらじゃあまり見ないよな、これ」


ゲオルグが指し示したのは舟の後方にあって船頭が掴んでいる棒のようなものだ。

それは船尾に取り付けられており、上半分は船頭が掴み、下半分は水中に伸びている。


「まあ、この形…私達の羽のようですね」


水の中を覗き込んだイエタが、船頭が水上で揺らす棒に合わせ水底でひらひらと動くその棒の先端の膨らみを見ながらそんな感想を漏らす。


「ああ、そうですね、空気と水の違いはありますがの理屈は羽が揚力を得るのと似たようなものですから」

「ロ…?」





ミエ達が乗っている舟の後ろに付いているのは…ミエの故国にあった小舟の基本的な動力源である。





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